第22話 恋にテイクツーはない


「せ……星城せいじょう殿っ!?」

「あれ? なにさ、その他人行儀な呼び方。前みたいに、ユノっちって呼んでよ」


 瑞々しい天然のストロベリーブロンドに、大海のような蒼き瞳。すれ違ったどこかの部長さんっぽい人も鼻の下を伸ばしてしまうほどの美少女――大人気声優『星城ユノ』その人が、腰に手を当てて拙者を見上げていた。


「しーっ! こ、こんな街中で、その名乗りはまずいでござるよ!」

「ござるぅ?」

「あっ……。と、とにかくこちらへ!」

「わっ」


 拙者はあまり触れないように気をつけつつ彼女の背を押し、前進させる。ちょうどこの先に、整備中のため通路として開放されているショッピング区画があったはず。思ったとおり人気がほとんどないその通路の柱の陰に入り、拙者は大きく安堵の息を落とした。


「はあ、びっくりした……」

「それはこっちのセリフだよ。なんでわざわざ移動したの?」

「何故って……人気声優と一般男性が話しているところなどをパパラッチに激写されたら、ユノ殿の活動に差し障るのではと」

「あはっ!」


 弾けるような声で吹き出し、ユノ殿は可笑しそうに細い身体を折り曲げた。子供サイズにも見える小さなコートの裾が、ウサギのように跳ねる。


「ボク、売れっ子だけど声優だよ? 一般人にそんなにカオは知られてないし、ずーっと追っかけてくるヤツなんかいないって」

「いやいや、あなたはあの『ユノっち』です。この都市にごまんといる自分と同じヲタクが、見逃すはずが……」

「ふーん? ボクのこと、心配してくれたんだ。うれしい」


 身軽そうな上半身がずいっと近寄ってくる。彼女の大胆な行動を予測していた拙者は、同じ分だけずずいっと後退した。そしてすぐに柱に背をぶつけ、呻く。


「痛っ……」

「ねえガルシ。さっきカノンちゃんと歩いてた男って誰?」

「!」


 気づけば拙者の腹の両側に、細い腕が突き立てられていた。あれ、これなんて逆壁ドン?そんなことよりまずい、ちょうど『牙琉』の姿を見られていたとは。


「じ、自分の……弟です」

「あー。じゃあアレが、カノンちゃんのネットプロデュースをしてるっていう」


 アレ扱い、つらぁ。しかしカノン殿と親友の仲を名乗るお人から見れば、どうしても怪しいキモヲタとして映るのかもしれぬ。であれば、早く安心していただかねば――。


「でも、ま。編集の腕はいいよね」

「えっ?」

「観たんだ、最初のMV。先月の『blue』もよかったよ。凝った編集してカノンちゃんの歌を潰さなかったこととか、いいセンスしてる」


 お……おおおおおお!?!?夢でござろうか。何百万回PVを記録するMVにひっぱりだこの大声優が、拙者が編集したMVを高評価してくださっているとは!?


「あ、ありがとうございます! せ――弟も喜びます」

「自分のことみたいに喜ぶね。仲良いんだぁ」

「はは、まあ……」

「ボクもね、編集のひととは仲がいいから結構わかるんだよ。『blue』のカラーフィルタ、素敵だねって話してたんだあ」


 なんと。プロの編集の方と、そのような話題を!?制作物を褒められ、拙者の心は素直に高揚した。普段の業務のかたわらで時間を捻出してコツコツ作っただけに、これは嬉しい。


 だから、ついついお口がハッスルしてしまった。


「あのフィルタは知人のクリエイターが配布しているものですが、こちらで独自に少し数値を調整したものなんです。今後もあの曲だけで使用するつもりで」

「へーえ。すごい入れ込みじゃん。好きなの?」

「はい! 本業は少し違う分野のクリエイターですが、最近は編集にもすっかりハマってしまって……」

「そうじゃなくてさ」


 よく通る声が、拙者のマシンガントークをぶつりと一刀両断する。目を丸くした拙者を見上げる少女には、なんとも言いがたい迫力があった。


「好きなの? カノンちゃんのこと」


 狼の唸りのような、どすの効いた声。こ、こんな男前な声も出せるのでござるな、さすがプロ……ではなく。え、今なんと?


「ボクのマネージャー、この近くに住んでるんだけどさ。カノンちゃんとデカい金髪マッチョがデートしてるの、よく見かけるって聞いたんだあ。キミだよね?」

「!」


 あれはデートと言うのでござろうか。たしかにカノン殿のバイトが遅くなった時は駅からマンション近くまで送って行ったり、ついでにラーメンを食べたりもした。『ガルシ』の姿であれば以前の粘着男のような人物はもちろん、普通の不審者ですら逃げ出すであろうとの予測からでござる。


「デート……と呼べるかどうかは」


 そう。あのテーマパーク以来、実は一日を共にする機会はなかった。カノン殿は大体、『牙琉』の部屋で拙者の編集作業を飽きもせず観察している。その途中で息抜きにファストフードを食べに出ることはあれど、おしゃれなカフェすら共にしたこともない。あとはMVのPVがキリの良い数字を迎えるたびに、例の居酒屋でささやかなお祝いを開くくらいでござろうか。


(そういえば最近、「ガルシ」として彼女と会う機会が減ってきておりましたな。だから先ほどは、あんなに……)


『ラブソングとか聴くかな』


 アイデアが詰まった鞄を抱きしめ、ほんのりと色づいた頬でそう呟いたカノン殿。やはり彼女の目に映るのはたくましい金髪マッチョであって、『拙者』ではない。


「……」


 もしも何かのきっかけで、彼女に『牙琉』と『ガルシ』が同一人物だと気付かれてしまったら、どうなるのでござろう。きっと騙されていたと深く失望し、不信感を募らせるに違いない。募らせるどころか爆発し、その場で縁を切られてしまうかもしれぬ。


(それは……いやでござる)


 筋トレによりこんなに立派な身体を手に入れても、拙者の精神はやはり弱く、脆いままだった。人間族との交戦を拒否した咎により、三十年間を魔王城の監獄で過ごした――そんな『甘ちゃん魔族』であった頃と、何も変わっていない。


 そう、あれは拙者がまだ四天王に就任してから間もない頃――


「ちょっとぉ。こんな美少女を目の前にして、なんか勝手に重めの過去回想とか始めようとしてないー?」

「っと、失礼しました。ええと、なんの話でしたか」

「カノンちゃんのこと好きなのってハナシ」

「ああ……あわああああ!? い、いや、スキとか、そういう、不純なキモチは」

「ふうん。不純、ねぇ」


 狼狽しまくっていた拙者のパーカーの襟首が、いつかと同じようにぐいと力強く引っ張られる。テーマパークでほっぺにチウされた経験を思い出した拙者はハッとしたが、今度は引っ張り主――ユノ殿は、正面からこちらを待ち受けていた。


「っ!」


 童顔の中でもその形の良い盛り上がりは、艶やかに濡れていて大人っぽい。少し開いたその唇から、吐息と共に予想外のささやきがもたらされた。


「――好きって気持ちって、不純なんかじゃないよ」

「え……?」


 両手で乱暴に拙者の襟首を引き寄せたまま微笑む少女はどこか猟奇的であったが、不思議と目が離せない魅力も備えていた。拙者の陰に入っているというのに、その蒼い瞳はらんらんと輝いている。


「我慢しなくていいんだよ、ガルシ。スキなら行動で示さなきゃ、伝わらないよ」

「行動、で……」

「そう。とくにカノンちゃん、可愛いんだもん。ただのファンからもっと特別な存在になりたくて、力ずくで迫ってくる男も多いんじゃない?」

「!」


 ざわ、と拙者の心に、赤黒い霧のようなものが満ちる。最近は忘れていたいつかの粘着男、その血色の悪い顔がありありと脳内に浮かんだ。彼が――あんな器の小さながカノン殿を長らく怯えさせていたと思うと、腹の底で不穏な熱が煮えたぎる。


「そう、それでいいんだ」


 怒りによって単純化した拙者の思考回路に、少女の甘い声によるささやきが絡みついてくる。目の前で青色が、万華鏡のように形を変えて乱反射している。


「カノンちゃんから、仲良くしてるって聞いたよ。でもボディガードをしたり、ちょっと美味しいモノを食べるくらいがキミの望みなの?」

「拙者……は」

「キミならもっと先――彼女にとっての『特別な存在』になれる。一番近くにいるんだ、踏み出してみなよ」

「ガルシさん?」

「!」


 透明感のある声が耳を打ち、拙者は瞬いて顔を上げた。見れば、そこに少女の姿はない。代わりに、駅のホームへと消えたはずの黒髪美女が立っていた。


「大丈夫ですか? 気持ち悪いんですか」

「カノン、殿……? 何故」

「キティさんに持って行った差し入れと同じお菓子、牙琉くんの分もあったのに渡しそびれてしまって。賞味期限短いから、今からアパートにお持ちしようと」


 それで反対の乗り場へ行くためにこの通路を選んだのでござるな、なんたる偶然!――いつもの拙者ならしたり顔でそんな軽口を言うはずなのに、今はそんな気分になれなかった。


 指摘されたとおり、気分が悪い。いや、それにしては妙に身体が火照っている。分厚いパーカーの襟元が息苦しい。


「仕事は……?」

「遅れる連絡をしたら、今日はちょうどヒマそうだからそのまま休んでくれてもいいよって言ってくれたんです。最近シフト多めに入れてたので、お言葉に甘えることにしました」

「そうでしたか。では」


 次の瞬間、拙者は彼女の細い両肩を掴んで引き寄せていた。呆けた彼女の顔とともに、人気がまったくない駅構内の風景が回転する。軽く彼女を柱に押し付け、黒髪の隙間から覗いた柔らかそうな耳に顔を寄せた。


「菓子は後日、弟に渡しておきます。ですから今日は……このままどこかへ、行きませんか」

「えっ!?」


 驚きの声と共にこちらを見上げる顔。相変わらず色白の額はなめらかで、気品ある猫を思わせるアーモンド型の瞳は美しい。薄く開いたままの唇から白い吐息と、戸惑いの声が漏れる。


「ガルシ、さん……? でも、もう牙琉くんにも、連絡してしまって」


 二つの名を呼ばれる。しかし前者は甘い響きを持ち、後者には正体不明の怒りが湧いた。どちらも自分の名であるのに、拙者は身体の奥底から湧き上がる感情のままに身勝手なことを願う。


(もっと……もっと、その真名なまえを)


 の名など、呼ばないでほしい。その黒い想いが噴出した瞬間、拙者は彼女の顔を正面から見据えた。肩を掴む手に、じりじりと力が込められる。


「いいんです。今日は、自分のことだけ……考えてくれませんか」

「! が、ガルシさ」

「カノン殿――」


 顔が近づく。びくりと震えた黒髪から、いつもの甘い香りが広がる。その髪も、赤くなった肌も、素晴らしい歌を紡ぐ唇も――すべて、自分のものにできたら。


「ガルシさんっ!!」

「!」


 大声と共に、ドンと思いきり胸を突かれる。体格差があれどまったく予想していなかった拙者は、よろりと二歩ほど後退した。


 もちろん痛くはない。しかし肩で息をしながらこちらを見つめているその女性の姿を目にした瞬間、拙者の心は頬を張られたかのような衝撃に見舞われた。


「カノン、殿」

「ご……ごめん、なさい」


 長い横髪が唇の端に引っかかっていることにも気付かない様子で、カノン殿はそう呟く。目には涙が浮かんでいた。こちらに怒りを向けているというよりは、己が取った行動に自身で驚いているかのようにも見える。


 彼女の腕から抜け落ちた人気スイーツ店の紙袋が、床に衝突してぽすんと気の抜けた音を立てた。


「失礼、します……っ」

「っ」


 ぐいと涙を拭い、黒髪を翻して駆け出すシンガー。この強靭な足で追えばきっと、その背に追いつくのは容易いことだろう。


「あ……」



 しかし愚かな金髪マッチョは呆然と、ただその場に立ち尽くすことしかできなかったのでござった。



***

近況ノート(感謝イラスト+今月の更新スケジュールについて):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093091466322362

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