第二話『旧王都グランディス』
旧王都グランディス――二百年前、メイヤ北方王国が失った人類最古の都。
現在の王都よりも遠く離れた西側に位置する一帯の魔境を、僕たちはそう呼んでいる。人類が最も欲し、そうして未だ手中に収められない敗北の象徴だ。
ルヴィが手綱を引く馬に揺られながら、口にする。
「……本気で言っているのか君」
「はい。勿論、先輩の可愛い可愛い後輩、ルヴィは何時でも本気です」
旧王都グランディスは文字通り、メイヤ北方王国の中心地であった場所だ。
しかし魔性どもの活性化と大侵攻を受けて、数多の犠牲者を出しながら陥落。人類最大、且つ始祖国家であったメイヤは領土の半分以上を失い、ただの北方国家に成り下がった。
多種族国家である南方列国は勿論、東方の新興国さえもうメイヤに従わない。交易関係は継続しているが、お互い相手を出し抜こうと隙を伺い合っている。
周辺は全て魔性の住処だというのに、人類は協調さえ出来ないというわけだ。
「旧王都グランディスの探索は、先輩のお陰で契約が一時的に棚上げ。名目上は王室の管理地ですが、実態は誰の縄張りでもありません。例え私達が踏み入っても、咎める者も罰する者も入ってこない」
「そうして、魔性とねぐらを一緒にするってか? 僕は御免だね」
「はい。しかし、案外それだけではないようなのです」
ルヴィは、まるで歌でも口ずさむように。軽い口調で言ってのけた。
「グランディスには、行き場のなくなった人間達が寄り集まり、都市のような様相を呈していると聞きました。一時的に逃げ込むには良いでしょう」
「……『鼠の寄り場』か。確かに、逃走先には悪くないが」
『鼠の寄り場』。誰の縄張りでもない、国家の領土ですらない魔境に形成される、行き場の無い人々の非合法的な集まりだ。
無法の地である以上、身を守るには自分の力に頼るしかない。死体が転がっていても、隅へ追いやられるだけ。隣人が犯罪者だなんていうのは日常茶飯事。魔性の群れに襲い掛かられる事だってよくある場所だと聞いている。
「悪いが僕は、生き残れる気はしてないぞ」
「はい。ご安心を、期待していません。可愛い後輩の私がお守ります、先輩」
「そいつは助かる。気味が悪いけどな」
「ここで馬から降りてもいいんですよ。あの方たちも、先輩を殺そうとしているんですから。ここで降ろせばすぐ見つけてくださるでしょうね」
より強めに抱き着いておいた。こんな緊急事態に至っては、相手の身体の柔らかさだとか感じる余裕はない。
僕、あいつらをそんなに怒らせる事したかな。
「旧王都。こんな形で訪問したくはなかったね……」
僕の愚痴は、すぐに馬の蹄にかき消されていった。もう、後戻りは出来ない。そう、暗に告げているかのようだった。
*
アーレ=ラックがギルドを追放されてから、一週間が経過した。
王都も当初のざわつきを捨て去り、ややも落ち着きを見せている。
ただ一か所を除いて。
「はぁ――? 君たち、何を言ってるか分かってるのかな?」
エルディアノギルドハウス内に設けられた円卓議場に、一つの声が響いた。
静かでありながら、空間そのものに亀裂を走らせるかのような重さ。決して大きな声ではないのに、列席した人々の胸を突き刺す。
ギルド創始者の一人――竜騎士パール=ゼフォンの声は、そういう性質のものだった。
大きな紅の瞳がぐるりと議場の面々を睥睨する。後頭部で一つに纏め上げた麗しい銀髪が、今にも逆立ちそうであった。平均的な男性ならば見上げる格好になるほどの長身。それに反した女性らしい体つきは、どこか彼女に彫刻らしき印象を抱かせる。
遠征の目的を遂げた後、彼女は竜を駆けさせ早期に一人帰還した。アーレの喪失を知ったのは、その段に至ってからだ。
竜さえも従わせる声が、議場を再び震わせた。
「聞こえていないのかな? ボクは君らに問うているんだ。アーレがボクらを裏切り、王室とギルドから利益を吸い上げ、私腹を肥やそうとしていた。こんな報告を本当に信じろというのかい」
その圧力に、凡夫が逆らう事は不可能。王都有数のギルドたるエルディアノにおいて、最強の名を欲しいままにする竜騎士に、どう抗えというのか。
声を発する事が出来るのは、ただ一人。議長席に座するルッツ=バーナーだけであった。
「勿論、正気で言っております。竜騎士パール。これは議会も承認した、正式な報告書ですから」
ただ不遜、ただ傲岸。自らが勇者から指名されたエルディアノの代理権限者であると、ルッツは誇って憚らない。
「私の使命は、ギルドを存続させる事。アーレ=ラックの行いは決して許されるものではありません。我らに対する裏切りだけではなく、王室との関係を思えば除籍以外の選択肢はあり得ないでしょう」
「へぇ。周辺のギルドに通達を出したのも、身一つで彼を放り出したのもそのためだと言いたいわけだね、ルッツ」
「罪人には相応しい処分かと」
パールの深い吐息が、吹き出た。ルッツ以外のギルド重役が、総じて背筋をひりつかせる。
呼吸一つ、所作一つで他人を脅かす。
「――この場で頭を抉り抜いてやってもいいぞ。よりによって彼に手を出したのだからね」
しかしルッツは、薄気味の悪い笑みを顔に張り付かせたまま言う。
「言ったでしょう。全てはギルド存続のためです。勇者様も、そうお望みです」
「……代理権限者というだけで、随分な態度を取るものだね」
「相応しい態度と、言って頂きたいですね」
それだけを言って、くるりとパールは踵を返した。もはやここに用は無いとそう告げていた。
「どちらへ?」
「彼を探しにいく。報告内容を信じるかどうかは、彼の言葉次第だ」
「もう、死体になっていると思いますよ」
「ルッツ=バーナー」
パールの声が完全に硬くなっていた。流石のルッツも、背筋を固くする。
「もう一度だけ言う。――この場で頭を抉り抜いてやってもいいぞ」
そのまま、パールは議場を退席する。残った誰もが、眼を見合わせ、青い顔をしていた。ギルドの要石の一つ、竜騎士を憤激させて、これからどうなるのかと。
ルッツの取り巻きたる議員もまた、冷静な表情をしながらも口調が早い。慌てている証拠だった。
「ルッツ様。如何しましょう。もし、竜騎士もギルドを抜けてしまう事になれば――」
「――そのような結末にはなりませんよ」
僅かに瞳を細めてこそいるが、落ち着き払った様子でルッツは言った。演技も含まれているが、彼は自分の言葉を信じ切っている。
「もはやギルドとは、縄張りという領地を持つ一つの領邦です。ギルドに所属出来ない者は、落ちぶれ、全てを失う。彼女もそれをよく理解している」
それに、とルッツは付け加える。
「皆さん、見たでしょう。あのような力で抑えつけようとする輩に、ギルドの統治を許してはなりません。ギルドとして、正しき道を我らにて見出しましょう。王室も、勇者様も、そのように望んでおられます」
青くなっていた議場の面々が、ようやく正気を取り戻す。誰もが力強く頷き、ルッツの言葉に追随した。
「アーレ=ラックなる者の存在で、一時は窮地に立たされましたが。罪人を追放した事で、再び我らは興隆を取り戻します。そのために、力を結束させようではありませんか」
聞こえの良いルッツの言葉は、その場全ての人間の胸中奥深くへと入り込んでいく。
もはやエルディアノの統治者は、間違いなく彼であった。
*
「思い知ったよ、ルヴィ」
「はい。何がですか、先輩」
「人間って案外どこでも生きられるんだな」
旧王都グランディスを見回りながら、感心した声で呟いた。
一週間と少し馬を走らせ、時折都市部を避けるなどの遠回りをしながらも、無事グランディスへと辿り着いた。一瞥しただけであれば、瓦礫を押しのけ、時に積み上げ、虫の巣を思わせる街並みを形成しているだけなのだが。近づけばその印象はがらりと変わる。
多くの人々が中央通りにがやがやと群がり、数多の種族が交わっている。
人間、エルフ、ドワーフ、獣人種。細かい分類を含めれば数え切れない。更には馬以外の異様な生物が、荷駄を引く役を担っている。
「嘘だろ。連中、魔性を使役してるぞ」
目の前を横切るのは、ザールディと呼ばれる巨大な牛の魔性。普段は温厚だが一度暴れだすと狂暴で、二十以上の探索者が揃わないと抑え込めない輩だ。果たしてどうやって抑え込んでいるのか。
また商業も盛んなようで、道端では肉や魚を焼いたものがよく売っていた。それが何の肉かは聞かないのが華だろう。
「はい。先輩、質問があります」
「どうぞルヴィ生徒」
「魔境に人は居を構えるのはまず不可能。そう習ったのですが」
「半分正解。半分間違い」
魔境。魔性たちが君臨し、人類の生存が保証されない地域を僕たちはそう呼んでいる。
しかし、では具体的にどういう土地なのか、というのを知識として知っているのは探索者でもそう多くはない。
そも魔性とは、世界に溢れる大魔力から溢れ出した異形の生物たちだ。彼らの多くは身体を魔力で形作られており、獣に似た連中もただ似ているだけで、獣そのものとは全く性質が異なる。中には発声器官と知性を持つ者も多く、国家も設立しているという噂だ。
だったら隣人として共生すれば良いじゃないか、と思うかもしれないがそうは事が簡単じゃない。
魔力は土地や生物に伝染し、性質を変化させる。
グランディスを見ればわかるが、生き残った家屋も多くは植物みたいに枝を伸ばしたり、時には果実をつけている。ありえない方向にねじくれているのだってあった。
人間だって同じだ。魔力が濃密すぎる空気を吸い続けると、その分魔力を大量に蓄えちまう。時には、人間の身体だってさっきの家屋みたいに変質する事はある。レアケースだが、侵されればまぁ悲惨だよ。まともな生活は望めない。
そんな場所を人が安心して住める土地にするには、根気よく探索者が手を回して魔性を根絶する必要がある。探索者の本来の役割は、決して放棄された家財を回収して売り払ったり、魔力が生み出す結晶で財産を築く事じゃないわけだ。
「僕たちは彼らの土地に住めないわけじゃない。住み続ける事が難しいだけだ。水中と同じだよ。入れるには入れるけど、ずっとそこにいる真似は出来ないだろう」
「はい。先輩にしては分かりやすい説明でした」
こいつ。もしかしなくても僕の事、嫌いだろ。
「では一先ず、寝床を探しましょう。ほとぼりが冷めるまではここにいる必要がありますから。良い宿があれば良いのですが」
「最悪、瓦礫の影で寝る事になるな。夜に襲撃の不安に苛まれる真似はしたくないが」
「はい。先輩に襲われる危険性がありますからね」
はい。じゃねぇよ。今の僕が襲っても腕一本で制圧できるだろうが。
それから暫く、宿屋らしき看板を掲げている場所を複数巡った。外から来たばかりなのが分かっているのだろう。足元を見た金額が多いが、交渉する中で丸め込めば良い。
これから長期的に使おうと思ってるだの、エルディアノの名をほのめかすだの。やり方は幾らでもあった。別に、元々交渉慣れした奴らでもないんだ。王室とのやり取りの方がずっと最悪だった。
結果、グランディスの中心地たる王宮からほど遠い場所の宿屋を、当初予算の半分以下で借りられた。
「はい。相変わらず交渉手腕だけは頼れますね、先輩」
「そりゃそれで飯を食べてる身分だからな」
埃臭い木造の部屋に通され、ぎしぎしと軋む床の感触を確かめながらベッドに腰かける。一室しか借りられなかったが、別に交代で寝れば問題はない。
「それじゃルヴィ、落ち着いた所で話をしよう」
「はい。今後の方針について、ですね。それについては――」
ルヴィが手際よく手荷物を整理し、次の行動の指針について口にした瞬間だ。
「――いや、違う」
その言葉を食いちぎる。碧眼が、くるりと転がって僕を見た。
ベッドから軽く身を乗り出す。
「君がどんな目的で動いてるか、先に聞いておこうと思ってね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます