祝言 3

 雪が降る日が三日に一度になり、十日に一度になり、二週間降らなかったと思ったら、梅が散りいつの間にか桜のつぼみが膨らんでいた。

 庭に積もっていた雪があらかた解け、松の根元に少しだけ残すだけになった春の朝。

 わたしの元に、銀糸で鶴、金糸で紅葉を入れた白い打掛が届いた。


 わたしが使わせていただいていたお部屋が千早様のお部屋の近くに代わり、夫婦で使うお部屋もまた別に整えられている。

 次々に届く真新しい調度品の中、衣架にかけられた打掛は、ひときわ鮮やかに目を引いた。


 ……きれい。


 上質の絹で作られた打掛は、上品な光沢を放っている。

 触れるのが恐ろしくなりそうなほど美しい打掛に、わたしは時間も忘れて見入っていた。


 ――明日、わたしは千早様の妻になる。


 暁月という姓は、鬼を率いる棟梁と、その家族にのみ許された名であるらしい。

 だから、わたしは明日、暁月ユキになるのだ。

 千早様の妻に、家族に、なる。

 鬼の隠れ里では、棟梁である千早様が祝言を上げると言うことでとても盛り上がっているそうだ。

 わたしは身の安全のためお邸の外に出ていないからよくわからないのだが、各家の軒先に華やかな提灯が飾られ、明日の祝言の夜はお祭りが開かれると言う。


 千早様の人気はすごいなと感心していたら、千早様は苦笑いで「ただ騒ぎたいだけではないのか」とおっしゃっていた。


「ユキ、ここにいたのか。母上が呼んでいる」


 ぼーっと打掛に見とれていたら青葉様がいらっしゃった。

 青葉様は、わたしが千早様の妻になるからと、呼び方を「ユキ様」と改めようとしたのだけれど、わたしが今まで通りで呼んでいただくようにお願いした。

 青葉様は最初、そういうわけにはいかないと了承してくれなかったのだが、わたしが胃のあたりが痛くなると言えば、千早様に確認を入れた後で渋々了承してくれたのだ。

 その代わり、明日の祝言を終えたら、青葉様という呼び方を「青葉さん」もしくは「青葉」と改めるように言われている。正直、これも胃が痛くなりそうだったけれど、頑張るしかないだろう。ちなみに、呼び捨てなんてとんでもないので、「青葉さん」の一択だ。


 青葉様に言われて牡丹様の元を訪れると、牡丹様の手元にはとても美しい洗朱色の簪があった。


「明日の髪はわたしにさせてちょうだいね。それでね、ユキ、明日の簪なんだけど、これを使ってほしいの」


 わたしが牡丹様の前に座ると、牡丹様は背中で一つに束ねただけのわたしの髪に触れながら「艶が出てとても綺麗よ」と笑ってくれる。青葉様が椿油をくださって、祝言に向けてそれで髪を整えていたから、そのおかげだろう。


「その簪は、どなたかのものなのでしょうか?」


 とても美しいのだが、年代物のように思えて訊ねると、牡丹様が笑った。


「ええ、そうよ。千早の両親が結婚したときのものだから、今から三百年ほど前のものかしら? 千早のお母様が祝言のときに身に着けていたものなの」


 千早様のお母様は、千早様が幼少のころに亡くなられたと聞いた。

 長い寿命を誇る鬼でも、病気や怪我などで命を落とすことはある。千早様のお母様は重い病にかかられて、そのまま儚くなられたそうだ。


「形見としてわたしがいただいていたのだけど、よかったら明日使ってほしいのよ。その方がお義姉様も喜ぶと思うの」

「でも、そのような大切なもの……」

「大切だからよ。千早もきっと喜ぶわ」


 千早様が喜ぶと言われれば、わたしは頷くしかない。

 でも、やっぱり恐れ多くて、もし、落としでもして欠けてしまったらと不安になった。

 そんな不安に気づいたのか、牡丹様が柔らかく目を細める。


「大丈夫よ。明日は、絶対に落ちないようにわたしが整えてあげるから」


 明日の祝言は、お邸の一室を整えて行う。

 白絹や花で飾られた中で行う祝言は、千早様とわたし、そして青葉様と牡丹様のみ同席するお祝いの席である。

 本来であれば数日かけて行うのだが、わたしは鬼の里に家も家族も持たないので、千早様がわたしの家にいらっしゃる儀式はない。

 なので、夜に千早様とわたしが杯を交わし、短いお祝いをするだけの簡素なものだ。

 むしろわたしには昔ながらのひっそりとした婚礼の儀の方が落ち着くので助かる。

 帝都で流行しはじめた結婚式は、少々派手で落ち着かないのだ。


「千早はね、少々気難しいところがあるから、これまで何度勧めても妻を取らなかったのよ。だからね、あなたと千早が出会ったのは、きっと運命ではないかしら。……千早のことを、よろしくお願いいたします」


 牡丹様がすっと頭を下げた。

 わたしは慌てたけれど、ここで頭を上げてくださいと騒ぐのは失礼かもしれないと思いなおして、牡丹様に向かって同じように頭を下げる。


「いろいろ至らないかと存じますが、こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」


 千早様は早くにお母様を亡くしたけれど、牡丹様がずっと母代わりとして見守って来たのかもしれない。


 牡丹様に向かって頭を下げながら、わたしは、牡丹様とも青葉様とも、家族になるのだなと改めて感じていた。



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