第14話 お母様との秘密のお喋り

『……って、あら? あなた、どうして男装しているの? しかもそこ、いつもの自室じゃないわね?』


 鏡の中の女性は、小首をかしげて不思議そうにつぶやいた。


 彼女のおもざしは、私にとてもよく似ている。生き生きとした表情も、美しい銀の髪も、澄んだ青い目も。というか、正確には私が彼女に似ているのだ。だって彼女は、私の母親なのだから。


「うん、母さん。色々あって、しばらくはこっちの姿でいないといけないんだ。ここも、バルニエの屋敷じゃないし」


 苦笑しながらそう答えると、お母様が目を丸くする。興味もあらわな表情で、もどかしそうに口を開いた。


『まあ、こうして手鏡越しに何度もあなたと話してきたけれど、あの屋敷以外でおしゃべりするのは初めてね。もちろん、事情は教えてもらえるのよね?』


 私が九歳の時、お母様の手紙が届いてから、ずっと私とお母様は手紙のやり取りをしていた。間に何人も協力者を挟み、手紙を転送してもらう形で。父に見つからないよう、こっそりと。


 そしてある時、お母様が手紙と一緒にこの手鏡を贈ってきた。二つが対になったこの手鏡を用いることで、離れたところにいる人間同士が顔を合わせて話すことができるのだ。


 生まれて初めてお母様と顔を合わせた時、私たちは二人とも泣き崩れた。私たちがそっくりだったことが、元気だったことが、嬉しくて。


 一通り再会を喜んでから、私はお母様に尋ねた。「こんなに素敵なものを、どうやって手に入れたのですか」と。


 そうしたらお母様は、『これ、ソナートの国宝よ。今の私の夫にお願いして、譲ってもらったの。どうしても娘と話したいの、って言って』という、恐ろしい言葉をさらりと口にした。


 国王に国宝をおねだりして、その国宝を普通の手紙と一緒に送ってくる。普通の神経ではできない。


 ……それはまあ、私の置かれた状況を考えると、さりげなく普通の手紙に忍ばせるのが一番確実ではあったけれど。手鏡が父に見つかったら、取り上げられてしまっただろうし。


 ともかく、それから私たちは月に一度、こうやって夜にお喋りをするようになった。真ん丸になった月が、天頂と地平のちょうど中間まで昇ってきた時。それが、お喋りの開始の合図だ。


 いつもなら、ちょっとした身の回りのできごとを気ままに話し合う。けれど今回は、とにかく説明しておかなければならないことが多かった。


 声をひそめつつ、お母様にこれまでの事情を説明する。お母様は青い目をきらきらさせて、楽しそうに微笑んでいた。


『うふふ、面白い偶然ね。……でも世の中って、案外そういうものかもしれないわ。私がバルニエの家を出て、こうしてソナートの王妃になったのも、不思議な偶然の結果だもの』


「確かに、そうかも……経験者の言葉は違うね」


『でしょう? 修道院に逃げ込んだはずが、気づけば隣国にいて……すっかり人間不信になっていた私の心を、ある男性が癒してくれた』


 もう何度も聞いた、お母様の思い出語り。もっとも、その詳細については教えてもらっていない。突っ込んで尋ねてみたこともあるけれど、あなたがもっと大人になったらね、と毎回そう言ってかわされてしまうのだ。


『その男性に求婚された時は、戸惑ったわ。あなたを残して出ていった私が、勝手に幸せになってもいいのかって』


 だから黙って、話に耳を傾ける。


『そんな私に、その人は根気強く接してくれて……その熱意に、私はついにうなずいた。でもそうしたらあの人、実は自分は王子なんだって言い出すし。あの時は、さすがに何がどうなっているのか、分からなかったわ』


 もう四十近いのに、少女のように可憐な表情で、お母様がうっとりとつぶやいている。娘である私が言うのもおかしな話だけれど、お母様は可愛い。


 私の温かい視線に気づいたのか、お母様がはっと我に返った。そうして澄ました顔で、もっともらしく語りかけてくる。


『ともかく、そこまで偶然が重なったのなら、きっとあなたがそこにいるのもまた運命なのよ』


「そうかな。ここからどうなるか、ちょっとひやひやしてるけど」


『ふふ、気軽に楽しんでもいいと思うわよ。そうねえ、私の感じたところだと…………ねえリュシアン、そのセルジュって人、いい男なの?』


 ちょっぴり前のめりで、お母様が尋ねてくる。お母様は、明らかに面白がっていた。


 それも仕方ないだろう、私はずっと「恋愛はしない、結婚もしない」と言い張っていた。そしてお母様は、そのことをずっと残念がっていたのだ。バルニエ伯爵は確かに嫌な男だけれど、外に目を向ければ素敵な殿方もいるのよ? と。


 ところが偶然の数々に振り回されて、私は夫となっていたかもしれない男性の屋敷に滞在しているのだから。……ってちょっと待って、どうしてそこでセルジュの名前が?


「僕が結婚させられそうになったのは、父親のエミールのほうだよ?」


『そうね。でもエミールさんとあなたとの結婚には、何か事情があるわ。政略結婚のように見えるけれど、何かが違う気がする』


「根拠は?」


『女の勘よ。あ、今ちょっと馬鹿にした? 結構当たるんだからね、私の勘は』


 鏡の中のお母様が、自信たっぷりに胸を張る。


『あなたがそういう仲になるとしたら、それはきっとセルジュのほうよ。で、どうだった? 彼』


「母さんったら、本当に好きだね、そういう話……僕、恋愛には興味ないんだけど」


 わざとらしくため息をついて、それから少しずつ思い出してみる。まあ、彼のことを話すくらいなら、別に構わないし。


「そうだね……無愛想で目つきが悪いけど、結構いい人かなと思う。割と律儀だし、僕を守ろうともしてくれた。それに僕が好き勝手やっても、呆れつつ大目に見てくれた」


『あら、いい感じね』


「あ、でも、間違いなく女性慣れはしてない。というか、女性が苦手みたいだ。近づかれると、どうしていいか分からなくなるみたいで。今は僕のことを男だと思ってるから、あんな風に自然にふるまえてるんじゃないかな」


 女装して迫ってやろうか、とからかった時の、真っ赤になったセルジュの顔が脳裏をよぎる。ちょっと可愛かった。


『あら、素敵だわ! 私、今後の展開が楽しみになってきたわあ』


「あいにくと、面白いことにはならないよ。聖女の騒動が落ち着いたら、僕はここを出ていくつもりだし」


『でもそれは、かなり先の話になるんじゃないかしら? ふふ、マリオットの方々と、仲良くね』


「はいはい。で、そっちはどう? 何か変わったこと、あった?」


『そうねえ……ルイが、あなたのことを気にしているの』


 ルイというのは、お母様がソナートに嫁いでから産んだ子で、ソナートの王太子だ。とはいえまだ十歳の、可愛い弟だ。


『姉様に会いたいって、こっそりそう頼み込んでくるのよね……』


 お母様は難しい顔をしている。それも仕方がない。私がいるレシタル王国と、お母様がいるソナート王国は、現在国交がない。


 先代レシタル王の時代は、まだ普通に国交があった。でも現レシタル王に代替わりした時に、現レシタル王は先代ソナート王を思いっきり怒らせたらしい。それ以来、二国の交流は途絶えた。


 その結果、レシタルとソナートの貿易もなくなった。上質なソナートの作物や物品が一切入ってこなくなって、レシタルはさらに弱体化していった。


 一応、民が飢えずに済むくらいの食糧は生産できているのだけれど、結構かつかつなのだ。そのせいで、余計に国は不安定に……こうして挙げてみると、ほんといいところないな、レシタル王。


「それはまだ難しいね。僕も、一度彼とは話してみたいけど……」


『そうよねえ。このお喋りに交ぜてあげてもいいのだけれど、一応あの子も王太子だし、ちょっと立場上難しいのよね。私には、実の娘と話すんだって理由があるからいいのだけど』


 お母様はため息をついて、視線をそらす。そのまま、とんでもないことを言ってのけた。


『まあ、レシタルはもって数年といったところでしょうし、あと少し辛抱なさいって言い聞かせているところなの』


「母さん、身も蓋もなさすぎ……」


『だって、事実でしょう。国交こそないけれど、そちらのことはきちんと調べているのよ』


「ともかく、ルイにはこう伝えておいて。『私も、あなたに会える日を楽しみにしているから』と」


 声をひそめた私たちのお喋りは、それからも続いていた。

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