第20話 星を追いかけて
(三人称視点)
「友達だからだ」
――ティグルのその言葉を聞いて、リリは目を見開いた。
リリには友達がいない。
家族もいない。天涯孤独の身であり、学園でもその格差社会に馴染むことができなかった。
だからティグルがリリを友達だと認めた時、彼女はとても嬉しかったのだ。
「“友達は大事にするもの”。それくらいは俺でも知っている。だから友達を侮辱した貴様らには、俺が敗北を味合わせよう」
だというのに。
友達であるティグルが、一人で貴族達と戦おうとしているというのに。
リリは何もできず、震えてうずくまるのみであった。
(リリは……一体何をしてるんだろう……)
◆
――リリという妖精は、気づけば一面のゴミ山に生まれていた。
まるで世界中からあらゆる不要物を集めたような、地平線まで続くゴミの山。
リリ以外に生物の気配はなく、ひとりぼっちの閉ざされた世界。
ゴミの山だけが、どこからともなく増え続けていた。
どうしてそこで生まれたのか、いつからいたのかは彼女自身にもわからない。わかるのは自分の名前だけ。
何も知らず何の夢も持たない彼女は、しかしそれなりに幸せではあった。
毎日無邪気にゴミの山を漁って宝探しをしたり、星を眺めたりして楽しく暮らしていたのだ。
ある時、リリは絵本を見つけた。
妖精は生まれた時点で、一定に成長した肉体と知識を持つ。
故に絵本に書かれている文字も、リリには容易く読み解けた。
絵本の内容はよくある
ある青年が剣士を志し、仲間を集めて共に競い合っていく。
やがて剣の頂に立った青年は、仲間達と共に国を作り上げた。めでたしめでたし。
「なにこれ、すごくおもしろい!」
リリはこの絵本をいたく気に入った。
時折本や新聞といった
この絵本だけが特別だった。子供向けに作られたであろうそれは、彼女の子供心を見事に撃ち抜いたのだ。
その絵本はすぐに、リリの一番の宝物になった。
夢中になって何度も読み返し、気づけば一日が経っていた事もあった。
絵本が擦り切れる頃には、一字一句違わず彼女は完全に覚えてしまっていた。
やがて読むだけでは飽き足らなくなり、物語の続きや合間を夢想するようになった。
それでも満足できなくなって、今度は絵本の真似ごとをし始めた。
「リリも剣士になるぞー! ていっ、とう!」
ゴミ山からまだ使える剣を見つけ出して、毎日毎日剣を振るった。
すぐに腕が痛くなったが、リリはだんだん
痛くならない振り方を覚えて、やがて一日中剣を振り回せるようになった。
そしてとうとう、リリは真似事だけでは物足りなくなってしまって。
「リリも絵本の騎士さんみたいに、誰かと戦ってみたいな!」
誰かに自分の剣を見てもらいたい。自分の力を試してみたいと考え始めた。
リリという妖精に、承認欲求が芽生えた瞬間だった。
「でもこのゴミ山には、リリ以外誰もいないから……外に出ちゃうしかないよね!」
そしてリリは初めて、生まれ故郷の外に出た。
初めてのお出かけ。初めての冒険。
ゴミ山に埋もれていた魔道具で聞いた、何かの曲を口ずさみながら、ご機嫌にスキップしてみせるリリ。
そんな彼女の前に、一体の魔物が現れた。
「すごい。本物の魔物さんだ……」
かつて絵本でも見た展開。絵本の主人公は剣で魔物をやっつけた。
ならば同じように真似しよう、リリは挑みかかって。
あっさり返り討ちにあった。
当然の結末だった。
リリの剣はお世辞にも剣術とは到底呼べないもの。ただ剣を適当に振り回していただけだ。
何の教えもなく剣で勝てるほど、魔物は甘い相手ではない。
「だ、誰か……助けて」
初めて直面した厳しい現実にボロボロに打ちのめされたリリは、死の恐怖に震えた。
恐怖で身体が動かない。成す術もなく命を散らすその直前で――
「――【
突如横から割り込んだ、女性の剣が魔物を討った。
身体を真っ二つに切り裂かれ、倒れ伏す魔物。
「――――。す、ごい……」
リリにとってそれは、あまりに鮮烈な光景だった。
初めて見た
綺麗で、鋭くて、かっこよくて。
これまで絵本の中にしかなかった“本物”が、突然彼女の前に現れたのだ。
毎日眺めていた夜空の星が、手の届くところに落ちてきた。
「……間に合った。大丈夫でしたか?」
彼女はたまたま近くを通りかかった、アヴァロン王国の騎士であった。
絵本の存在。本物の剣術。本物の騎士。
リリが到底我慢できるはずもなく。
「どうすれば今みたいにできるの!?」
と、初対面の女性騎士に剣術の教えを
さっきまでの恐怖は、嘘のように消え失せていた。
最初は困った顔をしていた女性だが、リリの熱意と気迫に折れて。
一日だけ、という条件で、剣術の基礎を教えた。
「才能はありますね。もっと剣を学びたいのなら、学園に通うといいでしょう」
あっという間に時が訪れ、そう言い残して彼女は去った。
そしてリリは、人間の学園に通うことを決意した。
故郷に戻り、ゴミの山から本を探して。
難しい本を必死に読んで、人間の世界を学習して。
入学資金を集めるために、冒険者の真似事をして魔物を狩って。
剣の鍛錬も欠かさずに、毎日懸命に取り組んで。
王都レガリアに訪れて、入学試験を無事突破して。
――そして、
◆
(リリ視点)
“うごけ。うごけ。うごけ。うごけ”
――ティグルはリリのことを、友達だって言ってくれた。
種族も違う、剣も握れないリリのことを、それでも友達だって言ってくれた。
すごく嬉しかった。でもそれ以上に、悔しい。
なんでリリは、あそこにいないんだろう。
どうしてティグルと一緒に、肩を並べて戦えないんだろう。
“うごけ。うごけ。うごけ。うごけ”
手足を動かそうとする。剣を握ろうとする。
でも動けない。何かがリリの中に絡みついたように、手足が震えて力が入らない。
抗おうとするとあの敗北の光景が、リリの身体が壊されていくところを思い出してしまう。
“うごけ。うごけ。うごけ。うごけ”
剣士になるんじゃなかったのか。あの流れ星を掴むんじゃなかったのか。
そう言い聞かせても、身体はいうことを聞いてくれない。
あの光景がリリの夢を塗りつぶして、目の前が真っ暗になる。
悔し涙で視界が滲む。星も夢も、何も見えない。
“うごけ。うごけ……うごいてよ……”
もう無理だ。もうだめだ。これ以上リリは立っていられない。
もうリリには、剣士を続ける理由はない。続けられない。
やっぱり無謀だったんだ。妖精が剣士になるなんて。
苦しい。恥ずかしい。消えてしまいたい。
“…………”
何も見えない。何も目指せない。
追いかけるものなんて、もう何も――
『君はまだ、自分の夢を諦めてはいないんだな』
“……ティグル?”
それは記憶だった。
昨日ティグルがリリに言ってくれた言葉だ。
どうしてこんな時に思い出したんだろう。
……ああ、そっか。
昨日もこうやって落ち込んでいる時に、ティグルがそう言ってくれたからだ。
だから今もティグルの言葉を思い出してるんだ。
『敗北を真に受け入れる為には、自分を変えるしかないんだ』
……でも、わからないんだ。
リリを縛り付けているこれは、きっと
でもそれが理解できない。目の前の貴族達は、リリの手を斬り落とした人達じゃないのに。
理屈ではもう、どうしようもないんだ。
『立ち上がる限り、剣の道は終わらない』
リリが視線を上げたのは、多分無意識だった。
目の前ではティグルが、貴族達の魔術に焼き尽くされようとしていた。
「「「――ファイアーボール!!」」」
リリの身体は、動かない。
大切な友達が燃やされようとしているのに、情けないリリの身体は動かない。
どうにもならない。どうしようもない。
いくらティグルが強くても、あんなたくさんの魔術に狙われたら、もう――
「【極点:
◆
――その瞬間、リリは確かに見た。
迫る必殺の攻撃を掻き消すティグルの剣を。
あの日見た流れ星のように、天上の存在が目の前に落ちてきた瞬間を。
◆
(三人称視点)
「いい気になるなよティグル・アーネスト……! これならどうだ!?」
追い詰められた貴族達が、魔術の第二射を解き放つ。
詠唱という“溜め”を作った分、先ほどの第一射より威力は増している。
無論、ティグルもその攻撃は察知していた。即座に迎撃の構えへ移行し――
(いや、待て。これは――)
違和感を感じ取った。
押し寄せる多種多様な魔術攻撃。しかしその一部は、あらぬ方角を向いて放たれていた。
狙いを違えたのではない、制御された動き。つまり目標は
(リリを狙っている!? 奴ら、戦えない者も構わず殺す気か!?)
「ようやく気づいたか? てめーが幾ら強くても、そこの足手纏いはどうだろうなぁ!?」
意地の悪い笑みを浮かべるリーダー格の男。
ティグルではなくリリを狙うことで、無理やりティグルを後退させる作戦。
騎士としては最低の作戦だが、今回ばかりは効果的だった。
(クソッ、俺の思考と視野が狭かった。あれほど後悔したというのに!)
構えを解き、リリの元へ下がるティグル。
ティグルが策に
ティグルはこれまで、ずっと一人で戦ってきた。
前世は当然、今世でも誰かと組んで戦ったことはない。
故に、
孤独を極めた者の戦い方。これまではそれでよかった。だがその染みついた習性と戦い方が、“リリを狙われる”という可能性を、無意識にティグルの思考から遠ざけていたのだ。
現代魔術と貴族の価値感への理解不足、そして共闘経験の少なさから生まれてしまった、ごく
(リリへの攻撃は【極点】を使えばギリギリ間に合う。だが――)
貴族共の次の手が、今のティグルには想像できた。
リリの元に駆けつけたティグルを、
(次の攻撃は、間に合わない。今のままでは
極点は一箇所にエネルギーを集中させる技術。
裏を返せば、それ以外の箇所は普通の肉体だ。
同時に複数箇所を攻撃できる広範囲攻撃を、極点では捌ききれない。
(やむを得まい。できれば使いたくなかったが――)
ティグルはこの時、“切り札”の使用を決意した。
このままではリリ諸共重傷を負う。自分だけならまだしも、リリを巻き込んでしまうことは
ティグルの肉体が変質する。
その寸前で――
「――【
ティグルは確かに聞いた。
リリの剣が、羽ばたく瞬間を。
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