第22話 父の心配、息子は知らず
エミールの深刻そうな表情に、きっと大変なことを頼まれるんだろうと身構えていた。
「セルジュを見守る……それって、わざわざ頼むようなことですか?」
盛大に肩透かしを食らってしまって、思わずそんな言葉が漏れる。
「見守るも何も、僕は毎日のように彼と一緒にいますし……それこそ、お互いに見守り合っているような感じです」
町の人たちの話を聞く時も、気晴らしに町の外に遊びにいく時も、私たちはずっと一緒だった。
休みの日なんかは、二人して離れでだらだらしていることも多い。特に何を話すでもなく、何となく同じ場所でめいめい好きなことをして過ごすのだ。のんびりとしていて落ち着くあの時間が、私は好きだ。
私の言葉に、エミールは悲しそうに、嬉しそうに微笑む。
「ええ、君が来てくれてから、あの子はいい表情をするようになりました。ありがとうございます」
そうして、彼はふうとため息をつく。
「妻を亡くしてから、私とあの子の間には距離ができてしまいました。仕事に逃げてしまった私が悪いのですが……」
確かに、セルジュとエミールの関係はぎこちない。けれどそれは、エミールだけのせいではないようにも思えた。
「いえ、エミールさんはそうせざるを得ないくらいに悲しかったんですよね。奥さんを亡くされて」
静かにささやくと、彼は無言のままかすかにうなずいた。
「セルジュも、やっぱり悲しかったんです。そして、彼はあなたに甘えているんだと思います。あなたにならこの悲しみをぶつけてもいいと、受け止めてもらえると、心のどこかでそう感じているんだと思いますよ」
顔こそ怖いけれど、セルジュはかなり気遣いのできる人だ。突然ふらりと現れた正体不明の私にも、とてもよくしてくれている。
年よりも大人びて見えて、町の人たちにも信頼されている彼。けれどエミールと顔を合わせている時だけは、すねている子供のようにも見えるのだ。
今は、リュシエンヌとの結婚話と離れの件で余計に意固地になっているようだけれど、彼だって理解してはいるのだ。いつまでも、思い出にすがって生きてはいけないのだと。残された者たちは前を向いて進んでいかなくてはならないのだと。
彼の話しぶりから、その態度から、そのことは容易にうかがい知れた。……もっとも彼は、そんな思いをエミールに告げるつもりはないようだけれど。やっぱり彼は、エミールに甘えている。
「……君の目には、そう映っているのですね。ならばそれは、私にとっては朗報です」
エミールの表情が、ふっと緩む。
「ぎくしゃくしてしまった私たちですが、いつかまた、昔のように穏やかに過ごしたいと、そう思っていました。五年か、あるいは十年か……あの子が心を開いてくれるまで、待っているつもりだったのです。君のおかげで、自信が持てました」
ほっとしたような顔をしていた彼が、突然真剣な表情になる。その雰囲気に、思わず背筋を伸ばした。
「ただ今は、そう悠長なことを言っていられそうにないのです」
「……セルジュに何か、あったのですか?」
「はい。あれは、一年ほど前のことだったでしょうか。あの子が時折、こそこそと町に出ていくようになったのです。それも、やけに後ろめたい顔をして」
こそこそしているセルジュ。いまいち想像がつかない。
「下町で遊ぶくらいなら、私はとがめはしません。あの子ならそういった場所でもうまく立ち回れるでしょうし、いい勉強になりますから」
そしてエミールはエミールで、さらりとそんなことを言っている。一人息子に対してそう言い切れるって、すごい度胸だ。
「ただどうやら、あの子は私に隠れて何かしているようなのです。それが何なのかは分かりません。ただ、胸騒ぎがするのです。取り越し苦労であれば、いいのですが……」
「あの、でしたらいっそ、正面切って本人に尋ねてみればどうでしょう? 本気で心配しているんだって分かれば、セルジュだって……」
私の提案に、彼はそっと首を横に振った。穏やかな苦笑を浮かべて。
「そう簡単にいかないのが、父と子なのですよ。悲しいことに、父親とはどうにも不器用なものですから。……バルニエ伯爵も、リュシエンヌさんにどう接していいのか分からなかったかもしれませんね」
そう言われてしまっては、何も言い返せない。私の父がとびきり不器用なのだと、つい今しがた思い知らされたところだったから。かといって、まだ父と歩み寄る気分ではない。なるほど、セルジュもこんな気持ちなのかな。
口をつぐんで目を伏せたら、えりに飾ったブローチがちらりと見えた。雪の結晶のようなそれは、やはり私の思いをまるで無視するように輝いていた。
「私は、うかつにあの子に干渉できません。そんなことをすれば、なけなしの信頼すら失ってしまいかねないのです」
エミールがゆっくりと頭を下げ、重々しくつぶやいた。
「ですからどうか、あの子をお願いします。……あの子は、君に対しては心を開いているようですから。君が聖女だからなのか、あるいは……」
セルジュを気にかけておく。彼の不可解な行動に目を光らせる。それくらいなら、お安い御用だった。だいたい、私もセルジュに何かあったら嫌だし。だから、エミールがこんなにかしこまる必要なんてない。
そんな思いを込めて、ことさらに明るく答える。
「はい、任せてください。僕にとっても彼は、大切な友達ですから。……でも、聖女がどうとかこうとかは、関係ないと思います。彼は最初から、聖女なんて信じていないみたいでしたし」
するとエミールが、いたずらっぽく目を細めた。
「ふふ、実はあの子は、昔は聖女に憧れていたんです。聖女の絵本が大好きで、何度も読み返していましたよ」
予想外の言葉に、ぽかんと口を開けたままエミールを見つめる。それがおかしかったらしく、エミールは小さく笑った。鋭い目つきが、ふっと和む。
「え、じゃあどうして……」
「……私に影響されてしまったようなのです。まだ妻が存命の頃、ある日突然、あの子の態度が変わりました。『俺はまだ聖女を見ていない。その力も本当かどうか分からない。だから俺は、冷静に聖女について見定める』と生真面目に宣言したんです」
えっと、エミールの妻は五年前に亡くなったのだから……その宣言をした時のセルジュは、十三歳よりは前か。きっと、かなり微笑ましい光景だったんだろうな。
「ところで、私がこの昔話をしてしまったことは、あの子には内緒にしておいてくださいね? もしばれてしまったら、あの子は二度と口をきいてくれなくなるかもしれません」
ちょっぴり笑いをこらえているような声で、エミールがそう念を押してくる。もちろんです、と答えながら、もう一度決意を新たにする。
これからは、セルジュの動向に気を配っていこう。休みの日の別行動の間に何をしているかとか、それとなく聞き出せるかもしれない。もうちょっと町が落ち着いたら、町に向かう彼を尾行してもいいかも。
そんな私の様子に気づいたのか、エミールは、ようやく安心したような表情を見せていた。
そうやってエミールの頼みを受けてから、私の行動はほんのちょっとだけ変わっていた。いつも通りに暮らしつつも、ちょっと彼の動きに目を配るようになったのだ。特に、一人で出かけていく時は。
彼が町に向かうのは、だいたい数日に一度。数時間くらいで戻ってくる。戻ってきた彼に、おかえり、と明るく言いながら、さりげなく近づいて服を確かめてみた。
彼の服からは、特に何も臭ってはこない。ということは、行先の候補から料理店と酒場は外せる。汚れても乱れてもいないから、ええと……いかがわしい店も外せそう。
「ねえ、どこに行ってたの?」
「町の散歩だ。ほら、土産の干し果実だ」
「わあい、ありがとう!」
回りくどいのは苦手なのでそのまま尋ねてみたら、彼は短く答えて、おいしそうな干しリンゴをくれた。さわやかな甘さに、顔が緩んでしまう……あれ、ごまかされた気がする。
それからも、彼は時々出かけていった。そのたびに、ちょっとした手土産を持って。
毎回おいしく土産をいただきつつ、今日はどこに行ったの? 面白いことあった? と根気強く尋ね続けた。すると彼は、日に日に気まずそうな顔をするようになった。うん、やっぱりこれ、何か隠している。
これは一度、尾行してみたいところだけど……聖女リュシアンが町をふらふらしていたら、間違いなく目立つ。あっという間に町の人たちに声をかけられて、セルジュに見つかって終わりだ。
うーん。もっと別の変装も、できるにはできるんだけど……既に自分の正体を偽っている現状で別の変装をしたら、さらにややこしい事態を招きかねないし。普段から変装しているなんて疑われることだけは、あってはならない。エミールは例外としても。
仕方ない、もう少し様子見かな。セルジュがお土産に持ってきた柔らかなチーズを受け取りながら、そんなことを考えていた。
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