ゆかりの喫茶探訪 こだわりブレンド編
亀有にやってきた。小さな公園の前を通ると、とても古いおまわりさんの銅像が目に入る。へー、何かの作品の聖地だったらしい。わたしは自称レトロマニアだけれども、昔の漫画とかアニメまでは履修しきれてないんだよね。
今って世の中にアニメや漫画はどれくらいの数あるんだろう。間違いなく、ひとりの人間が一生をかけても見きれないくらいはありそうだ。
それはそれとして。今日わたしが亀有へ来たのには理由がある。この前出会った2人のバスカー……れんげちゃんとマナナンさんのライブを見るためだ。
あの日以降もたびたび、わたしはタイミングが合えば2人の演奏を聴きに行っている。わたしが意識的に誰かの演奏を聴こうとするのは、自分自身でも珍しいって感じる。よく分からないけど、これが『推し』というやつなんだろうか。
〈QuShiBo〉に上がっていたライブの予告時間までには、まだちょっとだけ余裕がある。そう、ちょうど喫茶店でコーヒーを1杯いただけるくらいの余裕が……。
「……お、あった」
視界上で開いた地図アプリのピンと、目の前にあるお店が重なった。小さな路地の角にあるこちらが本日のカフェタイム会場、『純喫茶ひだまり』だ。外見はドーム状というか、丸みを帯びていて、シックな茶色がどこか懐かしい感じの可愛らしさを出している。
ドアをそっと開けると、ドアベルが控えめにチリン、と鳴った。ちょうど後ろの車道をトラックが通ったせいで、ちゃんと音が届いたか心配になる。けれどすぐに、カウンターの向こうから柔らかな声がした。
「いらっしゃーい」
お店の中は小ぢんまりとしていて、カウンターに5席ほど、テーブル席は奥に1つだけ。天井から吊り下がる照明は暗めだけど、空間全体をほんのりと暖色に染めている。アイボリーな色味の壁には写真やオブジェがたくさんかけられていて、レトロチックな雰囲気があった。この感覚は大好きだ。なんていうか、生まれるよりもずっと昔の時代のはずなのに感じる懐かしさっていうか。
カウンターの内側に立っているのは1人のおじいさん。髪は白くて、両目は眼鏡みたいに丸いフレームのサイボーグ眼になっている。細身だけど背筋はシャキッと伸びていて、にこやかな口元は老いを感じさせない。
「お1人さんかな? どうぞ、お好きな席へ」
気さくそうな声色でそう言われ、わたしは端に腰を下ろした。メニューは小さな紙で、カウンターにセロハンテープで留められている。小さな紙。ここに載ってるのが全メニューってことかな? 食べ物系はトーストかスパゲッティーの2択で、飲み物はなんとオリジナルブレンドのコーヒーのみ。
なるほどなるほど。小さな空間に少しのメニュー、そしてカウンターに1人だけで立つおじいさん……これは『おじいさんが老後の余暇に開いた個人経営のお店』ってところだね? どうでしょうかわたしの推理は。
まぁそんな考察は置いといて、メニューが少ないなら選ぶのは簡単だ。
「すみません、コーヒーを1杯。ブラックで」
「はいよー。ちょっと待っててね。うちは手で挽いてるからね」
「へぇ、手挽きなんですか?」
「そうなのよ。コーヒーの味ってのは豆の種類だけじゃなくてさ、焙煎や挽いたときの粒度とか、いろーんな要素が関わってくるんだよ」
「確かに、焙煎だけでも深煎り朝煎りでコクとか変わってきますよね」
「そうそう。詳しいね?」
おじいさんの手元からガリガリ、ガリ……と豆の挽かれる音が聞こえてくる。実は手挽きのミルってほとんど見たことないかも。ミルといえば電動が当たり前だし、自宅にあるのだってそうだ。今の時代、効率上はもちろん、精度さえ電動のほうが上手くやれるわけで。けれどこのお店においては手動が大正解。このお店に流れるべき音は、絶対にこの静かで長く続く手挽きの音だ。
手挽きは当然時間もかかる。けれどその間、思いがけずおじいさんとの会話に花が咲いた。話によると、このオリジナルブレンドはおじいさんが原産国を直接飛び回って集めてきたコーヒー豆を使っているんだとか。何と何を配合してるのかは「企業秘密だよ」って教えてくれなかったけど。
「はい、お待たせ」
「おお……!」
側面に蒼く細やかな模様の描かれたカップで、ついにわたしはそのブレンドとご対面した。立ち上る香りは濃密で、それでいてしつこくなくってバランスが取れている。
両手でそっとカップを包み、「いただきます」とつぶやいてひと口。……あぁ、なんて重厚なコク。けれど酸味はほとんどないようでいて、じっと舌に集中すると隠れたそいつを見つけられる。たぶんそれが大事なんだ。酸味のおかげで、『濃厚だけど重苦しくない』ってちょうど良い具合になっている。
「美味しいです。深煎りですか、これ?」
「おっ、カンが良いね。深煎りなんだけど、煎りすぎないってくらいにしてあるんだよ。この焙煎度もたくさん試して見つけたんだよね」
「こだわりがたくさん詰まってるんですね」
おじいさんの目のレンズが、嬉しそうに細まる。
「そう。この味は5年……いや、30と5年かけてたどり着いた味だからさ」
「30と5?」
「ずっとコーヒーひと筋で生きてきてね。若い頃はさ、バリスタの大会とかコーヒーの品評会とか、毎年挑んでたんだよ」
「スゴいですね」
「いやぁ、全然。結局一度も賞は取れないまま、年だけ取っちゃったよ。そうすると段々熱意とかもなくなっちゃって、そのまま定年までしがない喫茶店の店員として過ごしてたわけ」
悔しそう、というよりは懐かしむような声で、おじいさんは続ける。
「けどねぇ、そういう勝ち負けとか名誉とか気にしなくなったおかげで、純粋にコーヒーと向き合えるようになってさ。それで『ただただ、自分が飲みたいと思える味を作ろう』ってやり始めたのがこの店と、そのブレンドなんだよ」
「それで……どうりで、奥深い味だなって思ったんです」
わたしはカップを見つめた。深煎りならではの濃い黒味が、おじいさんの人生を映しているような気がした。
「なーんて。大幅に脚色したブレンド誕生秘話でした」
「ええっ、作り話?」
「はははっ、老人の昔話なんてそんなもんだよ」
ちょっと、感慨深い気持ちになってたのに。煙に巻かれたような気分で、もうひと口を飲んだ。あぁ、この酸味はそういうことなのね。お茶目な人だ。
やっぱりこのコーヒーはおじいさんの人生を映している。本当の話は分からないけど、この味にウソはない。
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