2・失った信頼

第3話


 次の日の朝、夫が財布からお札を数枚出して

「これ、預けるわ。しばらく小遣いは要らん。必要なら慰謝料も払うわ…結婚生活は維持したいから」

と傷を拵えた真面目な顔で告げる。


「……そう」

「千里、俺な、意識高い千里が好きやってん。キチッとしてんのが俺に無い部分で惹かれたから。その…好きなんやけど、慣れへんくて…無い部分やから…苦しなってもうて」

「……」

「あとこれだけは言っとくで、一般の…その、素人さんとの浮気はしてへんから。……これから挽回させて欲しい………行ってきます」

「……行ってらっしゃい」

いつもは玄関先まで見送るけど私はダイニングから動かず、口だけ動かして彼を見送った。


 「素を見せる」か、そりゃあ私だってダラダラしたり一日中パジャマで居たいことだってある。化粧するのが面倒な日だってある。お弁当だって冷凍食品が楽で美味しいし、なんならコンビニのご飯で済ませたいこともある。

 けれど丁寧でお洒落な暮らしができる自分を好きだから、簡単に譲るわけにはいかない。

 だいたい、彼みたいなタイプはちょっとダラけたら「女は結婚したら変わる」とか言いふらしそうなんだもの。惹きつけておくにはキラキラしていないとダメなんだと…そう思っていた。

 けれどその認識がそもそも間違いなのかな、よくよく考えれば幻滅されたところで彼もなかなかの意識の低い人間だし。


「……ふぅ」

 テーブルに置かれたお札を数えて戸棚に仕舞う。

 小遣い没収で自由に遊べない証明をしたいということか、その心掛けは評価できるが失った信頼は返ってこない。

 辛い、怠い、私は日課である体操を取りやめて昼までソファーで眠りこけた。



 私は元々、そんなに意識の高い家庭出身ではない。むしろ貧乏で子沢山で、義務教育が終わったら自分の食い扶持は自分で稼げと平気で言い放つような親に育てられた。進学と同時に地元を離れて新幹線の距離の遠方で就職して年1回帰省するような間柄だ。

 結婚した時も祝いは弾んでくれたが、祝辞より先に「良かった、片付いてくれた」のセリフが出たことは心にトゲのように刺さってしばらくじくじくと痛んでいた。


 私が意識高めというか都会的で文化的な生活を送りたいのは言わずもがな自らの育ちを塗り替えたい故の行動で、しかし結婚相手にも意識の高い男性を選ばなかったあたりに自分の弱さが見え隠れする。本気でハイスペックな育ちの人とはきっと根っからは分かり合えないしボロが出るのだ。私がざっくばらんな勇太を選んだのはその辺りの保険でもあった。


 「なんこのつぶつぶ?」

 「キヌア。食物繊維とビタミンが豊富なの。貧血にも効果的なんだよ」

 「へぇ~」

 ややこしい料理を作って講釈を垂れて、「なにそれ」と頓珍漢な反応を楽しんで優越感に浸る。要は自分が上位に立ちたいがための選択で、誠にねじ曲がった根性、まさに『育ちが知れる』とはこのことなのだろう。

 とはいえ妥協で勇太を選んだ訳ではないしそもそも選べるような立場でもない。

 私は彼のさばさばとした飾らない、けれど男としてカッコつけたりする所が好きだった。寛大で包容力があってでもどこか冷めていて、私が知らない遊びや物の見方を教えてくれて世界が開けた気がした。


 いつから、どれくらい浮気されていたのか。そこを突き詰めるともう浮上できる気がしないメンタルは夜になっても低い水準で留まって、上昇する気配が無い。

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