第2話 仕方のない事

チャララッ♪ チャッチャッチャーー♪


「んだよ、こんな時間に……」


 俺は鉛筆を置き、ベッドの上で五月蠅く鳴るスマホを睨みつけた。机に置いたデッサン用のビー玉は、部屋の歪んだ蛍光灯を反射し画用紙の脇で怪しく輝いている。


(加藤……何の用だろ?)


 時刻はもう夜中の10時だ、こんな時間にアイツが俺に電話をかけてくることなど、今まで殆どなかった。


「はい、もしもし」


「よう鈴木、明日の件なんだけどさ……」


(明日? そういえば日曜に、内藤と一緒に合気道道場に行くとか言ってたっけ……)


「おまえも一緒に来て欲しいんだ……」


「はぁっ!」


 いつ炎上するかもわからないのクソ動画に出演などしたくない。


「なんでだよ! 俺は動画編集担当だろ!」


「いや、俺以外にも合気の技を受ける人間がいた方が面白いじゃん。俺、リアクション薄い方だしさ」


 俺だって、リアクションがいい方では決してない。さては、先に道場主の技を俺に受けさせて、露払いにするつもりだろう。前の動画の様に、いきなり自分が技を受けて醜態を晒したくないという訳だ。


「やだよ、俺は顔出ししたくないもん」


 今は美大受験に向けてお休みしているが、俺も古武術を習っている。だから合気道の技にも興味はあったものの、加藤の動画に出るのだけは絶対に嫌だった。この時刻では、顔を隠すマスクを買いに行くのだって難しい。


「えーーっ! そこを頼むよ、一生のお願い! なっ!!」


 加藤の一生が、今までいくつあったのか数えていないが、こういう頼み方をしてくる時に限ってやたらしつこいのは確だ。


「だったら、内藤にやらせろよ」


「内藤がいなかったら、カメラ回せないだろ」


「じゃー、俺が内藤の代わりにカメラやるよ。とにかく顔出しだけは絶対やらないからな!」


 加藤が道場に迷惑をかけている現場に行くのも嫌だが、顔出しを避けるにはこの妥協案しか思いつかなかった。


「わかった、内藤には俺から言っとく。明日はいつもの駅に、11時半集合な」


 加藤は一方的に電話を切り、俺は再びデッサンに戻ったが、明日の事が気になってどうしても集中する事ができなかった。

 デッサン用のねり消しが、右手の指の間で柔らかく変化する様を、俺はしばらく眺め続けていた。



         *      *      *



 いつもの駅で集合した俺達は、予定通り電車で松ヶ丘に向かったのだが、到着早々迷子になっていた。というのも、この駅には東口と西口があったのだが、どちらの出口で合気道家と待ち合わせするのかハッキリしないのだ。


「どうして、どっちの出口か聞いておかないんだよ?」


「ここ割と小さな駅だし、出口が二つあるなんて知らなかったんだよ」


 事前に道場へ連絡をした内藤が、スマホをポケットから取り出す。今から道場に連絡するつもりなのだろう。


「あれ? 繋がらないぞ」


「ほんとだ、俺のスマホもアンテナ立ってないぞ。どうなってんだ、こんな町中で電波が届かないなんて」


 驚き目を見開く加藤の顔を見て、俺も自分のスマホを取り出したが、やはりアンテナは立っていない。


「仕方ないな……じゃあ、俺が西口見張ってるから、加藤と内藤は東口へ行ってくれ。道場の人と合流した方が、もう一方の出口に迎えに行けば大丈夫だろ」


 俺は咄嗟にそう提案した。約束の時間までもう数分しかないし、これがベストだろう。


「お、グッドアイディア! じゃ、そっちはまかせたぜ鈴木」


 加藤は内藤を引き連れ駆け足で東口に向かい、俺はトボトボと一人西口に歩いた。


「思ったより、なんにもないとこだな」


 松ヶ丘西口の前には大きな森のような公園があり、ビルは線路向こうの東口方面に集中していた。目的の合気道場はビルの14階という話だったから、たぶん東口が正解だったのだろう。それにしても……


「なんで使えないのかな?」


 俺はスマホを取り出し、未だ立たないアンテナを見つめた。いつもなら、ネットで暇つぶしをするところだが、今はそれすらできやしない。


「加藤邦夫さんですか?」


(え?)


 スマホの時刻を確認すると、今は待ち合わせ時刻の午後一時半ジャスト。となると、この女性が合気道家の……


「桂合気道場の、桂美晴です。今日はよろしくお願いしますね」


 俺は彼女が差し出した手を反射的に握り返していた。

 桂さんは、髪をポニーテールに結わえたやさし気な女性で、武道家という感じがまるでなく、俺は面食らってしまっていた。歳も若く、二十歳そこそこといったところだろう。大学生と言われても違和感はない。

 もっとも、上はTシャツ下はジャージという具合で、いかにもトレーニングの最中に抜け出してきましたといった様相ではあるのだが。


「あ、はい、よろしくお願いします。

 待ち合わせ場所がどっちの出口か分からなかったので、加藤のヤツは今東口に行ってます。スマホを使えばすぐ呼べるんですが、なぜか繋がらないんですよ」


「一昨日の台風のせいですね。ほら、風が強かったから電波塔の一本が倒れたらしいですよ。

 明後日には、直るそうですけど」


「あ、そうなんですか。

 じゃ、すぐ東口に行きましょう。加藤達が待ってるんで」


 電波塔一本の故障で、ここまでスマホが繋がらなくなるものだろうか? しかもこんな町中で、と疑問には思ったものの、美晴さんに尋ねたところでどうせわからないだろう。

 ともかく俺は急いで東口に向かおうとしたのだが、美晴さんがそれを引き止める。


「あたし、生徒さん達に無理言って出て来たんです。だから急いで戻らないと。

 あの、ですから鈴木さんは、このまま道場まで着いて来てくれませんか? 道場の場所さえ分かれば、加藤さんも案内できるでしょ?」


(生徒さん達?)


 俺はその言い回しに違和感を覚えるも、すぐに頷いて了承した。美晴さんの指さすビルは公園のすぐ脇にあり、駅に戻るにも時間はさほど掛からないと踏んだからだ。

 しかし……


 「あら、鈴木くんは美大を受けるんですか。うちの生徒さんの中にも美大に通ってる人がいますよ~~、もしかしたら受験の参考になる話を聞けるかも……」


 ……落ち葉舞う公園脇の道を美晴さんと話しながら歩くうち、俺はだんだんと胸を締め付けられるような感覚を覚えていた。


(俺は加藤を、こんな人の道場に連れて行くのか……)


 俺の師匠の穂波さんの例もあるし、武道家らしからぬこの人が、実は達人級の腕前というのもありうるだろう。しかし、彼女の道場の方はどうだろうか?

 美晴さんの人柄に惹かれて道場生になった人だって少なくない筈だ。きっと学生さんや近所の子供だって、沢山いるのだろう。むさ苦しい男どもが、武を極めようと技を磨く様な、そんな道場とはとても思えない。


(この人の和気あいあいとした道場に、あの加藤を連れて行ったらどうなる事か……)


 そもそも何故加藤の取材を受けようなどと、美晴さんは思ったのだろう? 俺が編集した動画を見れば、すぐに加藤がどんな奴か分かった筈だ。それなのに、なぜ彼女はアイツを道場に招こうなどと……


(もしかして動画を見ていないのか?)


 そうだとすれば、高二のユーチューバーが合気道に興味を持ち、道場に取材に来るとしか彼女は思っていないのだろう。

 もしそうならば、これは仕方ない。だって、不用心にも事前に動画を確認しなかった彼女が悪いのだから。


(そうだ、これは仕方のない事なんだ。少なくとも、俺の責任なんかじゃない……)


 ビルに到着するまでの間、ずっと俺はひたすら自分にそう言い聞かせ、心の底から湧き上がる罪悪感を誤魔化し続けていた。

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