〈五〉真夜中の逢瀬
初夜の失敗から、三日。未だ夫婦の寝室に
宵藍の仕事場に赴いた夜もそうだった。自室で
だがこうも毎日空振りが続くと、どうしても気は滅入ってくる。昼間は侍女達が朱華を楽しませようといろんな話をしてくるが、夜は別。夜は夫婦の時間だ。優秀な侍女達は決してそれを邪魔することはないから、夫婦の寝室にいる以上、朱華は一人だけとなる。
広い寝台に、ぽつんと独り。初夜の嫌な記憶が蘇る。ここに、いい思い出はまだない。それが一層朱華の気持ちを暗くして、思考すらも嫌な方へと引き寄せられてしまう。
「いつでも子供ができるわけじゃないのに……」
教育係に教えられたことを思い出す。女性には月のものがあり、それに合わせて日々身体が変化する。一月の中でも子ができやすい時期とそうでない時期があって、方術によりある程度は見分けられるが、それも確実ではない。
宵藍は軍人だが、同時に方士でもある。それもかなり優秀な方らしい。
それほどの実力があるのなら、宵藍には子のできやすい時期の見分けもできるだろう。もしかしたらその上で、どうせ子のできにくい時期だからと朱華を避けていることだってあるかもしれない。ただでさえ朱華と交わりたくないのに、役目を果たせる確率が低い時期とあれば余計に彼を後ろ向きにさせるはずだ。
なんて都合良く考えてみても、多分そうじゃない、と朱華には確信があった。
「なんで協力してくれないの……」
不満が、どろりと溢れ出す。
何故自分ばかりがこんなに心を砕かなければならないのか。宵藍だって一度はこの役目を受け入れたのではないのか。だから結婚したのではないのか。それなのにいざその時になったらやっぱりやめたなどと、そんな無責任なことがあっていいはずがない。
「わたしは子供が欲しいだけなのに……!」
それが役目。そして、望み。己火にはもう納得したと言ったが、実際のところ過去の自分に関する記憶がないせいで、未だに足元のおぼつかなさを感じることがある。
そのぼんやりとした不安が、子を持つことでなくなるかもしれない。そんなことはないと思っても、時折どうしてもそこに希望を持ってしまうのだ。
「……何も、夜伽だけが子を持つ方法じゃない」
朱華はきゅっと唇を噛み締めると、上着を羽織って寝室を後にした。
§ § §
静かな館の廊下に、コツコツと小さな足音が響く。昼間であれば耳を澄まさなければ聞こえないであろう大きさ。しかし夜の静けさが、その足音を際立たせる。
その足音の主はある部屋の前までやってくると、躊躇うことなくその扉を開けた。なるべく大きな音を立てないようにするりと身を滑り込ませ、扉を閉める。そうやっていつもどおりの動作を完了しようとした時、その扉がぐっと外から押し開けられた。
「ッ!?」
予想外の出来事に、足音の主――宵藍は目を見開いた。咄嗟に扉を掴んでそれ以上開かないように止める。と同時に警戒を顕にし、扉を開いた人物に目を向けた。
相手の姿が視界に入る。驚きが、更に強くなる。
「……朱華様」
一体どうやって、と言いたげな声だった。目の前にいる朱華はただの少女。不死鳥ではあるが、不死であるという以外に特別な力を持たないはずなのだ。
そんな相手が軍人である自分に気付かれないよう隠れ、その上こうして近付いてきたのだから驚き以外の何物でもない。しかもその目はなかなか鋭いときた。状況を把握しきれず、宵藍の喉がこくりと動く。
だが、不意に感じ取った気配で全ての疑問は解決した。
「己火様ですか」
不死鳥に仕える、謎の
妖魔の類は長命だが、己火ほどの長寿となってくるとそれは妖魔というより神に近い。しかも彼は人の姿を取り、人語も操る。その上人間の考えを理解したように振る舞うこともできるのだから、不死鳥との関係性を考えても到底人間が相手にしていい存在ではないのだろう。
過去の人間も同じ結論に至ったからこそ、誰も己火を無下には扱わない。朱華と同じように敬い、しかしできるだけ距離を取っている。
その己火の気配を、すぐ近くに感じた。ならば朱華が身を隠す手伝いをしたのは彼だ。方士として大抵の術者の術には気付ける自信はあるが、相手が神に等しい存在ならばそれも及ばない。
「そこまでして何の用ですか」
答えない朱華に問いを重ねる。すると朱華は後方、己火の気配のある方をちらりと見て、そしてすぐに宵藍を見据えた。
「お部屋に入れてくださいませ」
「……夜這いですか?」
己火の去った気配を感じながら、朱華に答える。「少し話をしたいだけです」と言ってきた彼女に、宵藍は少々考えを巡らせた。
自分が既に朱華の面子を潰してしまっている自覚はある。その上ここで言い争う姿を侍女達に見せれば、朱華の世話をする時の彼女らの態度すら変わってしまうだろう。それを思うと、これ以上恥をかかせるのも忍びない。自分は朱華と契りたくないだけで、貶めたいわけではないのだ――そこまで考えると、宵藍は仕方がないか、と扉を持つ手に込めた力を緩めた。
朱華を部屋に招き入れ、寝台から離れた場所にある椅子に座るよう促す。机を挟んで反対側の椅子に自身も腰掛けると、「それで、用件は?」と話を切り出した。
「己火様にまで協力を頼むだなんて只事ではないですよ」
己火は基本的に人間には不干渉だ。朱華の命令なら聞くが、その朱華は記憶を持たないただの少女。そんなだいそれた命令など出せるはずもなく、そのせいもあって朱華の近くにいる人間は、己火を畏怖しつつも、自然現象か何かくらいにしか思っていない。敬意さえ忘れなければ特段気にしなくていい存在――それが己火だ。
それなのにそんな彼にわざわざ手伝いをさせるなど、周りに知れたら大きな騒ぎになりかねない。
「己火を使ったのはごめんなさい。そうしないと宵藍様とお話ができないと思ったので」
「先日軍部にまで押しかけて来たのに?」
「あれもあまり何度もしたいことではありません。お仕事の邪魔になったのは間違いありませんから」
意外とまともな朱華の発言に、宵藍の肩から少しだけ力が抜ける。しかしそれとこれとは別だと思い直すと、「では何故?」と追求を続けた。
「あなたと話すことはないと思います。私達が夫婦となったのは子を成すため……しかし私にあなたを抱く気はありません。あなたが望むなら、いつでも離縁を受け入れる心づもりです」
宵藍が言えば、朱華はくっと眉を八の字にした。
「何故そういじわるをおっしゃるのです。離縁を望まれるのであればあなたから申し出ればいいではありませんか」
「私の立場では無理です。ご存知でしょう?」
朱華の唇に力が入る。この国では夫婦として朱華と宵藍は対等の立場ではあるが、それはあくまで形だけ。朱華は不死鳥で、不死鳥はこの土地の守り神なのだ。今は人の姿をしているが、この土地の者は朱華のことを本心から人間だとは考えていない。
だから宵藍は朱華に逆らえない。人間の身で神に楯突くことと同じだからだ。そのことに朱華は少しだけ寂しさを感じながらも、こんな夜更けまで宵藍を待った理由を思い出し、すうっと息を吸い込んだ。
「まだ離縁はしません」
「……では話は終わりですね。部屋まで送りましょう。流石にあなた一人をこの時間に返すのは体面が悪い」
そう言って宵藍は自身も腰を上げながら朱華を立たせたが、朱華が歩き出すことはなかった。面倒だな――相手の態度に顔を顰める。
あとは何が問題なんだと問いかけようとした時、朱華が宵藍の着物の袖を引っ張った。
「子種をください」
そう告げた朱華の目は、至極真剣なものだった。
§ § §
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます