拙者と推しと、ラブソング。

文遠ぶん

第1章 アニヲタ魔族、推しと出会う。

第1話 いきなり過去語りで失礼します

 そうだ、転職しよう。

 目覚めた瞬間に思い立ったのは、そんな決意だった。


「どこだ、ここは……?」


 視界いっぱいに広がる、漆黒の空。しかしこんなに星が少ない夜は、瘴気うずまく魔界でも見たことがない。


 それに、近すぎる。『天を喰らいし城』などと謳われた我らが魔王城ですら、こんなに空に近い建物ではなかった。おそらくここは、が知らない場所なのだろう。


「夢、なのか……うっ、ッ……!?」


 それでも残念ながら、身体中を稲妻のように駆け抜けた痛みは本物だった。どうやら自分は硬い石床の上、大の字になって倒れているらしい。なんとか首を持ち上げて己の状態を確認した瞬間、またうめき声が落ちた。


「これは……ひどいな」


 淡い紫色の肌に、余すところなく隆起した筋肉。鋼のごとき強度を誇る魔族の身体がまとうのは、一見して身軽な装備だ。すべて魔王城の技師たちの誇りが織り込まれた一級品だったが、今やすべて血と泥にまみれている。


 とはいえ身体に大きな被害がないことに安堵しつつ、ゆっくりと身を起こす。そんな自分に寄越されたのは、底抜けに明るい声だ。


「おっ、起きたか。おはよう! お前が無事で、俺は嬉しいぞ」

「メラゴ殿……」


 長年の友の名を呼ぶと、自分に勝るとも劣らないほど体格の良い魔族はニッと口角を持ち上げた。するどい牙を覗かせたその顔は、人間たちから『炎鬼えんき』と呼ばれ恐れられている。しかし自分にとって、彼は良きリーダーだ。


「言葉のわりには、何も処置してくれなかったようですが……」

「ははは、許せ! なにせ俺たち『四天王』がこれほど負傷したのは、初めてだろう? まったく対処がわからなかったんだ!」


 風通しが良すぎる言い分は、実に彼らしい。しかし筋肉に加え魔王軍の特注装備を身につけた『魔鬼まき族』の彼でさえ、その身体のいたるところから血を流している。ツノの一部が妙な方向へ曲がっているが、大丈夫だろうか。


 自分の視線に気づいたメラゴ殿は、炎のように逆立った紅髪をガシガシと掻いて微笑む。


「なに、そう心配するな。『ルーワイ魔王軍四天王』のリーダーであるこの『炎天武闘のメラゴ』が、お前たちを置いて死ぬわけがないだろう?」

「そう……ですね。アスイール殿と、キティリア殿は」

「あの辺に転がってるぞ。ふたりとも、ばっちり元気だ!」


 するどい爪が光る指がびしっと示した先では、折り重なった大きな箱がごうごうと耳障りな音を立てていた。よくよく目を凝らせば、その前に倒れているふたり分の影が見える。


「うぐ……。もう、魔力が……」

「なにすんのよぉ……。ばかぁ……」


 自分やメラゴ殿とは違い、残りの仲間たちの身体の線は細い。しかし屈強な身体と魔力を持つ、同じ魔族だ。うなされているようだが、命があるなら問題ないだろう。


 むしろ問題があるとしたら、自分が精一杯細めているこの目だ。耳も少し遠い気がする。


「何でしょう、目が……? それに耳も」

「うむ、お前もか。俺もだ。どうやらこの世界では、我々の魔力は大幅に制限されているらしい。たぶん、人間より少し良いくらいだろう」

「『この世界』、ですって?」


 どきりとする言葉に、身体の痛みも忘れてリーダーを見上げる。彼はいたずらっ子のように紅い目を輝かせると、長い脚で空間の端を踏みつけて告げた。


「来い。そして、その目で見てみろ――『地底筋肉のガルシ』よ」

「そう格好つけられても……。どこもかしこも身体、痛いのですが」

「四天王一落ち着いているお前でも、きっと驚くぞ? 魔術なんて話じゃない」

「あのメラゴ殿。自分、わりと瀕死で」

「いいから見てみろって! ほら! 早く!!」

「はあ……」


 長く生きているくせに、こう言い出したら聞かない男だ。自分はため息を落とし、足を引きずりながら空間の端へと向かう。幸いにも、我らの宿敵――『勇者』の気配は、近くには感じられない。


(メラゴ殿は無邪気すぎる。この世に、魔界以上に奇異な場所などなかろうに)


 下界にわだかまるのは、妖精たちが振りまく粉のような七色の光。吹き上げてくる冷風が、自分の長い金髪と魔鳥の耳飾りをバタバタと巻き上げていった。


「こ、これは――!?」


 想像以上の光景に、気づけば自分もリーダーと同じく身を乗り出していた。やはり我々がいるのは、かなり高い塔の上だ。黒塗りの水晶を思わせるその塔が、見渡すかぎりびっしりと並んでいる。


「見てみろ、ガルシ。あの巨大な絵画を!」

「!」


 興奮を強めたリーダーが熱心に見つめる先にあるものは、たしかに見事だった。塔の壁面にかけられた巨大な額内の絵は、なんと動いていたのである。


『正義の心と友情パワーで、世界をシャリッと救っちゃう! テレビアニメ「らぶ♡ぎぶ」、好評放送中っ!』


 目の大きな少女たちが、ものすごい速さで格闘を繰り広げている。意味はわからなかったが、嫌な感じはしなかった。むしろ少し興味を惹かれ――いやいや、何だその所感は。


 頭を振ったあと自分は目を細め、絶えず変化する地上の光景に見入った。


「信じられない。こんな世界があるなんて」


 まばたきも惜しい気持ちで目を見開き、眼下の世界を貪るように観察する。毒の霧に覆われ、冒険者の白骨が転がる荒野ばかりが続く魔界ふるさととはすべて違う。


「なんと……なんと、美しい」


 歩きやすそうな黒塗りの道。その上を馬の何倍もの速さで移動していくのは、一見して重そうな鉄の箱だ。道の端を埋め尽くす人間たちは楽しそうに喋ったり、手元の細い板を一心に見つめている。楽器らしきものをかき鳴らしながら歌っている若者たちの姿も確認できた。


 自由。


 久しく忘れていた、その言葉。彼らは王の顔色を窺うことも、気ままな処刑に怯えることもなく、自由を楽しんでいる。それが自分の知っている世界との、一番の違いなのかもしれないと気づいた。


「本当に、自分たちはどうなってしまったのでしょう。ここは……ここは、我らの世界ではない」


 さすがに驚き尽くしてしまい、脱力した自分は石床に尻をつけた。メラゴ殿は立ったまま、赤く太い腕を組んで答える。


「ははは、そう思うしかないよなぁ。まあ、あの世でなかっただけ幸運だろう」

「自分はてっきり、あの戦いで命を落としたものと」


 最後の記憶は、魔王城に人間族の英雄――『勇者』が乗り込んできた時のことだ。大胆不敵な若い男だったが、その大仰な呼称を背負うだけある実力者だった。


「うむ。魔王様と勇者が剣を交えた瞬間、すさまじい力が放出されたのは覚えている。あの衝撃ではもう、城は跡形も残っていないだろう」

「だとすれば、四天王われわれ以外の魔族に退避を命じておいたのはさすがでしたね、メラゴ。あの命知らずの勇者以外、人間の軍勢もアスイールの結界に足止めされていましたし……。きっと、被害は最小限で済んだはず」

「はは、敵の損害を憂うか? 悪の四天王らしくないぞ」


 四天王でもっとも若い自分は、このようにからかわれがちだ。金の目でジトッと睨むと、我らがリーダーは詫びるように肩をすくめて笑う。


 しかし自分は夜風になびく腰巻の端をいじりつつ、ぼそりと自白した。


「わかっています、自分がこの仕事に向いていないのは。こうしてせっかく命があったのですし、今回こそは転職しようかと」

「おいおい。そういうのは引き継ぎもあるんだから、早く申告してくれ――と言いたいところだがな。どうやらその願いは今、叶いそうだぞ」

「え?」


 ぎょっとして顔を上げると、真剣な色を浮かべているリーダーと目が合った。


「俺はアスほど頭は良くないが、今の状況をこう考えている。我々の世界でもっとも力ある者同士が全力でぶつかりあった結果、世界のことわりが激しく乱れた」

「それで……?」

「そして付近にいた俺たち四天王は巻き込まれ、この異世界へ飛ばされてしまった――とな」

「なっ」


 突拍子もない予測に自分の目は点になったが、リーダーは紅い目をらんらんと輝かせて続けた。恐ろしいことに、こんな時の彼の直感はいつも当たる。


「どうやらこちらの世界には、自然由来の魔力が存在しないらしい。が、体内で生成できる分を使って『広域魔力探知』をやってみたんだ」


 痛みを忘れ、自分はがばっと身を起こした。こちらと同じくらい長身である魔鬼族にすがり、緊迫した声で問う。


「そ、それで! 自分たちのほかに、魔族は!?」

「ああ、いない。ここは小さな島国らしいが、少なくともこの中には俺たち四人しか魔族はいない」

「魔王様――魔王ルーワイは!?」

「わからん。だが、あれほどの戦いだ。勇者と相打ちになったと考えるのが自然だろう」

「そんな……! そんな、つまり」


 あまりの衝撃に自分はよろめいたが、震える膝を必死に叱咤した。ごくりと一度唾を呑み下し、息継ぎなど無視して一気にまくし立てる。


「あの傍若無人で超絶オレ様、ナルシストでエゴイストで考えなしの世間知らず、加えて金遣いも女遊びも激しく他人はすべてスライムのかけら程度にしか見えていないあのボンボン魔王が、消滅したということなんですか!?!?」

「ああそうだ! 俺たち側近をゴミクズのように扱い、ろくな待遇や褒美も与えず、退職を願い出ればあの手この手で握り潰して強制労働をさせてきたあの忌むべき糞上司が、消滅したということだ! もうわかるな、同胞よ!?」

「ええ、リーダー!」


 屈強な身体の奥底から、なんとも言い表せない熱い気持ちが湧き上がる。数百年ぶりに自然と口角が持ち上がり、血がたぎって頬が燃えた。


「俺たちは――」

「自分たちは――」


 がしっと手を取り合い、騒々しい下界の音に紛れて星空へと咆哮する。


「「自由だああーーッッ!!!!」」



 そうしてこの日、自分たちは――世界一幸せな『住所不定無職』となったのだった。



***


作品キービジュアル(自作絵):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093089391247906

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