第一章
第1話 祝福
「おぎゃあああ!! おぎゃあああああ!!」
豪奢な内装の、まるで宮殿のような空間で、僕は赤子のように……いや、赤子になって泣き叫んでいた。
見覚えのある内装だった。ここはアルドリア王国王都にあるエリザ離宮。浮遊石と呼ばれる特殊な鉱石によって王都上空を周遊する豪奢な宮殿だ。
そんな知識がスラスラと出てくる。生まれたての僕がそんなこと知りようがないはずなのに。
この頭の中にある知識は一体……それに僕は、僕は誰なんだ?
体は生まれたての赤子だ。それなのに、僕の頭の中にはこことは異なる世界で得たであろう知識があった。
その知識が、今の状況の異質さをはっきりと知らしめる。
僕は少し前まで別の誰かの人生を歩んでいたはずだ。
しかし、どういう訳か僕の魂は異世界に導かれて、新たな生を受けたらしい。
そのことは分かる。それなのに、かつての自分に関する記憶だけはどうしても思い出せないのだ。
「ふふ。元気な男の子ですね」
侍女らしき女がそっと赤子をあやしている。
直感的に、彼女が母でないことが分かった。
母は侍女の側で朦朧としている金の髪の女性だろう。
出産がでよほど体力を消費したのか、ほとんど意識を失っている状態だ。
「陛下、御身の子です。ぜひ抱いてあげてください」
侍女が我が父――ヴィルヘルムと言ったか――の元へと歩いていく。
この男の名前も鮮明に思い出せる。同時に、僕は嫌な予感めいたものを抱く。
一通り体を拭き、穢れを祓った子を、親の元に届ける。
侍女の、その行動は極めて自然なものであった。
しかし彼女が僕を差し出したその瞬間、父は眉をピクリと動かした。
「私にその穢れたクズを抱けと……? ふざけるな!!」
怒号が響き渡り、僕は身の危険を感じた。
――殺される……!
咄嗟にそんな警告が頭に響いた。
僕はほとんど無意識に、侍女を庇うように動く。
同時に、父が放った業炎が全身を包んだ。
「ぎゃあああああああああああああああ!!!!」
赤子の未成熟な声帯が限界まで軋む。
熱い……熱い……熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。
竜の
その形容し難いほどの激痛と熱に、幼いこの身が耐えられるわけもなく、全身から伝わる苦痛にのたうち回るようにして僕はもがく。
「へ、陛下……どうして……! こんな、いやあああああああああああああ!!!!」
先ほどまで僕を抱いていた侍女は、炎に耐えきれず骨の髄まで焼き尽くされてしまっていた。
僕はこうなることが分かっていた。しかし、無力な赤子の力では、彼女を守ることなど出来るはずもなかった。
「お、王よ! 何を……」
「黙って見ていろ」
業炎の向こうから、臣下たちを制する威圧的な声が聞こえる。
この国でも、最高峰の魔導士でもある父は一切の慈悲も見せず、実の子であるはずの僕を焼き続ける。
その至高の炎に焼かれ、僕は正気を失いそうになる。
しかし、これほどの炎を浴びながら、僕は死ねなかった。
劫火が僕という存在を消そうとするよりも早く、僕の肉体は再生を始めるので。
炎による破壊と、自己治癒がせめぎ合い、そのせいで炎による痛苦は終わることがなかった。
いっそ死ねば楽なのに、そうすることもできないまま、僕は焦熱と激痛に苛まれ続ける。
「これで死なぬとはやはり……こんなことならもっと早くに殺すべきであった……」
破壊と再生の相剋の末、炎が止んだ。
だが、恐ろしいことに僕はほとんど無事な姿でその場に留まっていた。
「これは、どういうことなのだ……?」
消えた炎の中から現れた僕の無事な姿を見て、臣下たちが驚きを露にする。
当然だ。人を骨まで溶かし尽くす炎に巻き込まれて無事でいるのだから。
不気味に思わないはずがない。
「あ……あ……」
声にならない声が出る。
僕は、そのあまりにも残酷な仕打ちに、激しい怒りと喪失感、そして恐怖を覚えていた。
――どうして僕がこんな目に? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして?
知識があろうと、精神は幼い赤子だ。
愛という、親より本来与えられるべき祝福ではなく、憎しみの炎を浴びせられたことで、僕の頭は混乱していた。
――僕が一体何をした……!! どうして、こんなことになったんだ……!!
父が僕を憎悪する理由。僕が死ねない理由。
僕はそれを理解していた。
だが、僕がこんな状況に置かれている理由が全く理解できなかった。
突然、前世の生が終わり。新たに生まれ直して、このような理不尽な仕打ちを受ける。
そんなこと受け入れられるはずもなかった。
ふと、心に黒くどろどろとした衝動が湧き、一気に膨れ上がる。
そして、体の内からおどろおどろしい瘴気として吹きこぼれた。
「うっ……なんだこの
「い、息ができない……苦しい……」
瘴気が、周囲の人間にまとわりついていく。
「これで分かっただろう? そのクズは穢れているのだ。いずれは、この世に災いをも
「あ……その、陛下のおっしゃる通りでございます。失礼いたしました!!」
苛立つヴィルヘルムに恐れを成したのか、臣下の一人が
続けて王が尋ねる。
「では、臣下どもよ。今、この場ですべきことはなんだ?」
無言で貴族たちが顔を見合わせると、静かに頷きあう。
「消えろ! 悪魔の子め」
次の瞬間、一斉に魔法が放たれた。
仮にも強大な魔力を誇る、貴い血を持つ者たちだ。
彼らから放たれる上級魔法の数々は、生まれたばかりの子供が耐えられるものではない。
「おぎゃあ! おぎゃあああああ!!」
恐怖と怒りに呼応して、体から漏れ出す瘴気が障壁となって展開される。
それらは、貴族たちの攻撃を完全に遮るが、彼らは攻撃の手を緩めない。
なぜならこれは王の意思だからだ。
「死ね! 死ねええええええ!!」
その時、僕はわずかに前世の記憶を思い出した。
常に親からの強い支配に曝され、社会に出ても僕は己の価値を否定され続けた。
それなのに、新しい人生では、生まれすら否定されるのか?
――ナラバ、殺シテシマエバヨカロウ。ソノタメノ〝力〟ハ、備ワッテイルダロウ?
酷く冒涜的で、不快感を催す声が頭に響いた。
そうだ。こんな理不尽に曝されるぐらいなら、いっそ……
僕はその声を、あっさりと受け入れていた。
――人を殺してはいけない? 親に逆らってはいけない? 知ったことか。
――こんな訳もわからないまま殺されてたまるか。
僕は自分の中に眠る力を知覚すると、それを操り、貴族たちの大魔法取り込んでいく。
「な、なんだ……魔力が吸われているだと?」
怒りと、殺意と、同時に悲しみが胸の内に湧いた。
せめて新しい人生ぐらい、普通の家に生まれたかった。
家族に祝福されて始めたかった……
多くは望まない。ただ普通の人生を送る。
それだけで良かった。
だが、新たな世界で待ち受けていたのは、更なる苦難と絶望であった。
父は実の子すら手に掛けようとし、そんな男に従って、周囲の貴族たちを僕を殺そうと躍起になる。
こんな仕打ち、ただ受け入れるなんて出来るはずもなかった。
「っ……おぎゃああああああ!!」
まるで、僕の体を内側から食い破ろうと、何かが這い出ようとする。
僕は激痛に泣き叫ぶが、それでも構わず身を委ねる。
この場にいる人間全て、消し飛んでしまえばいい。
「な、何かするみたいだぞ」
「フン……魔法が効かぬのなら直接仕留めてくれる……」
一人の貴族が剣を抜いて、ゆっくりと近付いてくる。
「これも王命だ。恨むなら己の生まれを恨むがいい。まあ、赤子にそんな知能などあるはずもないだろうがな」
男が侮蔑の視線を送る。
赤子を手にかけることに、欠片も罪悪感を抱いていない様子だ。
「おぎゃああああ! おぎゃああああああ!!」
魔法は完全に防げたが剣はどうだ?
首を刎ねられて、無事でいられるか?
その答えは僕の中にはなかった。
だから僕は抵抗する。
強大で悍ましい力。その全てを解放するのだ。
「死ね」
あっけなく剣が振り下ろされる。
僕はその刃を睨みつけながら、己の魔力を暴発させようとする。
しかし、その瞬間――
「だめええええええええええええええ」
叫び声と共に、一人の少女が僕を庇うように覆い被さった。
「な!?」
突然の出来事で、貴族の手元が狂う。
そして、貴族の振るった剣の切先は、少女の背を掠める。
「きゃあああああああああっ!?」
少女の背中が鮮血に染まる。
さらさらとした金髪の可憐な少女で、三つか四つぐらいの幼い子だ。
しかし、彼女は子供にはあまりにも耐え難いであろう痛みに耐えながら、ゆっくりと歩いてくる。
どう……して……?
僕は、目の前の光景が信じられなかった。
この場にいる人間は、みんな僕を恐れ、軽蔑し、その死を願っている。
だから、そんな奴ら消えてしまえばいいと思った。
だが、目の前の少女だけが違った。
少女は傷付き、苦しみながらも、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
僕はその光景に混乱していた。
――惑ワサレルナ!
同時に、僕の中から湧き出る瘴気が剣を象り、少女へと襲いかかった。
「てんにまします、めがみのかごよ。よこしまなきをはらいたまえ!」
あどけない少女の声と共に、まばゆい光の障壁が展開される。
僕の発する瘴気は、その光の前に次々と祓われていく。
「おお、この神々しい光は、聖女の魔力だ」
祈るように手を組んでいた少女は、障壁を解くと、そっと僕に声をかける。
「だいじょうぶ。もうだいじょうぶだからね」
少女は、その小さな手でそっと僕を抱き上げると、優しく頭を撫でる。
「あんなことがあってこわかったよね? ごめんね。たすけてあげられなくて。でもだいじょうぶ。これからはおねえさんがついててあげるからね。よしよし」
それは、久々に感じた人のぬくもりだった。
「ぁ……」
身体を包む柔らかく、労りに満ちたぬくもりを通じて、心が安らいでいく。
同時に、体の奥底で渦巻いていた不快感が、徐々に解けていくのがわかった。
「いたくて、あつくて、くるしかったよね? でも、おねえさんがなおしてあげるからね」
僕を包む少女の腕から、温かなものが流れてくる。
体の痛みが消えていく。癒しの力だろうか?
それにしてもいつ以来だろう。
こうして、人に抱きしめられるのは。
僕はずっと、誰かに認められたいと思っていた。
生まれてきた確かな意味が欲しかった。
厳しく接する父に耐えながら勉強してきたのも、両親に認められたいとずっと思ってたからだ。
「おめでとう、レオン!! うまれてきてくれて、ありがとう!!」
それは、僕が初めて受けた祝福だった。
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