第7話

 無事に川沿いに辿り着くことは出来たのだが、少し愕然とした。森から少し離れてしまっているので、遮るものが何一つない。森に身を潜めつつ、川から付かず離れずの位置を保って移動しようかとも思ったが、それは止めておいた。


 なぜなら森も危険なのだ。身を隠せると言えば聞こえがいいが、相手にも同じことが言える。その上にエルフ、ドリアード、マタンゴ、アルラウネ、フォレスト・スプライトなど、緑魔法に精通して森を自分の身体の一部のように掌握できる種族だっている。自然が絶滅したヱデンキアにおいても本能は身体に残っているのだ、油断はできない。


 身を守る、ということなら白魔法が最も適しているが、生憎俺は青と緑の魔法以外の成績は中の下と言ったところ。戦力として換算するには心もとない。


 ならば、自分の得手を最大限に活かせるように動くのが得策のはず。それに時間を稼げばヤーリンの影響で戦況が動くかもしれない。


「この川は確か、頂上の池が水源だったはず」


 他の青魔法が得意な奴らとかち合う可能性は増すが、やはり川沿いに水源を目指そう。


 そう思った時、対岸から川を飛び越えて淡く光る何かが俺の方へ向かってくるのが分かった。アレは…


「よう、ヲルカ」

「フェリゴ・・・」


 ヤーリンを除けば俺が一番戦いたくない相手と遭遇してしまった。友情というのもそうだが、悪戯や人をからかうのが上手いフェリゴは戦術が読みにくい。それにコイツはこいつで青と黒の魔法が得意であり、その黒の呪文が厄介だ。


 俺は川に向かって手を伸ばし、魔力を込め始めた。しかし両手を上げて自分に戦意がない事をアピールしてきた。


「待て待て。闘うつもりはないさ」

「じゃあなんで」

「ヤーリンのところに行くんだろ? お前とヤーリンの傍に付かず離れずでいるのが、一番おこぼれにありつけそうだと思ったからさ」


 なるほど。ちゃっかりしている。それでも敵対しないのであれば、精神衛生上非常に助かる。


 フェリゴと道連れになって気が付いたが、ルール上全員が敵になるとは言え、やはりチームを組もうとするのは自然の流れなのだろう。普段からの仲の良い者同士なら連携も容易いだろうし、サインを破壊できる確率も上がる。


 ともすればヤーリンもすでに誰かと組んでいるかも知れない。でもヤーリンには誰かと手を組むメリットがないのか…いやでも優しいヤーリンの事だから、仲のいい友達とかは助けようとするかも。もしかしたら俺と組もうと思って探してくれているかも知れない。


 そんな皮算用に耽っていると、もう一つ肝心な見落としをしていたことを思い知る。左右の森と川は目を光らせて警戒していたのに、遮るもののない上を全く以って忘れていた。


 それに気が付いたのは、タックスの取り巻きの一人であるハーピィのザルシィの警笛が鳴り響いたからだった。見れば、上空でザルシィがこちらを指差し、何かを叫んでいる。十中八九、俺達を見つけた事をタックスに知らせているんだろう。


 だが知らせ方がアホ過ぎる。あれでは自分とその仲間の位置を他の生徒にも教えてしまう。案の定、報告に気を取られ過ぎているザルシィに、隣のクラスの天使やドラゴンや、飛べる亜人たちが近づいていくのが見えた。あの分なら、きっと下にいるであろうタックス達も標的にされるはず。せいぜい潰し合ってくれることを願うばかりだ。


 ◆


 その隙をついて俺とフェリゴは誰とも接触することなく、目的の山頂の池に辿り着くことができた。


 だが、残念なことにヤーリンの姿はない。幸いにも他の生徒たちの姿もないので、戦うことはなさそうだ。物陰に隠れて、ヤーリンがここに来てくれることを信じて待つか、こちらから動こうかと考えていると、フェリゴが叫んだ。


「おい! ヲルカ、やばいぞ」


 まるでその声に合わせるかのように、山頂の池とその水際に近づいている俺達を取り囲んでタックス達が現れた。「嘘だろ」と、喉まで出かかった言葉を何とか飲み込んで強がりとした。


「待ち伏せかよ」


 逃げる選択肢は考えるだけ無駄だった。取り囲んでいる奴らの警戒の色が今までとは段違いだ。さっきみたいな囮は二度と通用しないだろう。かと言って戦いを挑むのも無謀すぎる。


 俺が歯を噛んで悔しがっていると、悠々としたタックスが歩み寄ってきて勝ち誇って言った。


「さっきザルシィが応戦してたのに、何で僕たちがここにいるんだ? って顔してるな」


 その通りでムカついたから返事はしなかった。けれどもタックスは余裕の表情で続きを話す。


「アレはわざとやったんだ。ザルシィがやられれば、普段の僕たちを知っている連中は「あ、タックスもやられたな」なんて、勝手に勘違いするだろう?」

「…なら、ザルシィは?」

「さあ? お前がここを目指してるって事は教えといたから、無事なら来るんじゃないのか?」


 それはつまり、アレか。捨て駒にしたって事か。


 正直、ザルシィとはさして仲が良いわけじゃないが、ここまでくると憤りを覚える。そしてザルシィがそんな扱いをされているっていうのに、他人事のようにタックスに従っている連中にも同じことが言えた。そんなだから、お前らヤーリンだけじゃなく他の女子からもモテないって事に気が付け。


「ま、お前の得意分野を考えればここを目指すことくらい誰にでも予想できるがな」

「魔法で得意不得意がはっきりし過ぎているのは考えものだな」

「ああ。という事はこの場合、『数』というのが最大の武器になる」

「しかもに頭が切れるっていうのも厄介だ」

「おいおい、褒めたって手は抜かないぜ? それとも命乞い?」

「お前に言ってんじゃないよ」

「…何?」


 俺の不穏な様子にタックス達だけじゃなく、フェリゴまでもが動揺した。けれど池の近くにいたフェリゴにはすぐに俺の言った言葉の意味が伝わったようだ。二人でそれとなく、防御の体勢をとる。


「お前らが結託して俺を狙い、ここを目指してやって来るって読んでたんだ―――ヤーリンがな!」


 俺達が屈むと同時に池が爆発したかのような水しぶきが起こった。そしてその合間を縫うようにして魔法が飛ぶ。タックスと仲間たちは粗方が吹き飛ばされ十人前後が、サインを破壊されてしまった。


「ごめんね、みんな」


 やがて水しぶきが収まって、姿を現したヤーリンが正しく蛇のように先の割れた舌をペロッと出して、茶目っ気たっぷりに言った。可愛い。


 さらに池の中には、ヤーリンと普段から仲のいい女子生徒が見受けられた。人魚、ニンフ、ウィンディーネ、ヴォジャノーイなど、他のクラスの水棲の種族とヤーリンはよくつるんでいたのを思い出す。


 だがこの状況は助かったようで、実は助かってない。チーム・ヤーリンが俺達を狙わないという保証がない以上、これは事実上の三つ巴の混戦。ってことは、挟まれてる俺達が一番ヤバいじゃねーか。


 だが、幸いなことにタックスの取り巻きでサインを破壊された奴らが、暴れはじめて陣形を乱している。


「待て、お前ら。仲間割れしている場合か」

「ふざけんな。サインを壊されて、仲間もクソもあるかよ」

「開始30分で失格とかあり得ないだろうが」

「まだアピールできる時間は残っているだろ」


 しかしタックスの説得は失敗に終わり、ゾンビとなった連中が手当たり次第に攻撃を始めた。見る見るうちに陣形が崩れていくのと反比例するかのように、ヤーリン達は実に冷静に隊列を整えた。下手に手を出すよりも、傍観と守りに回り同士討ちを誘った方が良いと判断したのだろう。賢い。


 ともすれば。俺達にできる最良の手はこの混乱に乗じて逃げ出す事。思うところは色々あるが、サインを破壊されないように徹するのが最優先だ。けれども、俺の動きだけは目敏くタックスに止められる。


「逃がすかっ!」

「そんな事を言ってる場合じゃないと思うけど?」


 事実、無作為に魔法が飛び交い、流れ弾を喰らう可能性が圧倒的に高い。その上、比率的に青の魔法を使う奴が多いせいか、池の水がどんどんと少なくなっていき、タックスのチームとヤーリン達も衝突間近になっている。そうなったら戦いはさらに激化して手に負えない。


 その時、山頂付近に審判のユークリム先生の声が響き渡った。


『全生徒は攻撃を中止せよ。繰り返す、全生徒は攻撃を中止せよ』


 反則になっては堪らないと、全員が魔法を使うのを止めた。しかし怒りは収まらず、今度は文句と雑言が飛び交う事になった。


「なんでだよ、コラ!」

「ふざけんな!」


 何故攻撃を止めさせられたのかを考えていると、誰かが群衆の合間を華麗にすり抜け、無差別に十人足らずのサインが一気に壊される事態が起きた。


「なにっ!?」

「よっしゃ、5点ゲット」

「フェリゴ!?」

「おい反則だ。攻撃は禁止されただろ」


 その場の全員が同じことを思ってフェリゴを見た。しかし肝心のそのフェアリーはニヤリと耳まで裂けるような笑いを見せた後に俺達に向かって言った。


『皆に言っておくけど、先生の声だからって信用しちゃいけないよ』


 …。


 フェリゴから先生の声…?


 誰も彼もが理解するのに数間あった。そして見事にフェリゴの策略に嵌ったと理解した時、声と怒りと魔法とが、火山が噴火するかの如く発せられた。


 優に達成数以上の点数を掻っ攫たフェリゴは目くらましの呪文を一つ唱え、姿を何処かへ消し去った。後には嘲笑うかのような声だけが残る。


「それじゃあヲルカ、後は頑張ってな」

「最悪だ。かき乱すだけかき乱していきやがった」


 山頂は再び戦火に渦巻く。ゾンビが増え、魔法に怒りと焦りが乗っかっているので、苛烈さはさっきまでの比ではなかった。フェリゴのせいで二つのチームは最早チームとしての機能を完全に失っており、試験開始と同じように全員が敵の状態に逆戻りしている。


 もうこうなったら自分のサインがどうこう言っている場合じゃない。俺は少しでもヤーリンに近づき、身を挺してヤーリンを守る盾となることを決意した。


 その時である。


 減少していた池の水を更に掻き分け、巨大な「何か」が突如として現れたのだ。


 昼間であるのに、黒い靄のようなものを纏っているので、「何か」としか形容することができない。その何かは目の前にいた生徒に何かを呟いた。ここからでは距離があり過ぎて聞こえなかったが、生徒たちが戸惑っているとしびれを切らせ、順に腕を使って薙ぎ払い始めた。


「「な、なんだ?」」

「ヤーリンの召喚術か?」


 強さが段違いだったせいで、誰かがそう言った。そんな余裕があったのはその何かから距離のある生徒たちだった。近くにいる奴らは躊躇いなく襲い掛かる脅威に、叫び声を上げて逃げ惑っている。阿鼻叫喚とはこの事だ。


 だが、流石にこれはやり過ぎだ。吹っ飛ばされた中には森の木々にぶつかり、呻き声を上げて苦しんでいる奴だっている。俺は何とかヤーリンの傍に近づいて告げた。




「ヤーリン、召喚獣を引っ込めて! アレはレベルが違い過ぎる」

「違う。私は何も召喚してないの」

「え?」


 ヤーリンの召喚獣じゃないなら、何だって言うんだ? あのレベルの召喚が出来る生徒はヤーリンの他に俺達の学年には居ないはずだ。


 ひょっとして…俺が嫌な予感を払拭しようとしている最中、気概のある何人かは逃げずに黒い何かに立ち向かっていた。


「この野郎っ!」


 ケンタウロスのクルドが火炎を放つ。それは確かに黒い何かに当たったのだが、何事もなかったかのようにピンピンとしている。


「何!?」

「魔法が効いていない…?」


 すると、再び演習場の中にユークリム先生の焦った声が響く。今度のは正真正銘の本物だった。


『緊急事態だ。山頂の池の周囲にいる生徒は退避せよ。それはテストとは関係のない魔物だ』


 その言葉に、俺は過ぎった考えをポロッと口から零してしまう。


「まさか…本当に『ウィアード』なのか?」


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