三つ年上の姉貴が、もう一回高校に通うと言い出したのだが・・・。

@JULIA_JULIA

第1話

 三月のこと、休日の自宅にて。俺───渡辺わたなべ 慎吾しんごの姉である睦美むつみが壊れた。


「ヤダヤダヤダ! もう一回高校に通う! 絶対通うから!」


 リビングの床に仰向けで寝転がり、手足をバタつかせている姉貴はもう十八歳になっている。つまりは大人である。それにもかかわらず、こんな醜態を晒しているのには立派な理由があるのだろう。


「全然モテなかったから、高校生活をやり直したい!」


 訂正しよう。立派な理由などは、一切なかった。姉貴は外見こそ充分に大人の女性であるが、しかし中身はそうではないのだ。


慎吾しんご! 慎吾もアタシと一緒の方が嬉しいよね?」


 いや、それはない。一緒じゃない方が俺は嬉しい。


 俺と姉貴は三つ違い。よって俺たちが同時期に同じ学校に通っていたのは、小学校のときのみである。もしかしたら大学でも、そういう状態になるのかもしれないが、そのためには姉貴がすんなりと大学に進学しなければならない。


 いや、そうでもないか。たぶん俺は姉貴と同じ大学には通わないだろうからな。もしも俺たちが同じ大学に通うとしたら、俺が入学した大学に、あとから姉貴が入学してくる場合に限られるだろう。つまり姉貴が数年間フラついていたら、そんな状態になりかねない───ということだ。


 まぁとにかく、高校生活をやり直したいなどとのたまってないで、早く正気を取り戻してくれ。


「いい加減にしろ! 行く大学も決まってるのに、今さら高校生活をやり直したいだと? なにを言ってるんだ!」


 親父が中々の剣幕で怒っている。しかしまぁ、それはそうだろう。高校に二回も通うようなことなど、そうはないことだからな。


睦美むつみ。彼氏なら、大学で作ればイイじゃないの」


 そんな正論を披露したのは、お袋である。


「ダメだよ! 大学だと、高校生独特の青臭さに欠けるんだよ! 青春は、高校生までしか味わえないんだよ! ね?」


 知らんがな。


 同意を求めてきた姉貴を心の中でバッサリと斬り捨ててやった。しかし心の中だったので、ダメージは与えられなかった。


「もう一回、高校生やる! あと一回だけだから!」


 おいおい、無茶を言うなよ。普通はみんな、一回だけなんだよ。なんで姉貴だけ二回目があるんだよ。自力でループするなよ。


「絶対、絶対、絶対! また高校生やるから!」


 そんな風に姉貴は、一日中ほざいていた。あぁ、うるさい。








 四月のこと、俺はいよいよ高校生になった。前日に入学式を済ませ、とうとう高校生活の本番である。そうして意気揚々と家を出た俺。しかしすぐに、へこむことになる。


「おはよう、渡辺くん」


 玄関扉を開けると、セーラー服を着ている女性が立っていた。まるで俺のことを待ち伏せしているかのように立っていた。とはいえ彼女は、俺の恋人などではない。しかし、見覚えはある。


「・・・・・・・」


 言葉が出ない。声を発することが出来ない。その理由は目の前の女性にある。俺が通う高校の制服を着用しているその女性は、なんとなんと、姉貴である。


「どうしたの、渡辺くん? 早く学校、行こっ」


 オマエも渡辺だろうが。


 いやいや、そんなことよりも。姉貴は本当にもう一度、高校生活をやり直すつもりなのだろうか。卒業した学校に再び入学したのだろうか。着用する義務がなくなったセーラー服を引っ張り出してきてまで、また高校生になったのだろうか。


「ほら、渡辺くん。学校、早く行こうよ」


 だからオマエも渡辺だろうがよ。


「・・・姉貴、恥ずかしくないのか? そんな格好をして・・・」


 大学生になろうかという女性が高校生の制服を着用している事実は、それなりに恥ずかしいことだと俺は認識している。しかし、よくよく考えてみれば、つい一ヶ月前まで姉貴はその制服を着用していたワケで、もし仮に彼女と同学年だった生徒が留年しているとしたら、その生徒は今日現在も高校生なので、もちろん制服を着用していることだろう。となると、姉貴が制服を着用していたとしても、それ程は恥ずべきことではないのかもしれない。


 ・・・などと一瞬だけ思ったが、やはり恥ずかしいことだ。それは姉貴の感情ではなく、俺の感情のことだ。俺が恥ずかしいのだ。一ヶ月前に高校を卒業した姉貴が再び高校生の姿をしていることが、俺はとても恥ずかしいのだ。


「ワタシのことは、睦美むつみって呼んで」


 黙れ、バカ。


「それよりも早く学校に行こうよ、渡辺くん」


 そう言ったあと、『ウフッ』という感じで微笑んだ姉貴。その瞬間、背筋せすじが凍った。なんとも気持ちが悪かった。あまりの気持ちの悪さに恐怖した。しかしそんな俺のことを姉貴が気にする様子などなく、未だに玄関扉を開けっ放しにして立ち尽くしている俺の傍へと寄ってきて、グイッ、グイッ、と腕を引っ張り始めた。


「ほらほら。早くぅ~♪ 早くぅ~♪」


 簡単なメロディをつけ、陽気に誘ってくる姉貴。とにかく気持ちが悪い。どうやら姉貴は、本当に壊れてしまったようだ。


「・・・学校までは行かないよな?」


 いま俺が心配すべきは、姉貴の頭の中ではない。そちらは、もう手遅れだ。だから心配すべきは、この理不尽かつ、気持ちの悪い振る舞いが、どこまで続くのかということだ。万が一にも学校まで来るのなら、俺の高校生活はバッドエンド確定である。変人の姉を持つ変人として、記憶されることになるだろうからだ。


「なに言ってるの、渡辺くん? 行くに決まってるじゃない。アタシたち、新入生でしょ?」


 ・・・なるほど、なるほど。そういうことか、分かったぞ。


 おそらく姉貴は俺のことを、同い年の幼馴染という設定にして、擬似的な高校生活を送ろうとしているようだ。そんな茶番で溜飲を下げようとしているようだ。となると、この滑稽な喜劇───いや、虚空こくうの悲劇はそのうちに終わるだろう。まさか本当に学校まで行くようなことはない筈だ。流石にそんなことをすれば学校側が対処しかねないし、姉貴としても大事おおごとになるのは避けたい筈だ。だったらここは大人しく従って、早く終幕に迎えよう。


「ほらほら~。早くしないと、遅刻しちゃうぞ!」


 自らの頭を軽く小突き、それと同時に下を出した姉貴。その仕草に擬音を付けるとするならば、『テヘペロッ!』といったところだろうか。


 あぁ、気持ち悪い! 頭をぶん殴ってやりたい!


「・・・いま行くよ」


 そうして俺は重い足取りで、家をあとにした。その一方で姉貴の足取りは、なんとも軽かった。なんなら少しスキップしてやがった。


 やめろ、バカ! 浮かれるな!



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