第29話 帰還
精霊石が紅く染まると、わたしは気が抜けたように地面にへたり込んだ。
「うそ。わたし、生きている……」
歌ってはみたものの、目の前で炎を吐かれて死ぬんじゃないかとずっと思っていた。だけど、サラマンダーは耳を傾けてくれたのだ。
それだけじゃない。エルメラが耳元で興奮した声を出す。
「すごい! すごいよ、ユメノ! どこにいても飛んでいくってことは、どこでもサラマンダーを呼び出せるってことだよね!」
「あれ? あれって、そういうこと?」
サラマンダーを見ると、深く頷かれた。つまりイオが使役しようとしていたことと同じようなことなのだろうか。でも、精霊の王様を使役なんて言っては怒られそうだ。しかも、いまはもうわたしの友達なのだ。
「「ユメノ!」」
ビューロさんやオリビアさん、カカが文字通り飛んで来た。さっきまで戦っていたサラマンダーは、近づいても攻撃する素振りは見せない。それでも警戒はすぐには解かれない。
「そんなに近づいて大丈夫なのか?」
ビューロさんがわたしをかばいに行きたいけれど、いけないといった様子で少し離れたところで槍を握っている。
「大丈夫みたい。黒い炎もなくなったし。わたしたち、友達になったの」
わたしはサラマンダーの鼻先に手をかざす。すると、すり寄るようにサラマンダーは鼻を近づけた。
「ああ。吾輩と吾輩の配下の精霊たちはもう戦わない。虚しき時間を随分と過ごしてしまったようだ」
低い重厚な声だけど、戦っていた時のようなビリビリと響く怒号ではない。
「ねえ、サラマンダー。麓まで送って行ってくれないかな? 怪我人もいるし」
試しに聞いてみた。
「ユ、ユメノ」「いくら何でも、そんなこと」
ビューロさんたちは驚いているけれど、そんなにおかしなこととは思わない。言ってみるだけならタダだ。正直、ヘトヘトで精霊と戦わなくても、山を下りるのにも必死で降りなければならない。また、あの細くて脆い崖の道を通らないといけないはずだし、怪我人を簡単に運べるわけもない。
サラマンダーはその長い首を上下に振る。
「よかろう。全員、同時には無理だろうから、二回に分けて運ぼう。炎は吾輩が燃やそうと思わなければ燃えないから大丈夫である」
「やった! 言ってみるものね! みなな! サラマンダーが奥ってくれるって!」
みんなサラマンダーにおっかなびっくりな様子で近づいて来る。サラマンダーの背中は炎が燃えているけれど触っても熱くない。ツルツルしていて、ほんのり温かかった。
ロザ王国の怪我をしている人ともう一人、イオ、わたしとシュルカさんを背中に乗せて、サラマンダーは夜の空へと飛び立つ。もちろんエルメラとカカも一緒だ。サラマンダーが羽を二回、三回と羽ばたかせただけで、マグマだまりを脱出してシュウマ山の火口の上に来た。
「うわあっ!」
思わず歓声が出てしまう。空は満点の星空。山の下には雲海が広がっていて、夜の向こう側まで見渡すことが出来た。熱いマグマの傍にいたから、冷たい風が気持ちいい。
「すごいね、ユメノ。世界にわたしたちしかいないみたい」
「みたいじゃなくて、そうだよ、エルメラ!」
いまこの瞬間、この美しい世界にはわたしたちしか存在していなかった。
「では、降りるぞ」
サラマンダーがそう言うのに少しがっかりする。もう少し景色を堪能したかった。でも、ビューロさんたちをあまり待たせるのも悪い。と、思ったのも束の間のことだ。
「ん?」
わたしはその感覚を知っていた。ジェットコースターが一番高い所から落ちるのに、ふわっと一瞬浮遊感を感じる。あの感覚だ。それはそうだ。山から一気に下りると言うことはそういうことなんだから。ガッとイオの手がわたしの腕を掴む。
「ぎいぃぃぃやあぁぁぁぁ!」
サラマンダーは一気に急降下。山の山頂から麓まで、ほとんど自然に物が落下するような速度で落ちていく。
「し、死ぬ」
でも、地面に激突する前に、サラマンダーは羽を羽ばたかせて、無事に着地した。目を回しながら、声を掛ける。
「よ、よかった。エルメラ、カカ無事?」
「「なんとかー……」」
二人はわたしの髪にしがみついていた。日頃飛んでいる二人でも、この有様だ。わたしが叫んだのも仕方ない。
「イオ、押さえてくれて、ありが……」
お礼を言おうとしたら、イオはわたしの腕を掴んだままガタガタと震えていた。どうやら押さえるために掴んでくれたわけじゃないみたい。自分が怖かったようだ。
「クロキカゼ、もういいぞ」
本当に押さえてくれたのは、シュルカさんのクロキカゼだった。風を操って、わたしたちが落ちないようにしてくれていたみたいだ。
「ありがとうございます、シュルカさん」
「いや。大したことじゃない」
お礼を言うとクールな反応が返ってきた。
「ふっ、そのようなことしなくとも吾輩が落とすはずもない。では、他の者たちもここに連れてくる」
サラマンダーはまた羽ばたかせて、山頂に飛んでいく。
「あ! 今度はゆっくり降りてきてねー! ……聞こえたかな?」
改めて周りを見てみると、シュウマ山とゲーズの平原の境目辺りだった。怪我をした人を寝かせていると、十分ぐらい経ち、ビューロさんたちもサラマンダーに乗って山から下りて来た。
ビューロさんやオリビアさんはやっぱりフラフラしている。どんな精霊使いでも体験できないだろうから当然だ。あの急降下は誰にとっても乗り心地が良いとは言いづらかった。
とはいえ、行きは丸一日かけていたのに、ほんの数分で降りられたのはありがたい。みんな、戦いで疲弊して下山どころじゃなかっただろう。
「ありがとう、サラマンダー」
「うむ」
お礼を言われるのも久しぶりなのだろう。サラマンダーは照れたように目を細めて、ただ頷いた。
「ロザ王国の精霊使いの方たちも、一度ゲーズに……」
ビューロさんがみんなを振り返って、そう言いだしたときだ。
「すまない」
誰かが静かに謝る。
「すまなかった。みんな」
イオだ。イオが地面に手をついて頭を下げている。きっとイオが暴走してサラマンダーを倒しに行ったから、みんな逃げられなくなってしまったことを謝っているのだろう。オリビアさんがため息混じりに言う。
「本当、いい声のいい男かと思ったけれど、飛んだ世間知らずなお坊ちゃまだったわ」
「ああ。ユメノがいなければ全滅していただろう」
シュルカさんも、目をそらした。
「何のためのチームか。イオには分かっていなかったみたいだな」
ビューロさんは厳しい。だけど、イオの傍に腰を下ろして、イオの肩に手を置いた。
「心配した。もう二度と、一人で強敵に突撃していくようなことはするなよ」
そう言うビューロさんの声は優しかった。
「……ありがとう」
なんだかわたしもホッとする。だから、胸を張って言う。
「無事に帰れたのは、わたしのおかげ! これからはもう子供扱いしないでよね!」
「ああ」
イオは静かに微笑んだ。めでたし、めでたしだ。なんと言っても、これでわたしはサラマンダーに元の世界に帰る方法を聞くことが出来るのだ。
つまり、やっと帰って、声優の仕事ができる!
「あそこだ!」
「早く精霊使いを呼ぶんだ!」
平原の向こうから、槍を持った兵士さん二人が駆けて来た。
「君たち! 早く逃げろ!」
「そんな大きな火の精霊初めてだ!」
サラマンダーが野生の火の精霊と勘違いされているみたいだ。槍を構えた兵士さんたちの顔はすごく迫真に迫っていた。確かにこれだけ大きな火の精霊がいたら大惨事になるだろう。すぐに状況を把握したビューロさんが杖を振りながら前に出る。
「大丈夫だ! 俺たちは精霊使いで、この精霊は使役されている!」
サラマンダーとは言わずに精霊とだけ言ったのが良かったようだ。落ち着いた兵士さんたちは槍を下して近づいてきた。
「あ、あれは、雷轟のビューロ。怪我人がいるぞ!」
「本当だ! すぐに街に運びましょう」
よかった。国とかは関係なく、手当をしてもらえるみたいだ。サラマンダーが小声で話しかけてくる。
「では、ユメノ。またな」
サラマンダーは兵士さんたちが近くにくる前に、シュウマ山の方に飛び立った。
「あ。うん。またねー」
なんだか、すごくあっさりしている別れ方だ。だけど、いつでも呼び出せるのだから、構わないのだろう。早く帰り方を知りたいけれど、山登りと戦闘ですごく疲れている。わたしたちは兵士さんたちに先導されて、ゲーズの街へ向かった。
朝早くに出てきた門に戻ると、人影が一人見えた。
「ん? こんな深夜に誰だろう? 兵士さんかな?」
「ユメノ!」
人影は向こうから、こちらに走って来た。あの緑色の服装は見覚えがある。
「え? ルーシャちゃん? どうしたの、こんな時間に」
ルーシャちゃんは呑気なわたしとは違い、勢いよく肩を掴んでくる。
「どうしたも、こうしたもありませんわ! ミルフィーユが帰ってきて、わたくし肝を冷やしたのですわよ!」
「ミルフィーユ! ルーシャちゃんのところに帰ってきているの!?」
てっきり、サラマンダーの攻撃を防いで消えてしまったと思っていた。ルーシャちゃんはふんと鼻息を漏らして腕を組む。
「精霊がそう簡単に消えたりしませんわ。まあ、しばらくは呼び出せないですが」
そういえばエルメラが前に言っていた気がする。わたしはすごくホッとした。あとですごくピンチのときに助けてもらったことを話そう。
「それにしても散々たる有様ですわね」
ルーシャちゃんは怪我人たちを見渡す。
「山にも登り切れず、怪我をして帰って来たのでしょう」
「いや、実は……」
「まあ、何にしても無事に帰って来たならそれでいいですわ。わたくし、疲れたから寝ます。おやすみなさいませ」
ルーシャちゃんはあくびを少しして、わたしたちに背を向けて歩いて行った。わたしは何も言わずに背中を見送る。
「彼女があの風の精霊の主かい?」
ビューロさんが、わたしの肩に手を置く。
「そうです」
「そうか。一度とはいえ、サラマンダーの攻撃を正面から防いだんだ。中々、実力がある子だね。それに友達思いだ」
「そうですね」
ミルフィーユが帰ってきて、いつ帰ってくるかも分からないのに、こんな夜遅くに待っていてくれたんだ。すごくいい子だなと、わたしは改めて思った。
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