第16話 エスタンシア
『ドラゴン資料館』を後にした私たちは更に南へと進んでいく。それからの景色は代わり映えのしない海岸線が続いていたものの、2、3の漁村を越えた辺りでついに街道は海岸線を離れ、内陸へと向きを変えた。
「明日葉、どーする? このまま海岸線沿いに進むのはむずかしそうだよ?」
「ええ。でも、別に内陸に入っても良いんじゃないかしら。南に進んでいるのであれば、海沿いにこだわる必要はないでしょう?」
「それもそっか」
多分、どこかで道なき道を進むことは最終的にはあり得るかもしれないが、それはまだ南へ向かう街道が伸びている現状では選択しなくても良いはず。
ただ、その街道も徐々に心許ないものへと変わっていった。もう舗装路なんて長らく見ておらず道と言っても土を踏み固めたものでしかなかったが、徐々にその道すらも周囲の荒野と同化しつつあって、ちょっと気を抜いたら見失いそうになる。
もっとも、見渡す限りの大平原だから、多少道から逸れても割と復帰できるけども。
陽乃が懐中時計をアイテムボックスから取り出し、時間を確認する。
「もう4時かー……。明日葉、どう?」
私は陽乃から呼びかけられて魔法を使う。空気中を軽く震わせて周囲の様子を確認する魔法――私はこれを『エコー』と呼んでいるが、それを使ってみると、日が暮れる前に歩いて行ける範囲に集落とか家っぽいものは無さそうだった。
「……これは野営の準備をした方が良さそうね」
「じゃ、今日はここまでかなー。ちょっと街道から外れた場所でテント建てよっか」
「もっとも、そこまで気にしなくても他の旅人とか来なさそうな場所だけどね」
「確かに、今日は誰ともすれ違わなかったよねー」
こんな感じで、海沿いに居た頃は田舎とは言ってもまだ集落が点在していたが、いよいよ1日で行ける範囲に集落が存在しない過疎地域に突入していた。ある意味、私たちの針葉樹林のコロニーよりも僻地である。あそこでも、一応1日で行ける範囲に隣町があったのだから。
そんなわけで、私が風魔法で背丈の高い草は刈りつつ道から外れて適当な場所に移動すると、陽乃がアイテムボックスからテントを取り出して、手際よく組み立てる。
「あ、明日葉ー? 上の方固定してもらって良い?」
「ええと、ここよね? ……というか普通組み立てる前にここは固定するものじゃないかしら」
「まー、明日葉にやって貰えるから良いかなって」
……私の魔法で設営することも踏まえて、正規の組み立てよりも手早くやるって地味にやばくない?
*
翌日。
天気はカラッと晴れたこともあり、朝から移動を再開する。景色は大平原が広がりまるでビリヤード台を小人になって歩いているような気分になる。
1時間、2時間と歩いても景色は昨日から全く変わっていない。定期的に雑木林が生えているくらいだ。言っている傍から、また見えてきた。
「お、また木が生えてるじゃん」
それに反応する陽乃ももう何度目だろうか。陽乃相手だから会話が途切れることは無いし、別に沈黙が支配してても気まずかったりはしないのだけれども、陽乃は見つけた木に毎回触りに行って念話をする。……単純に暇を持て余しているのかも。
「パッと見た感じ、全然今までのと一緒っぽいけど……どう、陽乃?」
「うーん、やっぱりこの子も『タラの木』だねえ」
樹皮が比較的明るいし、葉っぱの色味も鮮やかな緑色だから、なんとなく木の中でも陽キャっぽいイメージを受けるこの『タラ』だが、山菜の『タラの芽』で有名なタラノキとはまた別物である。ややこしい。
陽乃が木自身から聞いた話だと、柑橘とか柿っぽい色味とサイズ感の実がなるらしい。確かにそれが本当ならタラノキでは無さそう。
しかしこんな遠方に来たのにまだ木々と意思疎通が割とできる陽乃は一体なんなんだ。というか、砂漠とか熱帯に居た頃は、そんな陽乃ですらフィーリングでなんとなくやり取りしていたはずなのに。
むしろより遠方なのに、念話の確度は上がっている気がする。私はこの木との念話が割と苦手な方っぽいので、コロニーを出て早々意思疎通できなくなった。……これも、一応こうして陽乃と一緒に旅するまで知らなかったことと言えるけどさ。釈然としない思いはある。
「……陽乃はどうして念話できるのよ」
「うーん……なんでだろーね?」
しかし、当の本人ですらこんな感じなので、私ではきっと真似できないことなのだろう、これは。
*
昼食休憩を取ってから2時間近く経っただろうか。
――景色が変わった。
「これは……柵?」
「ええ。そのようね」
放牧でもしているのだろうか。更に数十分歩けば羊の群れがその柵の中に遠目ながら垣間見ることができた。
「これは、もしかすると――」
「お。明日葉は何か分かったの?」
「もしかするとだけど……でも、建物か何かが見えてから話すわ」
「焦らすんだー、ふーん」
いくら柵があるとは言っても、羊はきっと牧場主にとって貴重な財産であろう。必ず近くに集落か少なくとも人くらいは居るだろうと見当をつけて更に進んだら、建物群が見えてきた。
近付くとそれらが単独の家などではなく、複数の建物で構成されていることが分かる。牧場風の建物は母屋らしき建物の他に、食堂やバー、工房に鍛冶屋、雑貨商まで取り揃えられた『集落』と言って差し支えない規模だった。
「……『エスタンシア』ね、きっと」
「おー出ました! 毎度おなじみ陽乃の地球知識」
「茶化さないの」
地球におけるエスタンシアはスペイン語圏で大規模な農村共同体を指し示すときに度々使われる語句。中でも私が想起したのはチリやアルゼンチンといった地域での大牧場を中核とする共同体だ。その辺りは人口よりも
「あ、お邪魔しまーす! ちょっと旅をしているんですがっ、泊めてもらったりできますかねー」
「ちょ、陽乃……話が早すぎ――」
幸い、このエスタンシアはよそ者に優しかったようで、飛び込みの私たちを快く受け入れてくれた。……というか、少しでも頭が回ればこんな1日では歩いて来れない場所にほぼ荷物を持たない2人組が来れば只者ではないとは判断するかな。
加えて言えば、ちょうど羊の毛を刈っていて慌ただしい繁忙期だったようで。
羊毛刈りに関しては職人の領分ではあったが、刈った毛を運ぶとかそういう肉体労働は幾らでも人が欲しい状況だったらしい。そういう意味では、私たちの申し出は渡りに船であったみたい。
――というか。
「ねえ、明日葉明日葉っ!? ここ、マジですっごくない!? 羊の頭数が10万とかは居るっぽいよ!」
「よく管理できてるわよね」
なお、牧場の従業員数――もう集落の人口と言って差し支えないが――は百人ちょっとなので、
で、ここまで来ると、もうボーリアルコニファーという種族云々抜きで、単純に『客人』という概念自体が珍しいらしく。その日の作業を手伝って夜になったら、宴が開かれることとなった。
仔羊を何頭か丸ごと潰して焼いてくれるらしい。最初は固辞していたものの、彼等にとって『ごちそう』とは言えど、感覚的には月1くらいで食べられるレベルだと聞いて、最終的にはご厚意にあずかることにした。……本当は、お礼にお酒とか手持ちの食べ物をあげようと思ったが、百人規模の食糧は流石に持ち歩いていないので、何をあげても不公平になりそうなのでやめることにした。
で。陽乃はサバイバル技術があるので意気揚々と仔羊の解体を手伝おうとしたが、さほど時間を置かずして帰ってきた。
「あれ? 陽乃、お手伝いに行ったんじゃ……」
「いやー……。動物の解体は一通りエルフの里で教えてもらったと思ったけど……。
――丸焼きは丸焼きでも、魚みたいに羊を『開く』調理法は習ってないから無理っ!」
「ええ……。ワイルドね……」
丸焼きと言うと、形をそのままに棒に指して焼くイメージだったが、どうやら違ったようだ。
逆にちょっと気になったので解体が終わったタイミングで見に行ったら、焚火の周りにアジの開きみたいな状態になった羊が、囲炉裏に川魚を刺すように並べられていた。これはこれで新しい。肉の味付け用のタレなんかはバケツに並々注がれて、明らかに調理器具に見えない
仔羊のお肉が焼けるまでは時間があるので、乾杯を先に行うことになって。なんか簡単に自己紹介した後に、私たちもグラスを手渡されて謎の酒を並々注がれる。
……で。乾杯の音頭を取るように言われたので、それは勿論陽乃に振る。
「……もー。明日葉がたまにはやっても全然良いんだからね?」
「まあ、こういうのは陽乃でしょう」
「いいけどさー。
……じゃあ。北からの旅人である私たちが今日こうして偶々出会った奇跡を祝って……かんぱーい!!」
その陽乃の声を合図に私もグラスを一旦掲げてから酒を流し込む……おっと、想像よりも甘い。何だろうベリー系のリキュールだろうか。でも辛さも後からじわじわと広がっていくイメージ。結構複雑な味かもしれない。
喉をくぐらせると最後に残った香りはスモーキーな感じだった。明らかに飲み慣れていない味である。
「んー、めっちゃ美味しい!!」
「陽乃は何でも幸せそうにするわよね」
「まーね!」
その後、適度に周りの牧場で働く人たちに軽い自己紹介をし合ったくらいで、お肉の切り分けが始まる。
「どんな味かしらね、陽乃」
「ねー」
一応主賓扱いなので、一番良い部位を切り分けてもらえることになった。冷めないようにと、私たちにお皿が回ってきたのは最後の方だった。……結構な量来たね。
で、まだ配っている最中ではあったけれども、多分牧場長であろう人の合図で食べ始めることになる。フォークに刺してそのままかぶりつく。
最初に広がったのは香草の香り。噛み切るとシャキっとした薄皮がパリっと焼けた食感とともに、すぐにガツンとした分厚い赤身肉が身体に染み渡るように広がっていく。そして熱さをしっかりと感じる脂の旨味が滴るように赤身肉の味を更に補強してくれる。
……これは、うん。
「……やばすぎ! 美味しいお肉ってレベルじゃないよ! 羊ってこんなに食べやすいとは全然思わなかった!!」
「……ええ。本当に美味しいわね、これ」
「あー明日葉、めっちゃ幸せそうな顔してる」
「それはそうでしょう」
そうして、エスタンシアでの一日は、忘れられない思い出として記憶の中に――
「あ、牧場主さん! ホントに美味しかったですー!」
「ん? マズいって言われるよりは良いが……でも、お前さんたちボーリアルコニファーのコロニーに毎年卸しているはずなんだがなあ。
お二人さんは食ったことが無かったのかい?」
「……え?」
「……んんっ?」
私たちの声が重なる。え、それって――
「なんだ、その反応は。
おいおい、こっから随分と南に行った先のボーリアルコニファーのコロニーに帰るところじゃないのかい?」
――この言葉に私たちは何と返答したのか、衝撃で覚えていなかった。
……まさか。この先に私たちと同じ種族――ボーリアルコニファーのコロニーが存在するとは思いもよらなかったのである。
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