第29話 黒猫のスプーン亭

 少女が店の入り口を開けると、そこは食堂になっており、7割ほどの席が埋まっていた。

 手前のほうの席に座っていた男が入ってきた少女に気が付くと、慌てて厨房のほうへ声をかける。


「おやっさん! リーゼちゃん帰って来たぜ!!!」

 一瞬の静寂の後、ガシャーンと派手な音が聞こえたかと思うと、奥から髭面の屈強な男がお玉を片手に飛び出してきた。

「お父ちゃん!ただいま!」

 少女は飛び出してきた男に飛びつくが、男はそれを引き剥がして問い詰める。


「リーゼ!!! どこ行ってやがった!!!」

「お客さん連れて来たんだよ!」

「一人で出歩くなって言っただろっ!」

「だって……だって……」

「だってじゃな「静かにおしっ!」ぐっっ!!」

 強い口調で咎められ少女が涙目になっていると、接客をしていた女性が男の脳天に手にしたトレーを叩きつける。


「ったく、お客の前だよ。落ち着きな。お帰り、リーゼ。一人でいなくなるから心配したんだよ」

「お母ちゃん……ごめんなさい」

 女性がやさしく少女の頭を撫でながら声をかけると、ようやく少女も自分が心配をかけていたことを自覚したのか、母親に抱き着いて泣き始めた。

 

「二度と勝手に出ていくんじゃないよ……。すまないね、アンタたち。リーゼを送って来てくれたんだろ?」

 リーゼを優しく抱きしめながら、母親が太一達に声をかけてくる。

「送って来たというのもありますけど、お客として来たっていうのも本当ですよ?」

「おや、そうなのかい?」

「ええ。お料理も美味しいって。ね、リーゼちゃん」

「うん!」


「そうかい、そりゃ嬉しいね。おっと、いつまでも立たせちまって悪いね。そこに座っとくれ! リーゼはどうする?」

「おねーちゃんと一緒がいい!」

「おやおや、随分と懐いてるじゃないか。悪いねあんたたち。その子も一緒で良いかい?」

「もちろん。妹が出来たみたいで嬉しいですし。よし、せっかくだしリーゼちゃんにお父さんの料理のこと色々教えてもらおうかしら?」

「うん、まかせてー」


「お昼は日替わりが2種類と、定番のシチューの3種類だよ。今日の日替わりはウサギのソテーかボアの煮込みだね。どれにする?」

「わたしシチューにするー」

「うーーん、じゃあ私はウサギを貰おうかしら」

「そうなるとせっかくだし俺はボアにするか」

「はいよ! すぐ持ってくるから、ちょっと待ってなよ。ほらアンタ、ぼさっとしてないで作った作った!!」

 トレーで叩かれた頭を押さえていたリーゼの父親が、リーゼの母親に引き摺られるように厨房へと消えていく。

 

 成り行きを見守っていた客たちも、それを見てようやく落ち着きを取り戻し、店内には食堂らしい喧噪が戻って来た。

 太一達もようやく人心地つき、あらためて店内を見ていると、先ほどリーゼの帰宅を父親に伝えていた若い男から声を掛けられた。


「おい、あんたら。リーゼちゃんを無事連れてきてくれてありがとな」

「いやいや、まだこの街に慣れてなくて、昼をどこで食べるか迷ってたから丁度良かったよ。子供が美味いっていうものは大概美味いからな」

「それでも、だよ。ドミニクのおやっさん、ああドミニクってのがリーゼちゃんの父親の名前な。おやっさんがちょっと目離した隙にいつの間にかいなくなっちまってて、仕事ほっぽり出して飛び出していきそうになってるのを、テレーゼさんがどうにか抑えてる状況だったんだ」


「なるほどね。リーゼちゃん、これからは1人で出掛けちゃだめよ? お父さんもお母さんも凄く心配してたんだから」

「うん。ごめんなさい」

「しっかり謝れて偉いわね。ところであなたは? ここの常連さんかしら?」

「ああ、俺はファビオ。冒険者だ。かれこれ1年くらいおやっさんには世話になってるんだ」


「私はアヤノ。隣は兄のタイチよ。冒険者って事は、ファビオはここに泊まってるの?」

「そうだ。最初は安くて美味いメシ屋があるって聞いて通ってたんだが、毎日のように食べに来てたから面倒になってな。当時の俺には少し高かったけど、宿もこっちに移したんだよ。泊ってりゃ、満席でも部屋で食えるしな」

「へぇ。よっぽどココの飯が気に入ったんだな」

「この味と量でこの値段は、この街でも他所の街でもまずあり得ないな。アンタも食ってみたら分かるさ」

「そりゃ楽しみだ」

「なんだいファビオ、そんなに持ち上げても何も出やしないよ? お待ちどうさん。こっちがウサギのソテーで、こっちがボアの煮込みだ。ほらリーゼ、いつものシチューだよ」

 ファビオと話していると、テレーゼが両手いっぱいに料理を乗せて戻って来た。

 

 どれもまだ作り立てのようで、美味しそうな匂いと共に湯気が立ち上っている。

「こりゃ確かに美味そうだ。テレーゼさん、これで幾らなんですか?」

「日替わりはどっちも7ディル。シチューは5ディルだよ! さあ、冷めないうちに食っとくれ!」

「それは確かに安いな……。それじゃあ、いただきます」

「ゆっくりしていっておくれ!リーゼ、よく噛んで食べるんだよ!」


 太一はボアの煮込みをスプーンで掬い口へと運ぶと、思わず目を見開いた。

「美味い! そして柔らかい……」

 ボアは大きなイノシシの魔物で、1頭からたくさんの肉が獲れるのだが、一部を除いて固い部位が多い。

 それを特製のハーブと野菜をふんだんに使ったスープでじっくり煮込み柔らかくしたのが、黒猫のスプーン亭の名物メニューの一つ、ボアの煮込みだった。

 大きく切った肉がゴロゴロ入っているが、どれも軽く噛むだけで驚くほど柔らかく解けていく。

 程よい塩気とハーブが、付け合わせの芋とも良くマッチしていていくらでも食べられそうだ。

 

「ウサギのソテーも美味しいわね……」

 文乃の頼んだウサギのソテーも、骨付きの腿肉を1枚表面がカリッとするまで焼いたもので、なかなかのボリュームだ。

 肉自体の味付けはシンプルに塩味のみだが、香草と少し酸味のあるトマトのような野菜で作ったソースが掛けられている。

 程よく弾力のある肉は、中はジューシーに仕上げられており、ソースと一緒に食べるとパンとの相性は最高だ。


「おねーちゃん、シチューも食べてみて!」

「あらリーゼちゃん、くれるの? ありがとう。優しいのね。じゃあお皿の空いているところに置いてくれる?」

 黙々とシチューを食べていたリーゼが、文乃にスプーン山盛りのシチューを差し出す。

 一旦自分の皿に置いてもらい、あらためて肉団子の入った白いシチューを頬張る。


「これもクリーミーで美味しいわ! リーゼちゃんは、どうやって作るか知ってる?」

「知ってるよ! あのねぇ、色んなお肉を叩いてからお団子にするの。それとお野菜をミルクで煮るんだよ! 私もお肉のお団子作れるんだよ!!」

「お料理も出来るんだ。偉いわねぇ」

 ふんすと鼻息荒く肉団子シチューの作り方を一生懸命説明するリーゼの頭を、文乃が優しく撫でる。

 口の周りをベタベタにしながらも一生懸命シチューを食べるリーゼに、太一たちの目尻が自然と下がっていった。

 

 30分ほどで食べ終え、まったり水を飲んでいると奥からドミニクとテレーゼが出てきた。

「さっきはすまねぇ。取り乱しちまって……。あらためて礼を言う。ありがとう」

「いえ、お気になさらず。おかげでとても美味しい料理をいただけましたし」

「そう言ってもらえるとありがてぇ」

「ところでドミニクさん、こちらは宿もやっているとリーゼちゃんから聞いたんですが……」

「あぁ。メインは料理屋だがよ、宿もやってるぜ」


「お部屋って空いてますか? つい最近この街に出てきたんですが、定宿を探していまして」

「おう、個室で良けりゃ空きはあるぜ。そうか、それで広場向こうの宿屋んとこでリーゼを拾ってくれたのか」

「はい。私たちが宿を決めかねてるのを見て、声をかけてくれたんです。なかなか見る目ありますね、リーゼちゃんは」

「お転婆で困っちまうぜ。でもよ、こう言っちゃなんだがよ、あそこらの宿は新しい割に安かっただろ? 何が気に入らねぇんだ??」

 

 ドミニクの質問に文乃が太一を見ると、太一がゆっくり頷いて口を開いた。

「やっぱり安いんですね」

「ああ、あの規模と新しさで、1泊100そこらだろ? ウチみたいに昔からやってるとこと同じくれぇだからな。だいぶ安いと思うぜ?」

「その安さが気に入らなかったんですよね。信用ならないと言うか……。俺の故郷に“安物買いの銭失い”って言葉があるんですが、まさにそれですよ。しかも部屋を見せてくれとお願いしても見せてくれないので、余計に判断が出来なくて。後は勘に近いんですが……。支配人の男が嫌な目をしていたんです」


「嫌な目ぇ?」

「はい。まるで物色するような目で妹を見ていたんで……」

「なるほどなぁ。まぁ嬢ちゃんも別嬪さんだからな、兄貴としては心配か?」

「ええ。なのでこちらに泊めていただけるのであれば助かります」

「おう、ぜひ泊ってってくれ。朝飯と夜飯付きで1泊100ディルなんだが、兄ちゃんらはリーゼの恩人だしな。90でどうだ?」

「ありがたいですね。文乃さんも、それで良い?」

「えぇ、もちろん。この美味しいご飯を毎日食べられるんだもの。あ、一応部屋を見せてもらっても良いですか?ちょっと荷物があるので……」

「構わねぇぜ。リーゼ、兄ちゃんたちを案内してやんな。3階の部屋だ」

「はーい! おねぇちゃんこっちだよ!」

 

 またもやリーゼに手を引かれて、3階まで階段を上っていき部屋の鍵を開けてもらう。

「こっちの一番奥のお部屋と、その隣のお部屋だよ!」

 案内された部屋は、6畳程度の個室で、ベッドと小さなテーブルに椅子、ワードローブが備え付けられていた。

 鎧戸の嵌った窓は出窓になっており、黄色い小さな花が生けられている。トイレはフロアごとの共同だ。


「うん。いい部屋ね。外からも鍵がかけられるし、いいんじゃないかな。お花が生けてあるのも気に入ったわ」

「えへへ、あのお花はね、私が生けてるんだよ!」

「そうなのね。リーゼちゃんは色々出来て凄いわね」

 文乃に撫でられ嬉しそうにリーゼは目を細めた。

 

 ひとしきり部屋を確認し、再び1階まで下りてきた二人にドミニクが声を掛ける。

「どうだ? ウチは冒険者が連泊することが多くてよ、そこそこ荷物は置けるようになってんだが」

「はい、アレなら問題ありません。ひとまず10日間お願いしても良いですか?」

「ありがとよ! 2部屋10泊ずつで1800ディルだぜ。前金だけど大丈夫か?」

「分かりました。金貨2枚でお釣りでも良いですか?」

「問題ねぇぜ。ほらよ、釣りの大銀貨2枚に、こっちが部屋の鍵だ。外出する時は俺かテレーゼに預けてもらってもいいぜ」

「ありがとうございます。じゃあまずは荷物を置いてきますね」

 鍵を受け取った太一と文乃は、荷物を置きに3階へと上がっていく。

 それを見ながら、ドミニクがリーゼの頭に手を置いたまま話し掛ける。


「リーゼ、良かったな。嬢ちゃんたちが泊ってくれて」

「うん! 一緒に住んでるみたいで嬉しい!」

「そうか。じゃあしっかりお客様をおもてなししねぇとな」

「わかった!わたし、おもてなしする!」

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