月夜に煌めく白銀の吸血姫④




 ******




 ―――暗い。真っ暗だ。何も見えないし、何も感じない。ただ、自分がそこに在るということだけは分かる。そんな不思議な感覚だった。


 まるで夢の中にいる様な浮遊感。けど、身体は重くて動かす事はできない。矛盾してはいるけれども、それが今の正直な感想だ。


 そんな訳の分からない状況の中、俺は考える。俺は一体、どうなってしまったのか。もしかして、死んでしまったのか?


 けど、それにしては意識もはっきりしてるし、思考もできる。死んでいたら、そんなことはできないだろう。


 じゃあ、一体……なんなんだ? 俺がそんな疑問を浮かべた時だった。不意に、何かが聞こえてきた。


『―――おーい』


 ……なんだ?


『ヤーシロ』


 ……もしかして、俺を呼んでいるのか?


『ヤシロってばー』


 舌足らずな、それでいて透き通る様な綺麗な声が聞こえてくる。その声を聞いた瞬間。俺は思わずこう呟いていた。


「……エリザ?」


 あぁ、そうだ。この声は間違いなく、自殺する間際に屋上で出会ったあの少女、エリザのものだ。


 そして俺が意識を手放す原因ともなった―――


『ねぇー、早く起きてよー。起ーきーてー』


 そんな彼女の言葉が聞こえてきたと同時に、どこかからか光が差し込んだ。その光は俺の視界を真っ白に染め上げて、俺の意識をゆっくりと覚醒させて―――。


「ん……」


 瞼を開くと、目の前には真っ白な天井が広がっていた。見慣れた自分の部屋の天井じゃなくて、見覚えの無い天井。


 目覚めたばかりで、意識はまだはっきりとしない。俺は朦朧とした意識の中で、ゆっくりと身体を起こす。


「ここは……」


 そんな疑問を呟きながら、辺りを見渡してみる。すると、俺の目に飛び込んできたのは、天井と同じく真っ白な壁と床だった。


 住み慣れた自分の部屋と違って、あまり家具が置かれていない、どこか殺風景な部屋。けど、広さで言えばワンルームの一室よりも広く、開放感がある。


 そして俺が寝かされていたベッドは部屋の中央にあり、俺はそこに横になっていたのだ。白くて清潔感のあるシーツが敷いてあり、手触りも良い。そのせいか、今まで感じた事のない心地よさを感じる。


 そんな風に一通りの状況確認を済ませた辺りで、意識も少しずつだけどはっきりとしてきた。とりあえず、これからどうするべきだろうか。それと……ここは一体、どこなのだろうか。


「あっ、やっと起きた」


 と、そこで部屋の扉がガチャリと開き、そこから聞き覚えのある声が聞こえてきた。俺は声がした方向、部屋の入口に視線を向ける。


 すると、そこには見覚えのある人物が立っていた。会社の屋上……俺が自殺する寸前で出会った吸血鬼の少女―――エリザは出会った時と変わらぬ同じ格好で、俺の目の前に現れた。


 彼女は後ろ手に扉を閉めてから、ゆっくりと俺に近付いてくる。その表情はどこか嬉しそうだ。そして彼女は俺のすぐ近くまで来ると、笑顔のまま口を開いた。


「おはよー、ヤシロ」


「……おはよう」


 そんな挨拶を交わす俺たち。笑みを浮かべる彼女に対して、俺はぎこちない苦笑いを見せることしかできなかった。 だって、そうだろう? エリザは俺が気を失った原因なのだから。


 あの時にされたことを思い出して、どうしても身構えてしまう。そんな俺を見て、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「あれ、どうしたの?」


「い、いや。なんでもない」


「ふーん。変なのぉ」


 そう言ってエリザはクスクスと笑う。いやね、声に出して言えないけど、こうなっているのも君のせいだからね?  そんなことを思いながらも、口に出せないまま心の中でツッコミを入れるしかなかった。


 そんな彼女は近くにあった椅子に腰を下ろす。それから俺の顔を覗き込む様にして話を続けた。


「気分はどう? どこか調子の悪いところとか、あったりする?」


「あ、あぁ……大丈夫、だと思う」


 俺は戸惑いながらもそう答える。すると彼女は安心した様にホッと息を吐いた。


「なら、良かったー。ヤシロってば、あれから全然起きなかったんだよ。だから、ちょっとやりすぎちゃったかなーって思ってたんだ」


「……やりすぎ?」


 えっ、何それ……。なんだか不穏な発言が聞こえて来たんですけど……? 俺、なんかやられちゃってます?


「えっとね。直に食事をするのは久しぶりだったからさ、加減が分からなくなっちゃったんだ。ごめんね」


 そう言ってエリザはてへぺろ☆っと舌を出す。おいおい……あまりにも愛らしくてあざとい仕草じゃないか。そんな目を奪われてしまうような彼女の姿に、俺は思わず推してしまいそうだし、頬が緩みそうになる。


 ……だけど、今はそんな気を緩めている場合なんかじゃない。彼女には聞きたい事が山ほどあるんだ。俺は緩みそうになった頬を引き締めて、彼女に話しかける


「なぁ、エリザ」


「ん? なにかな?」


「その……いくつか君に聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」


 俺がそう訊ねると、エリザはきょとんとした表情を浮かべる。が、すぐに笑顔に戻って口を開く。


「うん、いいよー。なんでも聞いてね」


「……じゃあ聞くけどさ。まず、ここは一体どこなんだ?」


「ここ? ここはね、ボクの家だよ」


「え? エリザの……家?」


「うん。あの場所にずっといる訳にもいかないからさ。ヤシロを背負ってここまで連れてきたんだー」


 ……家って何? 君、吸血鬼だよね?  なのに家を持っているの? やみにかくれて生きる、だとかそんな感じなんじゃないの?


 まぁ、だけれども。流石に吸血鬼とはいえ、住む場所がないと生活していけないだろうから、別に持っていても不思議ではないか。


「じゃあ、ここは……君の隠れ家的な生活をする場所なんだな」


「ん? 隠れ家? ううん、別にそんな大層なものじゃなくて、普通の賃貸マンションなんだけど」


「……は? 賃貸……?」


「良い部屋でしょー。しかも、建物の最上階で角部屋なんだー。それに防音も完璧だから、ちょっとぐらい騒いでも大丈夫だよ」


 ふふん、と誇らしげに胸を張るエリザ。いやいや……無い胸で精一杯の自慢をしているところ悪いんだが……そういうことじゃないんだ。


 というか、そもそも……彼女は人間じゃなくて吸血鬼なんだろ? どうやって賃貸契約したってんだよ。戸籍とかの個人情報とか、あと幼女とかで色々と問題があるだろ。


 ……ま、まぁ、いいか。深く考えたら負けな気がするし、今は気にしないでおこう。とりあえず、次の質問に移ろうか。


「それでだな。次に聞きたいのが……君は俺が全然目を覚まさなかったと言ったけど、俺はどれだけ眠っていたんだ?」


「えっとね、3日ぐらいだよ」


 いや、3日って、マジか……そんな長い間、眠ってたなんて。俺はてっきり、今は自殺をしようとした日の翌日ぐらいかと思ってたんだが。


「だけど、ヤシロが目を覚ましてくれて良かったよ」


 そこでエリザが明るく笑いながら口を開く。その笑顔はとても眩しかった。はぅー、そんな彼女の笑顔かぁいいよー、お持ち帰りーしたいぐらいだ。


「それじゃあ、最後に聞きたいのが……君はさっき、食事をしてやりすぎたって言ってたよな?」


「うん。言ったよー」


「その食事っていうのは……もしかしてだけど、俺の血を吸ったのか?」


 俺がそう訊ねると、エリザは目をぱちくりさせた後で、にっこりと微笑んでこう言った。


「そうだね。吸ったよ、ヤシロの血液。ごちそうさまでした」


「え、あ、うん。お粗末さまです……?」


 ごちそうさまと言う彼女に対して、俺はそんな風に返した。こんな状況で言うべき言葉ではないとは思うんだけど、何となくそう言ってしまったんだ。


「おそまつさま……? えー、なにそれ。ヤシロってば、変なのー」


「あ、いや……あはは……」


 俺は苦笑いをしつつ後頭部を軽く掻く。よっぽど君の方が変だよと言いたいところだったけど、それは心の中に留めておこう。


 まぁ、なんにせよ。彼女の言葉を信じるのであれば、俺はどうやら血を吸われた事で3日間も眠っていたらしい。なんとも奇妙な話である。


「ちなみにだけど、血を吸ったっていうのは、その……どんな風に?」


「どんな風に? うーんと、それはね……」


 彼女は少し考える素振りを見せた後で、こう続けた。


「ボクの牙をこう……ヤシロの首元にずぷぷって刺してー、ちゅーって吸ってたの」


「……」


「でね、ちゅーちゅーって吸う度に、ヤシロがビクビクって身体を震わせるのが面白くて、ついついやりすぎちゃった」


 そう言ってえへへと笑うエリザ。その姿はとても可愛らしいものだったが、可愛らしいのは言い方と仕草だけで、言っている内容は全く可愛らしくない。


 なんだよ、ビクビクと身体を震わせるのが面白くてって。俺はおもちゃか何かかよ。面白がってんじゃないよ。



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