娘さんを僕にください

佐々井 サイジ

第1話

 ソファーに座ると、尻がズブズブと沈みこんでいった。二十年近く使用し、いつも左端に座っているので、すっかり中身のスプリングが機能していないようだった。広田健治ひろたけんじは大きなあくびをしながらリモコンをテレビに向けた。十二月二十八日になり、会社も休暇期間に突入した。

 健治は午前中に妻の美香みかと食材の買いだしに行き、さきほど帰ってきたきたところだった。いつものスーパーではなく、車を三十分余計に走らせて大型ショッピングモールに向かった。そこはアパレルショップがひしめき合っており、若者が行くところだと思っていたので健治は気が向かなかったが、妻の美香から連れて行ってほしいと言われたら断ることはできない。言ってみると通路の間にある椅子には、老人が肘をついて寝ている光景が目立った。健治と一緒で早起きして買い物に付き合わされたのだろうと推測した。

穂乃花ほのかが帰って来るから、やっぱりちょっと気合い入れて料理したいの」

 いつも気合い入れてないのか、と嫌味を言おうとしたが喉に引っかかった。これが幸いだった。口に出してしまえば些細な言い合いになり、険悪な雰囲気になっていたのかもしれない。最も口達者な美香に献花を挑んで勝ったことは一度もない。何より包丁を握れば必ず切り傷を作ってしまうほど手先が不器用なので、からっきし料理ができない。美香が健治の食事できるかどうかを握っているので、機嫌を損ねるわけにはいかなかった。

美香が二人目を妊娠して里帰り中、当時四歳の穂乃花と二人でくらしているときに、自炊したことがあった。包丁を肉で切ったときに指の肉も切ってしまい、食材か自分の肉からでた血なのかわからないことが続いたことが懐かしかった。

 階段を下りてくる音が聞こえる。寝癖を拵えた遥斗はるとだった。遥斗は大学の講義機関も冬休みになっても起きてくる時間は変わらず昼過ぎだった。三回生になってある程度単位を取り終えた遥斗はサボることを上手に覚えたらしく、出席必須以外の授業はたいてい昼まで寝ているか、友人の家に泊まると言って帰ってこない。

「姉ちゃんは?」

 遥斗があくびをしながらキッチンに立つ美香とソファーでテレビをつけたばかりの健治を交互に見た。

「あ、もうすぐ着くって、さっき連絡来てたよ」

 遥斗は誰かが答える前に先にチャットアプリを確認しているようだった。遥斗につられるようにスマートフォンを見ると、『あと十分くらいで着く!』と穂乃花から送られてきていた。

「え? 思ったより早いな、ちょっと待たせちゃう」

 美香のつぶやきはほとんど換気扇の音にかき消されてしまった。遥斗はソファーに座らず、洗面所の方へ消えていった。テレビもそんなに面白い番組はやっていない。昔と比べて制作力が下がったのか、健治自身の趣向が変わったのか判断がつかなかった。それよりもテレビラックにうっすらと白い埃が積もっていることが気になった。

 テレビラックの上をモップで拭いていると、インターフォンが鳴った。ドアフォンを見ると、やはり穂乃花が映っている。その横には穂乃花と同年代の若い男が俯き加減で立っていた。

「またか……」

「何? なんか言った?」

 思わず漏れた独り言は換気扇の音をすり抜けて美香に届いてしまった。

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