第16話 鍋の恩返し

「花月殿が……呪われている、ですと?」


 復唱してすぐに、拙者のわがままボディを冷や汗が伝った。これがただの厨二病同士の会話ならば問題はない。しかしその不吉な診断を告げたのは正真正銘、魔王軍でもっとも魔術に詳しい男なのでござった。


「呪いってのはなにも、オレみたいな魔術師だけの特権じゃねえ」


 長い指を神経質そうに突き合わせ、アスイール殿はクマの残る目を細める。


「この国は豊かだが、同時に人間の欲望も深い。恨み、嫉妬、執着――そういう強い感情がとある個人に集中すると、呪いが生まれる。人間とはいえ、多少の魔力は蓄えてるモンだからな」

「執着……」

「心当たりがあるって顔だな。花月って女はどんくさいレベルを越えて、普段から怪我をしがちじゃなかったか」

「!」


 MV完成までのこのひと月、花月殿とは何度か連絡を取ってきた。バイトとシンガー活動をかけ持ちする彼女は忙しく、移動しながら通話をすることも多い。そしてその途中で、転倒するのでござった。


 拙者がそのことを伝えると、リーマン姿の魔術師は呆れ顔になって呻く。


「外に出るたびにコケる人間なんていねえだろ。気づけよ」

「拙者、ただのギャップ萌えしか感じてなかったでござる……。不覚」

「なんだそれ。オタク用語使うな、わかんねえ」


 アスイール殿は苛立ったように片眉を上げた。悲しいかな、この国の素晴らしいエンタメを摂取する時間がまったくない男なのでござる。


「とにかく。花月殿は呪いのせいで、怪我をすることが多いと?」

「断定はできねえ、それほど強い呪いじゃなさそうだからな。ただ、傷つけるのが目的って雰囲気でもない。恐らく動向を特定するため、の路線だな」

「彼女の居場所を知りたい者の仕業、でござるか」


 拙者の脳裏に、彼女と出会った夜の光景がフラッシュバックする。公園の闇の中に浮かぶ、血色の悪い顔。ライブハウスを変えても粘着してきたという、あのヲタファンの男でござった。


(確実な証拠はない。しかし……)


 花月殿の活動場所がネットへと移った今、あの男の飢餓感は相当なものでござろう。牙を剥くなら、突如割って入ってきた拙者にすれば良かろうにと思う。よりによって、自分が推していた歌い手に怨念を向けるなど――いや、無意識にやっているのかもしれぬでござるな。


 黙り込んだ拙者を見上げ、クッションに腰掛けている色男がシャツの肩をすくめた。


「まあ今のところ、命を脅かすほどの力は感じられねえ」

「とはいえ、花月殿が不憫でござる。彼女は安全に歌える場所を欲しているだけで……」

「対処法ならあるぜ。しかも妙なことに、今の状況じゃなきゃできねえヤツだ」


 拙者はお玉を放り出し、がばっと元同僚の足元にひれ伏した。


「なにとぞお教えくださいでござる!! その麗しいおみ足を舐めろというなら拙者、誠心誠意ペロりますゆえ!」

「望むか、ンなもん!」


 拙者のフォカッチャほっぺをげしげしと蹴る仲間。諦めた拙者が正座待機へ移行するのをちらと見、アスイール殿は咳払いをした。


「まあ、なんだ……。今日の鍋は、そこそこ美味かったからな」

「この魔族、チョロすぎる」

「んだとコラ」


 ぎらりと目を光らせたが、やがて彼は真面目な顔になって言う。


「呪いへの対抗策は、お前の『真名』だ――ガルシ」

「はい?」


 開いた口が塞がらない拙者を見返す魔術師は、薄い唇をニィと持ち上げた。あ、魔族っぽい。しかも悪いヤツでござる。


「なるべくたくさん、女にお前の真名を呼ばせろ。それが呪いを遠ざける」

「!? な、何を仰るのでござる、アス殿! だって真名は本来、伝えてはならぬものと」

「それを簡単に名乗ったヤツが言うなバカ。ここが魔界なら追放しても良いくらいだが……今回のケースに限っては、運がいいとも言える」


 日頃の業務で凝っているのか、拳で肩をトントン叩きながらアスイール殿は続けた。


「お前は地と雷の力を秘めた魔族だ。向こうの世界のとある地域ではお前は魔族ではなく、災いを打ち払う『地神』として崇められている」

「初耳にござる。拙者にそんなファンクラブが……」

「魔王から口止めされていたんだ。最後の『豪魔』を手放したくなかったんだろうよ」


 先ほどみずから名乗ったとおり、アスイール殿の得意分野は諜報。魔王ルーワイにもっとも近い位置で働いており、我ら四天王の中でも何やらひとりだけ色々知っている節がある男でござった。


「そんなお前の真名には、力がある。まあこの国の人間共が大好きな、いわゆる『お祓い』ってモンに近いな」

「なんと」

「とくに感情を込めて呼ぶことで、真名はもっともその力を発揮することができる。だから女には、なるべく本名で呼んでもらえ」

「つ、つまり……?」


 迷える子羊のように、床の上で震える拙者。

 対してビーズクッションという玉座に収まった大魔術師は、至極真面目な顔で恐ろしい宣告を下した。


「デートしてこい。そしてお前の真名を、女の骨の髄にまで刻んでやれ」

「……でぇ、と……!?」


 拙者の背景が見事な宇宙になる。花月殿と拙者が……何をする、と?


「しかも行き先は、その辺の可愛らしいカフェじゃねえぜ。女が思い切り男の名を連呼できるような場所だ……言わなくても分かるな?」

「ッ!!」


 妖しげな微笑を浮かべた魔術師のそのひとことに、拙者の頬はカッと熱くなった。

 なななな、なにを言っているのでござろうか、この男は。

 

「人間のカラダでそういうトコに行くのは初めてだろ。不安か、ガル?」 

「う、ぐ……。まあ、正直に言えば、そうでござるな……。魔族の時とは、ずいぶん感覚が違うものですし」


 いじいじと膝の上に「の」の字を描きつつ、拙者は蚊の鳴くような声で答えた。元同僚、しかもこんな『慣れて』そうなイケメンとする話としては、もっとも情けないヤツでござる。


 しかし小さくなっている拙者の背を、兄貴分である四天王は慰めるようにポンポンと叩いた。


「分かるぜ。オレも最初はそうだった。ちと力を入れすぎて、相手には辛い思いをさせちまったかもしれねえ」

「あ、アス殿も!?」


 意外なフォロー内容であったが、拙者は驚きつつも安堵した。こんなイケメンだって、女性とのそういうお付き合いは容易ではないのでござるな。であればこのあたりは一度、百戦錬磨のメラゴ殿にお願いしてしっかりと『手順』を予習しておくほうが良いやも……。


 そんなことを真面目に考えていた拙者であったが、そもそもの大問題があることを思い出して青くなった。


「し、しかし……花月殿に真名を呼んでいただくためには、デート中ずっと『ガルシ』の姿を保つ必要があるのではござらんか? 拙者、まだそこまでの魔力維持には自信が」

「もちろん当日はオレがアシストする」

「ついてくるのでござるか!? え、現場まで!?」

「安心しろ。有給はこの三年使ってねえ、何時間でも確保してやる。近い距離で魔力を供給してやるから、気にせず楽しむといい」


 グッと親指を立てて見せる社畜。拙者は思わずほわわんと浮かんできたピンク色の映像を掻き消し、ぶんぶんと頭を振った。


「い、いやいや!! そそ、そのような目的でのデートなぞ、動機不純というものではござらぬか! 花月殿のお気持ちもありましょうし」

「言ってる場合か? 彼女の安全を考えるなら、まだ呪いが細い内に断ち切ってやるべきだろうが」

「う……それは……」


 MV完成お祝いでケーキを持ってきてくれた時に見たものを思い出し、拙者は言葉に詰まった。細い肘に青黒く刻まれた、大きな打ち身。治りきっていない幾多の擦り傷。本人は単純にみずからの不注意と思っているが、それらが本当に「呪い」のせいだとすれば。


 そして拙者が、その脅威から彼女を護ることができるのならば――。


「……。分かり申した。拙者、男になる決意を固めたでござるよ」

「よく言った。ならさっそく花月のスケジュールを押さえろ」

「い、今っ!?」

「アポはその場で取るのが原則だ。オレも仕事の予定を調整する」


 アスイール殿はきびきびと言い、胸ポケットからスマホを取り出す。


「ついでに予約もしておくか。日によっちゃ混むからな」

「そういう感じなのでござるか!?」


 慣れた手つきでスマホを操るイケメン。ひい、もう『決戦場所』の候補がいくつか思い当たるとな!?というかこの男、本当に現場までついてくる気でいるのでござろうか。


「オプションはどうする? あったほうがより楽しめるぜ」

「お、おぷしょんんん!? 待つでござる、拙者そちらの世界には不慣れで……し、刺激が」

「刺激か。たしかにそれは外せねえな。吊り橋効果って言葉もあるし」


 トトト、と何やら画面をタップして入力を進めるアスイール殿に、拙者は顔を真っ赤にしながら叫んだ。


「あっあああアス殿! いくら数百年間お世話になっている兄貴とはいえ拙者、そこまで面倒を見てもらう気はないでござるッ!!」

「そうか? オレは会員だから、安く予約できるぜ」

「それはお元気なことで!? ではなくっ!! そ、その、そのあたりも相手と相談して、お互いの意向を尊重しつつ、ですな……!」


 もごもごと言い淀む拙者を見て首を傾げる魔術師でござったが、心得た様子になるとこちらへスマホ画面を向けた。

 わっ、ちょおおお! モザイク処理の出番でござるか!?


「そんなに言うなら任せるが、事前パス発行だけはしっかりやっとけよ。窓口でチケットを買う時間は世界一ムダだ」

「……はぇ?」


 目を点にする拙者。スマホ画面の中に映し出されていたのは巨大なクリスマスツリーと、サンタコスをして手を振る某キャラクターの着ぐるみたちでござった。



「『キャッツーランド』のクリスマス・ワンデイ・パス。なんとしても手に入れろよ、ガルシ」



***

近況ノート(挿絵つき/ガルシ):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093090683777270

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