6・覗きは撲滅しましょう

 呆れたお父様の声に我に返った。お父様のひんやりした声って気付け薬になるわ。正に冷や水をかけられた感じで――って、あれ?

 ……いつの間にか、すごくギスギスしてない?

 ヘルゼクスさんの手には黒いもやを生み出したときに手にしていた古書があって、エスティアちゃんはわたしから片手を離して爪を凶悪に伸ばしている。

 多分、二人とも臨戦態勢。


「ど、どうしたの? 二人とも」

「どっちが上か、ハッキリさせてやる」

「望むところだ」


 んー……。

 にらみ合う二人に、ちょっと疑問が湧いた。


(お父様、ぶっちゃけ、どっちが上なんでしょう?)

【単純な殺傷能力ならエスティアが上。戦えば勝者はヘルゼクス、といたところか】

「じゃあ、強いのはヘルゼクスさんの方?」

「は?」

「はァッ!?」


 思わず声に出してしまったわたしの言葉に二人は大きく反応して、勢いよく振り返ってきた。


「ちょっと待ってよ、どーゆ―コト!?」

「え、えっと。お父様が……」


 秘技! 相手が逆らえない人の名前を出す! 卑怯だけど!


「我が主が、私の方が有能であると仰ってくださったのですか!!」


 顔を輝かせるヘルゼクスさん。

 あぁ、これってまずい感じの流れ!

 思った通り、ヘルゼクスさんはめっちゃ嬉しそうだけどエスティアちゃんの表情が完璧に憤怒ふんぬの鬼。


「あっっっり得ない! やっぱ証明するしかなさそうだね!」

「フッ。いいだろう。今俺は機嫌がいい。主の前でとくと証明してくれよう!」

「待って待ってケンカ駄目!」


 百害あって一利なし!

 きつけたのはわたしのせいな気もするけど、ともかく止めなくては!


「しかしこれは……!」

「と、お父様も仰っています」

【おい】


 もちろんそんなことは言っていないお父様からは突っ込みが入る。

 い、いいじゃない。嘘も方便ってやつよ。


【……まったく】


 呆れている感じはあるけど、お父様、どうやら黙認の構え。やっぱり誰かと誰かが争うのって、見てて嬉しいものじゃないよね。

 ましてそれが仲間なら尚更なおさらよ。


「ええぇー。どうしてぇー」

「結果が見えていて無駄だからだろう」

「そんなことない!」

「ふん、何だ。主の言葉に逆らうのか?」

「うううぅぅぅ――ッ!!」


 エスティアちゃんは物凄く悔しそうなうなり声を出したけど、爪を引っ込めて臨戦体勢を解いた。応じて、ヘルゼクスさんも本を消す。

 衝突は避けられたっぽい。ほっ。


「え、ええと。それで、わたしに紹介したいというのは……」

「こいつです」


 ですよねー。

 わたしが誰だか分かって飛び掛って来れる子だから、お父様の側近だったとか、それぐらいの立ち位置のはず。


「エスティア。ヒルデガルド様に挨拶をしろ」

「ヒルデガルド?」

「姫の名前だ。我が主が名付けられたらしい」

「ヴレイスベルク様じゃないの?」


 エスティアちゃんはわたしを見上げ、不思議そうに瞬きをする。


「うん、ごめんなさい。お父様とは別人なの。お父様の肉からできているらしいから、混乱させてしまったのね」

「それでも、ヒルデガルド様はいずれヴレイスベルク様になられるお方だ。分かるな?」

「うん、分かった!」


 うなずくと、エスティアちゃんはぱっとわたしから離れる。それから満面の笑みを浮かべて一礼した。


「初めまして、ヒルデガルド様。ボクはエスティア。ヴレイスベルク様に使える魔闘まとう大神官です。これからよろしく!」

「よ、よろしく」

「そして改めまして――。ヒルデガルド様、私はヘルゼクス。魔導まどう大神官の位をたまわっております。以後、よろしくお願いいたします」

「は、はい」


 正直、大神官がどういうものかよく分からないけど……。一番偉い神官ってことでいいのかな。


【その認識で構わん】


 いいみたい。


「では、エスティア。ヒルデガルド様を頼む。身を清めて差し上げろ。お疲れだから、手早くな」

「分かった。じゃあ行こっか、ヒルデガルド様」

「え、ええ」


 屈託くったくなくエスティアちゃんに手を引かれ、神殿の外へと出る。広い王宮内をどんどん進んで、辿り着いたのは豪華な扉の前。


「とうちゃーく」


 間延びした声で言いながら、エスティアちゃんは扉を押し開ける。そこにあったのは――……。

 ……お風呂、かな?

 脱衣所らしきスペースの向こうに、曇りガラスで仕切られた浴室が見える。

 同性のエスティアちゃんと――っていう配慮をするために紹介を先にしたんだなー、とようやく理解。


「さ、ちゃっちゃと入っちゃお」


 エスティアちゃんは言った通りにぱっと服を脱ぎ捨て、わたしが体に巻いていたマントも奪った。遠慮ないなこの子!

 とはいえまゆの中から出てきて湖の水に潜ってと、体を洗いたい状況がわんさと揃ってる。なので、エスティアちゃんに手を引かれるまま浴室へと入った。


(あ。暖かい)


 体に触れる心地良い熱を持った蒸気に、ほっとする。

 そして気付いた。

 この浴場、広……っ!

 湯煙があるとはいえ、湯船の端が見えないよ。


(何人用を想定してるんだろう……)

【我専用に決まっているだろう。何を言っている】

(一人!?)


 限られた敷地内になんて贅沢な!?

 驚いた。驚いたけど――よく考えたらお父様は神様的な存在なんだし、当然の扱いなのかもしれない。


 ――って、ちょっと、待って……?

 なんで、返事、きた……?


【何を今更――?】


 やっぱりごくあたりまえな感じで返事来たけど!!


「っぎゃああああっ! 変態! 変態がいるッ!!」

「どこに!?」


 わたしの叫びに反応したエスティアちゃんは、身構え、果敢かかんにも周囲を警戒する。頼もしい! でもそっちじゃない!


「おと、おとっ、おとーさま! 何でお風呂にまで張り付いてるの!?」

【は!?】


 ここでようやく、お父様はわたしの『変態』発言が自分に向けられたものだと分かったらしい。唖然あぜんとした声を上げ、それから。


【ふ、ふざけるな! 何が変態か!!】

「だってお父様ってお父様なんだから男性でしょう! 女性の入浴にくっついてくるのとか、変態の所業じゃなくて何なんです!?」

【ば、馬鹿者! 我の肉の分際で――】

「今はわたしだもの!」


 お父様とわたしは確固たる別人だ。肉片から生まれたって言ったって、まま肉片扱いは困る。


「離れてて! それぐらいできるでしょう!?」


 むやみやたらに、いつも偉そうなんだし!


【くっ、この……!】


 大体、百歩譲ってわたしが娘だからにしても(それでも年齢的にどうかと思う)、エスティアちゃんは完全に他所のお嬢さん。これが変態行為でなくて何だと言うのか。


【か――、勝手にしろッ!】


 わたしの思考がエスティアちゃんの存在にまで及んだ辺りでお父様は露骨にうろたえ、ふ、と体の中から重たい何かが抜け出たのが分かった。


(っと……)


 これは――素晴らしいほどの開放感!

 起きた瞬間からお父様がいたから気付かなかったけど、心に住み付かれるのって圧迫感あるんだなあ、としみじみ。体が物理的に軽くなった気さえする。


「え……っと?」

「もう大丈夫よ。お父様も自らのあやまちに気付いて身を引いてくれたから!」

「ボクは別に構わないよ。ヴレイスベルク様だし」


 危うすぎる忠誠心を口にするエスティアちゃんの肩を、わたしは力を込めてわしっ、と掴んだ。そして真剣に彼女へとに訴える。


「もっと自分を大切にしなきゃダメ!」

「う、うん……?」


 余程鬼気迫る表情だったのか、エスティアちゃんは腰が引けた様子でうなずく。理解してというよりも、とりあえず逆らわずにおこう、みたいな気配だけど、まあこの場はそれでいいか。

 お父様のことは、わたしが注意しておけばいいもんね!


「じゃあ、ちゃっちゃと綺麗にしちゃおうか」


 いつお父様が戻って来るか分からないし。防ぐ手立てのない侵入って厄介だなあ。

 ……防ぐ手立てか。

 ……ないのかな。


「ヒルデガルド様?」

「あ、ううん。何でもない」


 自分たちの守護者であり父であるお父様を厄介に感じてるとか、とてもじゃないけどエスティアちゃんたちには言えない。当人であるお父様には筒抜けだけど。

 ……だって、さ。

 わたしは、わたしだもの。お父様の肉片からできてたって、わたしはわたし。

 そう思うのはいけないこと?

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