第19話 おっさん、虎の威を借る
お昼時を過ぎてもなお、人の波が止まない店内にて。
ほんの思いつきで行動を起こしたフラムは、その額に汗を浮かべながら後悔に襲われていた。
一週間近くの長旅を終え、大物まで仕留めてきたというのに、なぜ昼食もとれずに働かされているのか。
──あの男はなにをやってっ……。
自分自身の責任を棚上げしたフラムは、元凶である男の姿を探そうとし、
──違う、ここで折れたら、負け。
しかし、すぐに首を横に振った。
そもそも、これはただの仕事ではない。あんなやつ大した存在ではないと、己を納得させるための戦いだ。
「おーい、嬢ちゃん! こっちにも来てくれよ〜!」
「っ……は、はい、今行きます!」
ゆえに、注文をとっている最中、ヘラヘラと笑う男の客に呼ばれても、苛立ちを表に出したりはしない。
「君かわいいね。この辺りに住んでるの?」
「あはは……そういうのは、ちょっと……」
料理を並べ終えたのに無駄に呼び止めてくるチャラついた男にも、愛想笑いを浮かべてやるし、
「よ、お前が働いてるって聞いてきてやったぞ?」
「ハハ、俺たちにもスマイルくれよスマイル!」
三下の冒険者が知り合い面をして冷やかしてきても、一切動じたりはしないのである。
──大丈夫、私は冷静だ。
そう、なにも問題はない。彼らは所詮、遠くから見ていることしかできない、ちっぽけな存在だ。
ジロジロと失礼な目を向けられるのも、自身がそれだけ魅力的ということの証左でしかなく、いちいち嫌悪を抱いてやるほどのことでもない。
自分が今すべきは、澄ました顔で仕事をこなし、フラムチェスカという人間の高潔さを見せつけてやることだけである。
「すみません、他のお客様がお待ちしていますので」
下品な冒険者もどきには、あえて丁寧な対応であしらう方が効くだろうと試してみれば、
「ちっ……」
予想通り、つまらなそうな舌打ちが聞こえてくる。
あいにく、あなたたち如きが相手できるほど軽い女ではないと、そう自身の価値を誇るようにしばらく接客を続けたフラムだったが、
「っ!?」
何度目かの料理を運んでいる最中、なにかに
──まずっ……。
鍛えた反射神経で
飲み物も含め、複数の料理が載ったそれはまるで言うことを聞かず、
「あ、ぁっ──」
無理やりにバランスを取ろうとした結果、自分ごと前のめりになってしまう。
転倒寸前──ゆっくりと視界が流れる中で、自らが失態をおかすことに恐れを抱いたフラムは声を震わせ、
「──え?」
直後、まるで何ごともなかったかのようにピタリと動きが止まると、一転して間の抜けた声がこぼれてしまう。
「おっとっ……と!」
状況が理解できず固まっていると、聞き覚えのある男の声とともに、トレイを持った左手が動かされるのを感じた。
見れば、背後から左手に添えられた無骨な手が、補助でもするかのように載せられた料理の揺れを抑えていて、
「んなっ」
その正体に考えが及んだフラムは反射的に暴れようとするも、
「バカ、動かすな!」
「え、わっ!?」
グイッと腰のベルトを引かれ、まるで身体の制御を奪われたかのような感覚に陥る。そのまま、されるがままに操られ続け、
「ふぅ、ギリギリセーフってとこだな」
ほんの数秒後、気づけば無事に元の体勢へと戻ることができていた。
すると、用は済んだとばかりに男の身体が離れ、改めてその姿を拝むことになる。
「ちょっと──」
当然、言いたいことが山ほど湧いてきたフラムは、その背に声をかけようとするが、
「おーい、そこのアホども。足ひっかけたの見てたからな?」
「!」
続く言葉を前に、思わず口を
「だ、誰がアホだ! こっちは客だぞ!」
「アホと客は両立すんだろ。とりあえず、怖いお兄さん呼ばれたくなかったらさっさと飯食って帰れ、な?」
見れば、彼の前には先ほどの冒険者たちが座っていて、
「はっ、なんだと? この装備が目に入らねえのか?」
彼らはその粗野な態度の通り、平気で脅しをかけていた。
「へぇ、だったらなんだ、ここで暴れまわるってか?」
しかし、アルムもまた肝が据わっているらしく、平然と受け答えをし、
「オイオイ……てめぇ、舐めてんなぁ……!?」
これに腹を据えかねたのか、男たちは次々と席を立ち始める。果たして、喧嘩が始まろうという空気が立ち込めていく中、
「おーい、怖いお兄さん来てくれー!」
「ああ? なに言って──」
アルムがカウンターの方へ向けて大声で呼び始めると、
「──へ?」
直後にはもう、冒険者たちは顔を青ざめさせていた。
「…………」
なにせ、厨房の中から大男が姿を現したかと思えば、その手に血で汚れた肉切り包丁を持っていたからだ。
しかも、何を考えているのか分からない三白眼でギロリと睨みを利かせ、無言で圧をかけてくるというのだから、たまったものではない。
その迫力たるや、無関係のフラムすらも息を呑むほどで、
「で、大人しく飯食って帰るのと、あれと喧嘩して土に還るの、どっちがいい?」
追い打ちとばかりにアルムが脅し返せば、
「め、飯、です……」
「だよな? 賢くて助かるよ」
冒険者たちは瞬く間にしょんぼりとし、元いた席に小さく収まることとなる。
「つーわけで、ほら、仕事再開するぞ」
「え、あ……」
一連の流れをただ眺めていたフラムは、すぐにまた接客を始めたその背を呆然と見送ることしかできなかった。
あれからさらに時間が経ち、ようやく店内も空き始めた頃。
──こんなところか。
後は自分たちがいなくても捌けるだろうと判断したアルムは厨房に顔を覗かせ、
「二人ともおつかれさん。悪いけど、そろそろ飯食ってもいいか?」
今も調理に励む二人へと確認を取った。
「あ、おつかれアルム。ちょっと待ってて!」
すると、なにやら用意するものでもあったのか、奥へと向かっていくパロン。
「ラング、さっきは助かったよ。ありがとな」
その間に、先ほど呼んだ寡黙な大男に礼を述べると、
「……気にするな」
親指を立てながら、短くそうとだけ返してくる。
あの冒険者たちは知らなかっただろうが、本当の彼は気のいい性格なのだ。
包丁で襲いかかるような真似をするわけもなく、思い出すと少しおかしくなってくる。
「はいはい、これどうぞ!」
そうして一人、昔に思いを馳せようとしていると、パロンが料理をいくつか載せたトレイを運んでくる。
「あれ、残ってたやつがあるだろ?」
が、湯気の立つそれを見たアルムは、先ほど食べられなかったものがあるだろうと尋ねるも、
「あんたはそれでいいかもだけど、もう一人いるだろ?」
「ああ、それもそうか……」
納得のいく理由が語られる。
「それに、そもそも客に冷めたもんは食わせらんないよ。あれは私たちで食べるから、早く行ってきな」
ついでとばかりにそう言われれば、もはや粘る理由もなく、
「おう、ありがとなパロン」
「それはこっちの台詞。手伝ってくれてありがとね、アルム」
互いに礼を交わしたところで厨房を出ると、
「あ」
ちょうど、とばかりにフラムと出くわした。
「ほら、食おうぜ。腹空いてるだろ?」
なにか思うところがあるのか。
微妙な表情を浮かべる彼女にそう提案すると、
「な、なんであなたと……」
半ば予想通りの答えが返ってくる。
「まあまあ、お互いの健闘を称えてってことで、な?」
「あ、ちょっと!」
ただ、彼女のことを労ってやりたかったアルムは、その横をすり抜け、二人分の料理を卓上まで運んでいった。
「…………」
こちらをジトッと睨んだフラムは少しして、渋々といった様子で対面の席に着く。
温かな陽気の差し込む、窓際の席。互いに皿へと料理を取り分ける間、無言の時間が続くが、
「にしてもお前、やるな。やったことあるのか、こういうの?」
誘ったのは自分だと、アルムが先に口を開いた。
話題はもちろん、先ほどの彼女の働きぶりについてだ。
表情の作り方こそ慣れていなさそうだったものの、これといった大きな失敗もなく無事に仕事を終えている。
ゆえに、素直に感心してそう聞いてみれば、
「……べつに、初めてだけど」
少し間を置いて、ぼそりとそう答えた。
「マジかよ……やっぱすごいんだな、お前」
さすがに未経験とまでは予想できなかったアルムは、思わず感嘆の声を漏らす。
なにせ、彼女が嘘をついていないなら、過去の記憶から見様見真似でやっていたことになるのだ。
それであそこまで上手くやれていたと考えると、驚きも
「あなたに褒められても、嬉しくない」
だが、そこまで口にしても彼女はふいっと顔を背けるばかり。
「はは、それならやっぱ、メディたちには残っててもらった方が良かったかもな」
なので、冗談混じりにそう言ってみれば、いつもの澄まし顔がわずかに崩れ、
「なんで、そこでメディが……」
若干の苛立ちがこもった声で疑問を口にする。
ただ、彼女の名前を出すのにはもちろん理由があって、
「いや、ほら、見せたかったんじゃないのか? なんかこう、凄いぞってところをさ」
それが、二人が帰ったことを話した時のフラムの表情だった。
冒険者の男たちを懲らしめたあと、さりげなく教えた際のあの顔といえば、なんとも悲しげなもので。
細かい心情までは分からないが、少なくとも彼女たちに見せたいという側面はあったように思う。
「そういうんじゃ、ない」
が、彼女は拗ねたようにそっぽを向くと、
「ただ、あなたが気に食わなかっただけ」
ようやくというべきか、はっきりとそう口にした。
「それで、俺に張り合ったのか?」
「…………」
確認するように尋ねれば彼女は沈黙するも、その嫌そうな顔が如実に正解であることを語っている。
「まあでも、そういう意味では俺の負けだな。お前の方は接客を手伝うどころか、店の売上まで増やしたわけだし」
そこで、本心からフラムの勝利を認めてやるも、
「……そういうところ」
「え?」
フラムは小さな声で呟くと、
「そういうところが、嫌い」
続けて、アルムをジッと睨みながら答えを明かした。
「謙遜のつもり? 悪いけど、私には嫌味にしか聞こえない」
よほど癪にさわっていたのだろう。嫌悪を隠すことなく声色にのせてくる。
「素直に褒めるのが、そんな悪いことか?」
対し、アルムはあくまで冷静に問いかけるも、
「ふん……素直に、ね」
フラムは疑いの眼差しをやめず、そこから再びの静寂が訪れた。
残った客が発する、和やかな会話と食器の鳴る音だけがしばらく場に流れ、
「私は認めないから。あなたみたいな人」
やがて、そう意思表明をしてみせる。
どうやら、彼女にとって自分はどうにも相性の悪い存在のようである。
「ま、それもいいんじゃねえか? 人生、生きてりゃそういうやつの一人や二人、出てくるもんだ」
となれば、アルムにできるのはその考えを尊重してやることくらいなもの。無理に仲良くする必要もないだろうと、自身の考えを話しながら料理へと手を伸ばした。
「…………」
これ以上は、余計にこじれるだけだ。そう思って食事に集中し始めてからどれほどが経ったか。
ふと、無言で見つめてくるフラムの視線に気がつく。
「ん? どうかしたか?」
なにか言いたげなその表情に、気になって声をかけてしまうも、
「べつに……」
にべもなく目を逸らされるのみ。いったい何なのだろうかと訝しみつつ、目の前にあったデザートを手に取り、
「お、これ美味いな……!」
不意に、その美味しさに感想をこぼしてしまう。
粉ものを焼いた生地の上に、細かく切られた果実が載ったそれは、甘味と酸味がいい具合に混ざり合い最高のハーモニーを奏でていたのだ。
「なあ、お前も食ってみ──」
これには、ついオススメしそうになるアルムだったが、
「これ、あげる」
それよりも早く、フラムが同じものを差し出してくる。
「え、いやいや、自分で食えよ。美味いぞ?」
意味が分からず、当たり前の正論で返すも、
「いいからっ、はい!」
「お、おう……」
なぜか、強引にこちらの皿の上へと載せてきた。
フラムの顔にはほのかに赤が差しており、なにか怒らせるようなことでもしたかと頭を悩ませられる。
「つぎ────いから」
しかし、貴重なはずのデザートを渡し終えた彼女はぼそりと何かを呟くと、すぐに食事へと戻っており、話を聞ける雰囲気でもない。
──なんなんだ……?
結果、苦手なものでも載っていたのだろうかと、そう結論づけるしかなかったアルムは、ただモヤモヤとその日一日を過ごすはめになるのだった。
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