第15話 凶獣の襲撃
「ウラギリモノ、コロス、コロス……」
ほうきを持つ手に力を込めて、毛むくじゃらの男を弾き飛ばした。私が割り込んだことが気に入らないのか、それとも警戒しているのか、姿勢を低くして唸り声を上げている。
「やれやれ、まったく面影は残っていないけど……。あれは五郎ね、たぶん」
「えっ? 五郎なんですか?!」
私の推理に結衣が目を見開いて驚いている。喋っている内容から推測したものだが、間違いはないだろう。それなら狙いは結衣のはずだ。二足歩行ではあるが、全身毛むくじゃらで獣のような動き――まるで凶獣という言葉がしっくりくるような禍々しい姿に、思わず鳥肌が立つ。
狙われているであろう結衣を、庇うような位置取りで凶獣に相対する。相手も警戒心が強く、慎重に機をうかがっていた。
少し涼しくなってきた風が頬を撫でる。風下にいるせいで、風に乗って相手の獣臭いにおいが鼻につく。それに耐えきれなくなった私が、まっすぐ向かっていく。それを迎え撃つように振るわれる凶獣の拳。それは私のみぞおちを完全に捉えていた。
「忍法、影隠れの術」
凶獣の攻撃を受けたはずの私の身体は黒く染まり泥のような液体になって地面へとしみ込んでいく。同時に、それの背後に私の姿が実体を伴った影となり色付いていく。
「甘いわ、後ろ――」
「ウガアアアア!」
完全に後ろを取ったはずだった。しかし、まるで最初から知っていたかのように凶獣は私を正面から見据えていた。交錯する視線。その中で交わされる攻防のイメージは一瞬の間に何合もの攻撃を終えていた。
「ちっ」
状況的な不利を悟って、距離を置こうと真後ろに飛んだ。だが、それに追いすがるように距離を詰め剛腕を振るう。
「ウガアアアア!」
「なかなかやるじゃないの。五郎のくせに」
余裕ぶって軽口をたたく。だが、見た目ほどの余裕はなかった。咄嗟にほうきを背中に差して、ちり取りを両手に持って拳を受け止める。
「うぐぐ、これ、は、厄介、ね……」
「ウガアアアア!」
先ほどよりも腕の力が上がっている。先ほどは押し返せた攻撃と同じように見える。だが、今度は私の方が押されていた。一瞬だけ力を抜く。そのまま凶獣が拳を振り抜く隙と勢いを使って、後ろに弾き飛ばされるように退がった。
「きゃっ! だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫。さて、反撃といきますか! 結衣は少し離れてて!」
悲鳴を上げる結衣に無事を告げる。ちり取りの代わりにヘラを数本取り出して、凶獣の足元に向かって投げつける。それによって動きを止められる凶獣。その隙に懐から小麦粉を取り出した袋を凶獣に投げつける。
「グガァ? ガルルル!」
袋を叩き落とそうとした凶獣の手によって、小麦粉が舞う。結衣が十分に離れた頃合いを見計らって、印を組む。
「忍法、火遁の術」
久々に使う忍びの里の技。それは、凶獣の目の前に炎の柱を作り出す。
「グルウウウウ!」
苛立ちを露にする凶獣。だが、それも長くは続かなかった。激しい光と音を伴って、小麦粉が燃える。粉塵爆発だ。
一瞬とも永遠とも思えるような爆発が収まり、白い煙がもうもうと上がる。煙の中から、爆発前と同じように見える凶獣の姿が浮かび上がった。
「これでも無傷なの?」
想定外に丈夫な凶獣に、思わず悲鳴のような声を上げてしまう。だが、煙が晴れても凶獣は突っ立ったままだった。よく見ると、あちこちの毛が焦げて、黒い煙が上がっていた。
「まったく無駄ってわけじゃない、ってことね……」
だが、あそこまでやって、かすり傷程度のダメージではかなり厳しい戦いになるだろう。私は改めて気合を入れなおすと、凶獣に相対する。
「やれやれ、これは貧乏くじどころじゃないわね」
「グルルル……ユイ……ウラギリ……コロス……カナラズ……」
凶獣は身をひるがえすと、茂みの中へと消えていった。
「どうやら撤退してくれたみたいね……。正直言って、助かったわ」
「彩愛さん。さっきの爆発はいったい」
「小麦粉よ。粉塵爆発って知ってるでしょ?」
結衣はコクリとうなずく。
「でも、何で小麦粉なんて……」
「あら、小麦粉って掃除に使えるんですよ。油汚れなんかを落とすのにね」
私の説明に得心する部分があったのか、二度三度うなずく。それから私の目を見て、問いかけてきた。
「なるほど……。それで、あの怪物は五郎なんですか?」
「そうよ。どうやら悠斗と結衣が裏切ったと思って恨んでいるようね」
私の言葉に、結衣は口を右手で覆う。彼女の顔色は急激に悪くなっていく。
「そんな、どうして……」
「結衣は、五郎があんな感じになると言うのは知ってたの?」
「いえ。ですが、私が小さい頃から、村で毛むくじゃらのお化けが出ると言う噂はありました。ですが、犠牲者が出たことは一度も……」
本来なら無害な存在なのだろう。だけど、今の彼は寝取られたことによる恨みによって幼馴染や悠斗への殺意に支配されているように見えた。下手をすると一般人が巻き添えになる可能性も否定できない。
「今晩は大丈夫だと思うけど、念のため同じ部屋に泊まることにしましょうか」
「いいんですか? ご迷惑じゃ……」
「気にしなくていいわよ。正体がアイツだとしたら、ぶん殴ってでも止めなきゃだしね」
「やっぱり、彩愛さん。五郎のことを気にかけているんですね」
結衣はまだ、私と五郎の関係を疑っているようだ。いや、単に自分に自信が持てていないだけなのかもしれない。五郎が無駄な行動力を発揮するのとは対照的だ。
「エリクサー」
「えっ?」
「結衣が死にかけていた時に飲ませてあげたでしょ?」
「あ、えっ? エリクサーをですか?」
彼女が死にかけていた時に、エリクサーを使ったことに驚いているようだ。何しろ一本三千万もするような秘薬だ。一般人に手が届くような代物ではない。
「あの状態じゃ、それ以外に助かる道はなかったわ。アイツもね。初めて会った時は似たような状態だったのよ。それでエリクサーで助けてあげたのよ」
「わ、私が五郎の分まで返します。だから……」
全身を震わせながら、絞り出すように話す結衣の頭を撫でる。
「別に返そう、なんて思わなくてもいいわ」
「分かりました。命に代えても、恩返しできるように頑張ります!」
意気込みを見せる結衣の頬を両手で挟む。
「にゃ、にゃにをしゅるんでしゅか」
「『命に代えても』なんて言っちゃダメ。恩返しするつもりなら、全力で生きなさい。死んだらただのゴミよ。元がどんなに偉くても、強くても、天才でもね!」
そこまで言われて、やっと理解したのだろう。頬を挟まれながら、大きくうなずいた。私はにっこりと微笑むと両手を彼女の頬から放す。
「ま、今日は遅いから、ゆっくり休んで。明日、協会に報告に行きましょ」
リンリンという微かな虫の声を聞きながら、雑音のない道を駅前に向かって歩き出した。
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