第17話
土曜日。今日は湊の試合がある日だ。俺は水筒と帽子を持って家を出る。今日の試合は岸和田商業のグラウンドで行われるらしく、相手チームがわざわざうちの学校に来てくれるそうだ。
学校に着くと、既に伊吹は到着していたようで、俺に向かって手を振ってくる。グラウンドの中には入ることができないので、外から見ることになるが伊吹は案外平気そうだった。
試合が始まると、伊吹は小さく「頑張れ」と呟いた。
試合はエースの湊が三者凡退で抑えてスタートを切った。その裏の攻撃であっさり一点を先制し、勢いに乗る。
だが、俺は湊を見て異変に気付いていた。
「湊のやつ、調子悪そうだぞ」
「え、わるかの」
「まあ付き合いが長いからな」
今日の湊は隠してはいるがどことなく体の動きがぎこちない。本調子ではないのだろう。俺の不安は的中し、二回の相手の攻撃で連打を浴び、四球が重なってピンチを招く。今日の湊はコントロールも定まっていないようだ。そして案の定、次のバッターにタイムリーを打たれ、逆転を許した。野球というスポーツはエースの出来が試合運びに大きく関わってくる。そういう意味では本調子ではない湊をどこまで引っ張るかというのが鍵だった。
試合はそのまま進行し、両者膠着状態で迎えた七回。ついに湊が集中打を浴びてしまう。ビックイニングを作られ万事休す。試合はそのまま六対一で敗れた。
「あーあ、負けちゃった」
「まああの出来じゃしゃーないわな。継投しなかったベンチの責任だ」
「湊励ましに行こうよ」
試合が終わったので中に入ることができる。俺たちはグラウンドの中に入ると、野球部の方へ歩き出す。
すると、野球部のマネージャーらしき女子が俺たちに声を掛けてくる。
「どうしました」
「ああ、湊の知り合いで。ちょっと励ましてやろうかなって」
「ありがとう。でも、まだミーティングがあるから」
そう断られ、伊吹はすごすごと引き下がる。そのマネージャーは湊の元に行くと、タオルを手渡していた。湊もマネージャーに感謝をし、それを見つめる伊吹の表情が強張っていく。
「あの子可愛いね」
「だな。湊からすればマネージャーで支えてもらってる分、評価は高いだろうな」
「うぐぐ……」
伊吹が歯ぎしりしながら唸っている。傍から見ると湊とマネージャーはお似合いだった。長い黒髪をポニーテールにまとめた清楚な感じで、美少女。野球部の為に尽くしてくれる存在。男として惚れないほうが稀なぐらいだろう。
「強力なライバルの登場だな」
「やっぱりライバルだよね」
「そりゃそうだろ。現時点ではお前はあの子に突き放されてるぞ」
伊吹は溜め息を吐くと、首を横に振る。なんとかマネージャーの幻影を振り払おうとしているのだろう。だが、目の前でマネージャーは湊と冗談を言い合っては笑っている。
見れば見るほどお似合いな二人に、伊吹の形相がゆがんでいく。
「いいもん。私はアニメで湊と仲良くなるもん」
とうとういじけてしまう。そんな伊吹を励ましながらしばらく待っていると、湊がやってきた。
「おー来てくれたんだ」
「応援にきたけど、負けちゃったね」
「いやーやられたわ。反省反省」
「お前またアニメ見て夜更かししただろ」
俺がそう言うと、湊はぎくりと固まった。
「いや、楽しみにしてたやつがあったからさ」
「試合前ぐらい自重しろっての」
「あはは、さすがは晴彦。手厳しい」
湊とは付き合いが長い。だからこいつが何で調子が悪かったのかはだいたいわかる。寝不足だ。普段の出力の半分も出せていなかったんじゃないか。
「いやでも伊吹が来てくれたの嬉しいわ。野球興味無さそうだったのに」
「この間プロの試合見に行ってはまったの。これからはちょくちょく応援行くからね」
「おう、それは頼もしい。俺もいいとこ見せられるように頑張るな」
湊はにこっと歯を見せて笑うと、伊吹の肩を叩いた。それに顔を赤くした伊吹が反射的に拳が湊の鳩尾にめり込んだ。
「き、気安く触るな!」
「わ、悪かったよ」
湊は苦笑しながら腹を摩る。まあ、湊の鍛え上げた腹筋では、伊吹のパンチなんて特にダメージはないだろうが、それにしても相変わらず特訓の効果はなさそうだ。
伊吹は自分で気づいたのか俺を見てアイコンタクトで謝ってくる。俺は別に構わんがお前の評価が落ちるだけだからな。
「湊くん、ミーティングだよ」
不意にマネージャーが湊を呼びに来る。
「おう、今行く。それじゃな。またあとで」
湊は手を上げて走り去っていく。マネージャーに突っ込まれ、鼻の下を伸ばしていた。それを見た伊吹がますます落ち込む。
「こんな暴力女じゃ、駄目だ」
「ああ、駄目だな。特訓の効果はなかったようだな」
「だって、いきなり触られたからびっくりしちゃって」
「そのいきなりでも耐えられるようにならなきゃな。余裕を持った女が最後は勝つんだぞ。今のお前には余裕がなさすぎる」
「はい、その通りです」
がっくりと肩を落とした伊吹に、俺は不意に頭を撫でてみる。
「え」
驚いた伊吹はその場で固まる。
「なんだ、できるじゃないか」
「いや、今のは驚きすぎて力が抜けただけで」
伊吹は顔を真っ赤にしながら俯く。どうやら効果はまだまだ無さそうだ。
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