蟹を食らう

惑星ソラリスのラストの、びしょびし...

第1話

 話の途中、何となく居たたまれなくなって、あるいは手持ち無沙汰になって(通夜のプランはどうとか、花はどうとか、誰に連絡するかとか、その手の話は僕にとって不得手な内容で、逆にいえば兄貴が最も得意とする分野だった)、僕は職場から電話が掛かってきた振りをして葬儀場の外に出た。駐車スペースの隅に、灰皿スタンドがひとつだけ立っていた。そこでセブン・スターを一本取り出して火をつけた。

 煙草をくわえ、スマートフォンで職場にメッセージを送った。僕の、今日の業務を引き継いだ先輩がお決まりの定型文(「この度は、まことにご愁傷様で……」で始まるやつ。僕はあれがいまいちしっくりこない。まるでサイズの合っていないぶかぶかのスーツを着ているみたいだ。あるいは僕にとっての「社会」とはつまりそれなのだ、と僕は時々思う)とともに「こちらは気にせず、お父さんのそばにいてあげてください」とか何とか、スマートに・スピーディに送り返してきた。

 なるほど、と僕は感心し、そしてメッセージの内容について考えた。

 お父さんのそばにいてあげてください? 

 父はもう死んでいるのに、そばにいて、それが何だというのだろうか?

 そこへ兄貴がやってきた。兄貴は僕を見て何故か照れくさそうに、おぉ、と洩らし、僕の隣の、ちょっとだけ離れた位置に立ち、手にしたスマートフォンを、その太い指(肉付きが良い、というよりは純粋に骨が太い感じがする。骨が太い、というのは兄貴の性格とか、これまでの生き方とか、そういうものを端的に表している気がした。どうして兄弟でこうも違うのだろうか? あるいは兄弟だからなのだろうか?)素早く叩き、電話を掛け、業務の進行をいくつか確認し、それらに合わせた指示を矢継ぎ早に出して電話を切った。それから画面を二三ほど縦に繰り、コツコツと叩き、それが済むとふぅーっ、と溜息ひとつついて、僕を見て、煙草をねだってきた。

 くわえた煙草に火をつけてやると、兄貴はすぅーっ、と深く煙を喫って肺に入れた。そして胸を反らし(彼の背広が、彼の背中でとても窮屈そうに深い皴をつくった)空を仰ぎ見て、たっぷりと時間をかけてそれを吐いた。

 煙は十一月の空へ向かって昇っていった。よく澄んだ青空に、うろこのような雲がぷかぷかと浮かんでいた。

 しばらく二人で、ぷかぷかと煙草を喫っては煙を吐いた。


 終わってみれば呆気なかったなあ。

 煙草の先を灰皿スタンドにごしごし擦りつけて、兄貴が言った。僕は頷いた。呆気なかった。入院してから、わずか二週間足らずの出来事だった。

 僕は一度だけ極めて儀礼的に、病室の父を見舞った。僕たち親子は最初にぎこちない、千切って投げたような挨拶を交わし(バッキンガム宮殿を守る衛兵のように儀礼的に)、二言ほど事務的な事柄を話した。それを終えると、僕と父のあいだにはもう話すべき事柄が何もなかった。

 何も、だ。

 父はどことなく剣呑な顔で(父の顔のバリエーションというのは驚くほど少なかった。つまり剣呑な顔か、恐ろしく剣呑な顔かのいずれかだ)「仕事はどうなんだ」と聞いてきた(順調だよ、と答えた)。そして「今年の中日(ドラゴンズのことだ)は、駄目だな」と洩らした(無言。僕はなにも答えなかった。特に中日ドラゴンズに対して肯定的な、あるいは否定的な意見も無かったから)。

 それが父の最期の言葉だった。“今年の中日は、駄目だな”。

 あれが親子の、最期の言葉で良かったのだろうか? もっと何か、別のことを話すべきだっただろうか? でも、何をだろうか……何も思い浮かばなかった。そしてそれは、恐らく兄貴にしてもそうだろうな、と僕は思った。

 よし。と兄貴は自分自身に向かって、あるいは僕に向かって小さく呟いてから、葬儀場の中へ、のそ、と歩きはじめた。僕も煙草の先をぐりぐりと灰皿スタンドへ押し付け、兄貴のあとに続いた。


 中へ戻ると、葬儀場のスタッフがこちらにやってきて、慇懃無礼に、くだんの挨拶(「このたびは……」)をした。兄貴は鷹揚に応じ、僕はぎこちなく少し頭を下げた。彼女は四十代にかかったくらいで、とても落ち着いていて(落ち着いていない葬儀場スタッフというのは色々辛そうではあるが)、なんというか、この場にごく自然に馴染んでいた。ある種のプロフェッショナルと呼ばれるタイプの人種というのは、そこにいることを周りの人間に意識させないのだ、という台詞を僕は思い出した(どこで聞いたのだろうか、なにかのドキュメンタリーだっただろうか?)。ともかく、彼女はそういうタイプの人間だった。彼女が兄貴と話しているのを見て、ふと、ここにいない時の彼女はいったいどんな顔をしているのだろうか、ということを僕は考えた。

 彼女は兄貴と、明日の葬儀に関して細々とした二三のやりとりをし、それからわれわれ兄弟にこう尋ねてきた。

 お父様は、どういった方だったでしょうか? お人柄ですとか、何か、特に印象に残っている思い出などはありますか?

 それまで、整氷車が入った直後のとてもよく均された氷の上(それは一切の凹凸も、硬軟の差も無い、まるで一枚板の金属で出来ているような、見事なスケートリンクだった)を滑るように応対していた兄貴が、その一言ではたと固まった。

 それでも、商社マンらしいガッツ(あるいは商社マンとして訓練された肉体の賜物かもしれない)で兄貴はとりあえず口を開いた。そこから言葉は出なかった。開けた口を取り繕うため、次に兄貴は無理くり口角を上げた。それは微笑みというよりはむしろ、大頬骨筋や口角挙筋の純粋で機械的な動作確認という印象を僕に与えた(「ソラリスの陽のもとに 」で、“海”が巨大な赤ん坊をつくってぐりぐりと動かしていた、みたいな感じだ)。最終的に、兄貴は口元を手で覆わざるを得なかった。そのあと、目の前にいる彼女の頭の右上あたり、何もない空間をじっと見つめた。そこに何か啓示的なものを見出そうとしているかのように。

 彼女は彼女で、兄貴が何か印象に残ったエピソードを纏めようとしている、あるいはこれまで気丈に振る舞っていたものの、やはり内心ではひどく動揺していて、それがふとしたきっかけで表に出たに違いない(そういうものを彼女は飽きるほど見ているのだろう。彼女はある種のプロフェッショナルだから)、そんな目や顔で、兄貴をじっと見つめ、辛抱強く次の言葉を待った。

 啓示的なものを見出すことを諦めた兄貴の二つの目が、今度は彼女と僕と兄貴自身を結んだ、ちょうどラグランジュ・ポイントにあたる床に向けられた。せっかちな人間がカップ麺のフタを開け、まだ十分に水分を吸いきっていない固い麺と、スープと、わずかな具材を攪拌し出すには十分なほど、その状況は続いた。幾人かのスタッフが、僕たちのいる部屋にやってきたり、出ていったりした。

 今年の夏は本当に暑く、そして長かった。つい先週(つまり10月の終わり)まで僕は半袖のTシャツで過ごしていたのだ。スーツなんて普段着なれないものだから、今日は涼しくなってくれて助かったなあ。そういうことを僕はぼんやりと考えていた。

 彼女はプロらしく、この状況に耐えていたのだけれど、そのうち、ほんの少し、あるかなしか首を傾げ、あるかなしか眉根を寄せ、僕のほうをそっと見てきた。僕は彼女の顔を見て、次に兄貴の顔を見た。兄貴は僕の視線に気づいて、やはりこちらを見た。僕たち兄弟はちょっとばかり見つめ合い(こんな風に見つめあったのは何年ぶりだろう?)、そしてほとんど同時に肩をすくめた。

 父はどういった人間だったのだろうか? それは僕たち兄弟こそが問うべき言葉だった。しかし今更、一体だれにそれを問えばよいのだろうか?

 あっ。と、兄貴が突然に声を上げた。

「あれだ、ほら、かに……」

 かに? あっ……。


 *


 多くの場合において(というのは、365日あるとして、だいたい360日くらい。子供の頃のイチローの練習量と一緒だ。もちろんこれは子供の頃の体感として、だけれど)父が帰ってくるのは夜遅くの日付の変わる頃か、あるいは空が白むころとか(父には僕たち兄弟や母に気を遣って静かに玄関を開ける、という考えはまったく無かったようだったので、僕は父が帰宅した時の窓の外の空の明るさなんかをぼんやりと覚えている)、だいたいそんな感じだった。

 父は編集者だった。校了前は泊まり込みもざらにあったし、そうでない時は部下か、担当する作家か、もしくはその両方と飲みに行っていた。そういったディティールさえも、母がぽつりぽつり、断片的に洩らす話から推測した内容にすぎなかった。少なくとも、僕にとっての父とは、母の語る言葉の端々に立ち現れるあいまいな影をかき集めた、完成像の分からないジグソーパズルのような存在だった。休みの日は午後遅くに起きて、長風呂のあとは一人で出かけるか、書斎に籠るか(持ち帰った仕事をしているか、そのための本を読んでいるか。もしかすると純粋に自分のための本を読んでいたか)のいずれかだった。たまに書斎に行くと(僕はたまに書斎に行くことをことさらに避けていたのだけれど)、もうもうと立ち込めるセブン・スターの煙か、もしくはその匂いの痕が長らく換気されていない部屋の中に色濃く残っていたのを覚えている。

 父と話した記憶というのはほとんど無い。たまに顔を合わせて夕飯を食べるとき、まず母が僕たちに何かを訊ね、それについて僕たちが答え、その答えを母が父に伝えていた。それを聞いた父はナイター中継(父は熱心な中日ファン、いわゆる竜党だった)を見ながら、「ああ」とか、「うん」とか、ひどくつまらなそうに言った。退屈な映画を見た後だって、これよりはもう少し気の利いた言葉が出てくるだろうと思う。これが父の性格なのか、僕(あるいは僕たち兄弟)の側の問題なのかは分からなかった。その代わり(というと変だけど)、父にこっぴどく怒鳴られた記憶は、いくつか、いや、いくつもあった。怒鳴られた切っ掛けそのものは忘れてしまった(忘れてしまうほど、ほんとうに些細なものだった。思い出せるものとしては例えば、僕が小学生五年生の頃、黄色の点滅信号について、ほんとうに些細な、取るに足らないような疑問をうっかり洩らした際(確か、「黄色だけど進んでいいの?」だっただろうか)、なぜか運転していた父は家に着くまで、烈火の如く怒り続けたのだ)のに、怒鳴られたことそれ自体は、僕が大きくなっても、大学に入って、会社に入っても僕の心の隅に残り続けていた。

 結局のところ、僕は父が怖かったのだ。ずっと、ずっと。


 父がその日帰ってきたのは確か午後四時前だったと思う。僕と兄貴は居間でゲーム(今でいうところのFPSのはしり、のようなやつ。武器を持ってない時のキャラは、チャチなおもちゃのような、直線的なチョップを延々と繰り返すと言えば、やったことがある人には分かるのでは無いだろうか)をしていた。いま振り返れば驚くほどお粗末な造りのゲームだったのだけれど、当時の僕たちは(というか、僕と同世代の子供たちはたいてい)異常なほど、そのゲームに熱中していた。僕たちは狂ったように相手キャラ目掛けて直進し、ちゃちなチョップを飽きることなく繰り返していた(お粗末な、とあえて言ったのは、先日そのゲームを実に二十数年ぶりにやる機会があったからだ。「昔懐かしの」がコンセプトのバーで、僕は友人と駄菓子を食べながらそのゲームをプレイした。店員がカートリッジの読み込み部分へ勢いよく息を吹き込み、ようやく起動したそれは、果たして驚くべき低さの解像度と、信じられないほどの粗い動きをしていた。それは僕に、喪われた時代への抗い難い郷愁をもたらした)。

 僕がロケットランチャーを手に入れたちょうどその時、インターフォンが鳴った。兄貴は立ち上がらなかった。僕も手を離せなかった(なぜなら、ロケットランチャーを手に入れたところだったから)。インターフォンがもう一度鳴った。兄貴は立ち上がらなかった。仕方なく、僕は立ち上がってモニターを見た。画素数の低い、小さなモニターの前に男の人がひとり写っていた。

 モニター越しに見るその人の顔──全体的に角ばっている。額はやけに広く、太い眉の下の落ち窪んだ、大きな目が、黒縁の神経質そうな眼鏡の奥でぎょろりと動いている。鼻の下と、顎と、少しこけた頬に薄っすらと不精髭が生えている──を、僕はまじまじと見つめた。こんな風にじっくりとその人の、つまり父の顔を見るのは、後にも先にもこれが最初で最後だった。

 モニター越しのその父が、ぎょろりとした目でモニター越しに僕を睨みつけた。

「うわっ」と、僕はモニターから一歩後退りした。兄貴が「だれ?」と声を掛け、答えない僕を押しのけるようにモニターを見、「うわっ」と言った。言うとすぐに、玄関へ向かって駆けだしていた。コンマ遅れて、僕もその後を追った。

 ドアを開けると、父は開口一番に「母さんは?」と訊ねた。「買い物に行ってるよ」と兄貴が答えると、「ああ」とだけ答え、まるでそこに僕たち兄弟がいないかのように中へ入ってきた。

 父は鞄を置くとまた玄関を出て、門扉の前に停められていた黒のミニバンのスライドドアを開けた。ウチの車では無かった。開いたドアの先の座席には大きめの発泡スチロールの箱が三つほど縦に積まれて座っていた。父はそのうち二つほどを抱えて戻ってくると、それらを玄関上がってすぐのところに置いた。

 運転席から若い男が降りてきて、父と一緒に箱を運ぶのを手伝い始めた。兄貴もそれに倣い、そのあとに僕が続いた。

 まずミニバンの二列目シートに積まれた分を、次にその後ろの荷室にたっぷりと積まれた分を手分けして運んだ。抱えた箱からはスーパーの、鮮魚コーナーのようなにおいがした。玄関から続く廊下に沿って、発泡スチロールの壁が出来た。それを眺めて、僕が玄関の土間でぼけっと突っ立っていると、「かにだぜ」と兄貴が後ろから囁いた。

「かに?」

「そう、かに」と兄貴は両手でピースサインよろしく、人差し指と中指をちょき・ちょきと動かした。

「これ、全部?」

「そう、いや、たぶん。わかんねーけど」

「かにだよ」と、車に乗っていた若い男の人が、いつのまにか僕たちの後ろに立ってそう言った。男の鼻の向かって右側に大きな黒いほくろがあった。

「これ、全部?」と兄貴が聞くと、男は「ぜんぶだよ。かに」と言った。それから、両手でピースサインをつくった。ちょき・ちょき。かに。

 その男は父と二三、会話をすると、ミニバンに乗って直ぐに去っていった。家には、父と、兄貴と、僕が残された。

 父が書斎へ鞄を置きに行っているあいだに、僕と兄貴は急いでゲームを片付けた。もうロケットランチャーどころではなかった。ちょうどその時、玄関から「あれまあ」と母の声がした。

 廊下へ出ると、母が積まれた発泡スチロールの壁の一番上のフタをずらし中を覗いて、かにじゃない、と言った。そして廊下に沿って積まれた発泡スチロールの壁をしげしげと眺めて、「……これ、全部?」と言った。


 後にも先にも、父が調理をするのを見たのはこの一度きりだった。

 父は手伝おうとする母を退けると、居間と台所を仕切る引き戸を閉め、ひとり台所へ立った。父が調理をしているあいだじゅうずっと、僕と兄貴と母は居間でテレビを見ていた。テレビのボリュームはとても小さく絞られていた。夕方のニュースが終わるとナイター中継が始まった。中日と阪神の試合で、どちらのチームも自力優勝が潰えたあとの、いわば消化試合だった。台所からは時折何かが床に落ちる「がしゃん・ごとん」と大きな音、だれかが(父しかいない訳だけれど)なにかにぶつかる「ごつん」、だれかの「くそっ、くそっ」という短い悪態が聞こえてきた。そのたびに母は何度も台所のほうを振り返ってはやおら立ち上がり、そしてまたそろそろと座った。僕たちも様子を見に行きたいような、行きたくないような、そんな感じでおろおろとしていた。阪神の八番打者が打ったどんづまりのフライが、ショートとレフトとセンターのラグランジュ・ポイントに落ちて、そのあいだにランナーがひとり生還し、後続のランナーがホームベースと三塁のあいだで挟まれ、行ったり来たりを繰り返すあいだに、バッターは二塁ベースを踏んだ。結局挟まれたランナーも無事三塁に辿り着いた。

 父は時折、台所から廊下に出て、積まれた発泡スチロールを一箱、二箱抱え、そのままの姿勢でちょっと居間を覗き込み、テレビに映ったナイター中継を何も言わずにじっと見つめ(父が見ているときに限って中日の選手はつまらないミスをしていた)、ちっ、と舌打ちをし、再び台所へ戻っていった。

 試合は乱打戦になる訳でも、投手戦になる訳でもない、子供の目に見ても、どうにも締まらないような内容だった(毎回死球か、四球か、敵失によるランナーが塁に出て、運が良ければそのうち一人くらいがホームベースまでたどり着いた。だいたいの回において、多くのランナーが塁上に残ったまま、打席に立ったバッターは見逃しの三振とか、ファウルフライで斃れた)。兄貴がリモコンを手に取って、裏番組にチャンネルを変えようとした。ちょうどそのタイミングで、台所から「あおぁっ?!」と明らかな怒声がした。兄貴はびくりとしてリモコンをテーブルに置き、母は今度こそ立ち上がり父の様子を見に行った。耳を澄ますと、父の唸るような、千切って投げつけるような声がして、再び母が戻ってきた。

 試合は8対5で阪神が勝利した。そこから15分遅れで夜9時からのドラマが始まり、そこから更に20分ほど経ったのち、その日の夕食が始まった。

 居間の、食卓として使っている幅の広いローテーブルの端から端まで、みっちりと皿や器や鍋が置かれていた。それの上には更にギチギチに、あらゆるフォーム・あらゆるテクスチャのかに──刺身・天ぷら・焼き・蒸し・コロッケ、炊き込みご飯にお吸い物、でっぷりと太ってふわふわの・身がたわわに実った脚・ぱつんぱつんに身の詰まった爪、ミソ・ウチ・ソトコが盛られた甲羅──が載せられていた。しゃぶしゃぶ用のお鍋はふたつ置かれ、いずれもふつ・ふつと音を立てていた。食卓の中央には、おそらく未だ何の調理もなされていないであろう、生まれたままの姿(というのは、つまり両手と両足、胴、突き出た眼とひげと、それらが損なわれることなくフルセットで付いている状態ということ)のタラバが二杯、これ見よがしにでんと鎮座していた。二人のタラバは死体だったにも関わらず、ひどく尊大な態度で僕を見つめていた。そんな態度さえも自然に思えるほど、彼らは堂々としたタラバの、堂々とした死体だった。

 父はエプロンを脱ぎ、それを乱雑にソファのほうへと放り投げ、食卓の長辺の、ちょうど中央あたりに腰を据え胡坐をかいた。僕たち兄弟は少しまごついてから、短辺の一方に二人揃ってぎゅっと縮こまって座り、その向かい側に母が座った。

 父は僕たちを見ることも無く、目の前の食卓に並べられたかにをひとしきり睥睨し、ただそれらに向かってだけ、小さく黙礼をした。

 これは本当にそうだったのだ。あの夜、あの時、父の目、父の現実の中に、同じ食卓を囲み・ひどくへこんだ腹を抱え・ただ黙って・てろてろに間延びしたナイターの終わりまでじっと耐え忍んでいた、母や兄貴や僕は存在していなかった。ある種の小ざっぱりとした雰囲気さえ漂わせてベンチをいそいそとあとにする中日ドラゴンズも存在しなかった。更に言えば父がいま抱えている仕事や、なにかにつけて原稿を遅らせる大先生も存在しなかったし、坂を転がり始めた日本経済も、どこか遠い国の戦争も存在しなかった。

 ここにはただ父がいて、次にかにがあった。

 そして父は本当に、ただ独りで、かにをむしゃり・むしゃりとやり始めた。母や僕たちに向かって、ただの一言(「じゃ、食べるか」とか、「いただきます」とか)も、あるいは目配せのひとつも無かった。父は……ただ、独りだった。独りで、かにを食らい始めた。

 マジかよ。

 その言葉は確かに空気を震わせて、僕の耳に届いた。

 ふと我に返ると、兄貴がぎょっとして僕を見ていた。兄貴の顔を見て、僕は今しがた鼓膜を震わせた音──マジかよ。──というのは、僕の口からしかと放たれ、居間の空気を、現実に震わせていたらしい、ということを理解した。次に僕は正面に座る母の顔を見て、僕の言葉がそこまで届いていたことを理解した。つまり母よりも近い位置に陣取っている父に、僕の言葉は確実に届いていた、ということだ。

 脇のあたりから冷たい汗が流れ落ちて、呼吸は浅く・荒いものになった。目の前がチカチカと点滅して、焦点がうまく合わなくなった。そんな目で、僕はとてもゆっくりと、父のようすを伺った。

 父は──ただ食べていた。かにを。一心不乱に。

 右手にかにの足(焼いたものが二本、刺身が二本)を四本(それぞれを指のあいだに挟んでいた。そういうタイプのX-MENに見えなくも無かった)、左手に胴を二肩(つまり、一杯分)重ねて持ち、それらを交互に口に運んでいた。口いっぱいのかにの身を頬張りながら、目は食卓に置かれた次のかにに釘付けになっていた。あるいは、次の次のかにに。あるいは、次の次の次のかにに。

 父の姿は尋常ではないタイプの恐怖を僕にもたらした。それはいつ怒鳴られるか分からない、という平生の恐怖とは明らかに違うタイプのものだった。人は理解できないものを恐れる、というのは月並みな言い方だけれど、その時の父の姿はまさしくそれだった。かにを食らう父は明らかに常軌を逸脱していた。父ではない何か(メン・イン・ブラックの第一作目に登場した“バグ”のように人間に擬態したエイリアン、それもかにが大好きないエイリアンなのだ)が父の姿に擬態し、僕らの家の食卓について、かにをむしゃりむしゃりとやっている。そんな風に見えた。しかしそれは事実疑いようなく、僕の父だったのだ。

「なんでそうなるのよ!」とテレビドラマの女が叫んだ。彼女はベットの上で、服を着ていなかった。そして泣いていた。

 それじゃあ、私たちもいただきましょうね、と母が掠れた声で言った。僕は、自分がすこぶる腹を空かせていたということを思い出した。

 僕と兄貴は、母に倣って手を合わせた。いただきます、いただきます。そして兄貴がまず目の前のかにの足のお造りに手を伸ばした。その瞬間、

 ううううう

 と低い唸り声が聞こえてきた。

 野犬だろうか? または野良猫だろうか? けれどその声は家の外からではなく内から、それもとても近いところから聞こえてきた。兄貴はかにに手を伸ばしたままの体勢で固まっていた。

 唸り声は僕たちが今いる居間から聞こえてきていた。テレビでは無かった。テレビでは先ほどベットの上で、全裸で泣いて喚いていた女が、20代くらいの若い男と、ひしと抱き合い、キスをしていた(確かこの二人はこのドラマがきっかけで結婚し、そして男のほうの不倫がきっかけで数年後に離婚していた、と思う。もしかしたら、それは全く別の二人組かもしれない。テレビの向こうではそういう二人組が、それこそ、この日僕たちの家に持ち込まれたかにたちのように、大量にいるような気がする)。彼らの背後には東京の、どこかのビル群の夜景が映し出されていた。スタッフロールが画面の下を這い始めた。エンディング・テーマが流れ出し、次回予告が始まった。唸り声はテレビドラマからでは無かった。それはおよそ野犬・野良猫が映り込む余地のない、スマートでフレッシュでクリーンでチープなドラマだった。

 唸り声を発していたのは、父だった。

 ううううう

 かにの甲羅焼きを甲羅ごと持ち上げて、中にたっぷりと盛られたミソとウチコとソトコと身をずずーっ、ずずーっと啜りながら、上の歯を歯茎まで剥き出しにして、上目遣いで兄を睨みつけ、父は唸っていた。剥き出しにした上の歯は甲羅をカニミソごと噛み砕きかねない勢いで噛み締められ、二つの目にはまさしく“怨”としか呼びようのない昏い炎が灯っていた。その姿勢で、

 ううううう

 と父は唸っていた。

 兄貴は目を見開き父を見ていた。そしてお造りに伸ばした手をゆっくりと引っ込めた。しばらく父はそのままの姿勢と表情と目で兄貴をねめつけるようにして唸っていたが、やがてずずーっ、はふっ、ずるっ、ずずーっ。と甲羅に盛られたミソと身を啜り始めた。

 兄貴は僕と顔を合わせ、僕たちは母と顔を合わせた。母の顔は引き攣っていた。ふだん父が癇癪を起そうとも、それが理不尽であろうとも(理不尽でない父の癇癪というのはほとんど無かったのだけれど)、これまで母はそんな顔をしたことがなかった。この時の引き攣れた顔は後年、つまり兄貴や僕が家を出てから、たまに母に会う時(もちろんそこに父はいない)、話題が父のことになるたびに現れた。

 兄貴は果敢にも、今度は父から死角となる食卓の奥、かにの爪が盛られた皿に向かってこっそり手を伸ばした。なるべく上半身のかたちを変えずに、そっと。かにの爪の手前にはしゃぶしゃぶ用の鍋(そこからは湯気がもうもうと出ていた)があり、父の位置からは兄貴の手の動きを見ることはできないはずだった。僕は兄貴から努めて目を逸らすように、テレビ画面に流れるCMをじいっと見た。

 ううううう

 兄貴の手がぴた、と止まった。しかしそこから1センチ、1センチ……と、指先をかにへ向けて伸ばした。兄貴はほとんどぎゅっと目を瞑っていた。そして薄っすら細く開けた僅かな視界で、かにの爪を見定めていた。

 ううううう、うう、うう、おうおうおう

 唸り声は大きくなっていた。父の身体はぶるぶると震え、上目遣いの目はこれ以上なく見開かれ、広いおでこが赤く上気し、そこに青筋がいくつも浮かんだ。

 ほとんど泣きそうに顔を歪め、それでも兄貴は更に1センチ、指を前進させた。兄貴の指先が、かにの爪の載せられた皿の領空をほんの1センチほど掠めた。すると父は、かにの甲羅を支えていた両手を離し、ばんっ、と食卓を叩いた。皿や器や鍋とともに、そこに載せられていたかにたちが、ほんの一瞬だけ命脈を取り戻し「びくり」と跳ねあがり、そして再び死体として、元の位置へと着地した。

 父は甲羅を、剥き出しの上の歯で咥えたまま、

 ううううう、ううう、うーっ、うーっ、ぶぅーっ、ううっ

 と唸り、そののち、

 うーっ、うーっ、うーっ、ぶぅーっ。ぶぶぅーっ……ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん

 と、暴走族のバイクみたいな高い音を発した。エンジンの回転数は増していき、最後には蚊が鳴くような音になって……消えた。父は息を吸うのと同時に、上の歯と下唇とで咥えこんだ甲羅にたっぷり盛られたミソを啜った。

 ずずーっ、ずーっ、ずるずる。

 ドラマは終わり、22時のニュースの時間になった。ナイター中継の延長に伴い、約15分遅れて放送します。とテロップが、画面の下部に小さく表示されて、消えた。何とか、という銀行が破綻した、というニュースが淡々と読み上げられた。


 その夜、僕と兄貴と母は、台所で夕食を済ませた。母が何か手早く調理しようにも、コンロにも調理台にも、調理途中もしくは仕込み中のかにたちがでっぷりと鎮座していて、それらにわずかでも近づこうものなら、居間からあのエンジン音が高らかに響いてきて、振り向くとやはり父が立っていた。父はかにの足を二本同時にしゃぶりながら、上の歯を剥き出しにして、こちらを上目遣いでねめつけていた。

 ならば調理不要なものを、ということで台所のあちこちを探した。やがてキャビネットの奥から、缶詰が一つ出てきた。まぐろと、かにかまの缶詰。それを三人で分けて食べた。「いつ買ったのかしらねえ」と母は首を捻った。兄貴が缶詰を持ち上げ、くるくると回しながら側面のラベルを読み、あっ。と声を上げた。

 そこには可愛らしい白猫のデフォルメされたイラストが描かれていた。

「猫用……」と兄貴が呟いた。

 なぜ猫を飼っていない我が家の台所のキャビネットに猫用の缶詰があったのだろうか? それについては、この際置いておく。とにかく重要なのは、僕と兄貴と母はその夜、大量の、本物のかにたちに囲まれながら、かにかま、しかも猫用のかにかまとまぐろの缶詰を、親子三人で分け合って食べた、ということだ。

 兄貴は半分笑って、半分泣いたような顔をした。僕と母もそれに倣った。


 かにはそれから20時間ほどかけて、すべて父の胃袋に納まった。すべて、だ。

 父は調理し、父はしゃぶり、父はほじくり、父は啜った。一歩も家から出ることなく、休むことも眠ることもなく(次の日の朝、学校へ行く前、チラと居間を覗くと、父は食卓の前で胡坐をかき左手に甲羅・右手にお椀を持った姿勢で鼾をかいていた。鼾が止まると父は息を吹き返したように起き上がり、お椀の中身を少し啜り、また鼾をかいた)(そして驚くべきことに、僕が学校から帰ってきても父は同じ姿勢で、まだかにを食べていた)。中日が負けようが日本経済が傾こうが遠くの国で戦争が起きようが関係が無かった。あるいは少なくともこの20時間だけは、たとえ担当する原稿が落ちたとしても父はまったく気にしなかったかもしれない。

 居間と台所には、ただ父と、かにがあった。そしてかには消えた。ただの一杯、一肩、一本も残さずに。しばらくのあいだ、居間や台所、発泡スチロールの並べられていた廊下には濃厚なかにの匂いが残った。

 そしてかにを食べ終わると父はもとの気難しく寡黙な癇癪持ちに戻った。これ以後、我が家にかにが持ち込まれることも、かにの話題がのぼることも無かった。そして僕たち兄弟と母とは、意識的に、あるいは無意識的にこの20時間あまりの記憶を、あの深夜の晩餐を、まぐろとかにかまの缶詰の味を努めて忘れようとした。そして実際に忘れ去った。

 少なくとも、今の今までは。


 *


 「あの大量のかにたちから、あの猫用缶詰のまぐろと、かにかまから得られた教訓とは、いったい何か……それは“何もない”、ということだ。親父がその生涯で俺たち兄弟に伝えた唯一のこと。つまりそれだ……それだった」

 兄貴はそこまで言い終えると、口を閉じ腕を組み、ただ独り、とても静かに頷いた。僕も黙って頷いた。あえて付け足すことは何一つなかった。

 兄貴は大学に進学する時にそのまま家を出て学生寮に入り、卒業後は商社へ入社した。最後に聞いた時は確か、年の半分ほど海外を、それも僕が聞いたことも無いような国や都市を飛び回っている、と言っていた、と思う。僕は大学を卒業する時に家を出て、今はWEBサービスの開発エンジニアをしている。お互い進んだ道は丸っきり異なるし、ここ4、5年(母の葬儀が最後だったと思う)は直接顔を合わせる機会も無かった。それでも僕たちは間違いなく兄弟だった。兄貴は相変わらず僕の兄貴で、僕は兄貴の弟だった。僕たちは同じものを共有していた。

 兄貴の話を聞き終えると、葬儀場の彼女は神妙な顔で、なにか言いかけ、それをぐっと呑み込み、己に言い含めるように黙したまま、何度も深く頷いた。

 そして我々は黙ったまま、三人揃って葬儀場の外へ出て、ただひとつたてられた灰皿スタンドの前に集い、めいめいセブン・スターを一本ずつ喫った。


 故人におかれましては仕事一筋、なかなかご子息のお二人ともお話しする機会というのは取れなかったとお伺いしました。それでも一度だけ、お父様自らがかにを、それも大量のかにを料理なさった時のことが何より忘れられない、とのことで、厳しさのなかにも、石清水が如くこんこんと湧き出でたその情愛、それは二人のご子息のなかに確かに受け継がれたものとお見受けしました。

 通夜の途中で、彼女はプロらしく、じつに無難な内容で父の紹介を済ませた。確かに嘘は言ってなかった。僕は笑いを堪えるので精いっぱいだったし、ちらりと横を見ると兄貴もまた肩をぷるぷると震わせていた。そういった僕たち二人の行いを見て途端に怒鳴り散らす(もしくは関心を払わず黙殺しただろうか?)父も、ただ静かに諫める母も(もっとも母だって肩を震わせ、笑いを堪えているに違いないと僕は思うのだけれど)も、もうここにはいないのだ。

 通夜は実にささやかなものだった。元々親族づきあいも少なかったし、母が死んでからは人間全般との付き合いが無かったように思う。かつての“職場”との付き合いも、退職した時点でほとんど全て絶っていたらしい。それが父の望んだことなのか、やむにやまれぬことなのか、今となっては知りようがない。

 父の遠縁の親族だという80代ほどの老人がひとり現れた。言われてみれば見たことがあるような気がしたし、気のせいのような気もした。彼の名前を聞くと兄貴は「ああー、あの……」と言った。そして僕が少しばかり欠伸を噛み殺し、ぼんやりし、瞼をこする間に、兄貴とその老人はもう数十年同じ釜の飯を食ってきた間柄のように、朗らかに談笑し始めていた。老人は僕たち二人の手を取り、潤んだ瞳でじっと見つめ、「辛いだろうが、この先、兄弟でしっかりやっていくんだぞ。お父さんのように、立派な人になりなさい」と言った。

 この老人のほかは、かつての職場の部下だったという男がひとりやってきた。男の鼻の向かって右側に黒いほくろがあった。

「とても厳しい人でしたが、私に、編集の仕事の何たるかを教えてくださった人でした」

 男はぽつり、そう洩らした。


 定年後、しばらく父は関係するグループ会社で働いていた(それが父の望んだ仕事だったのか、違ったのか。そもそも何をしていたのか。僕は全く知らない)。三年ほどだっただろうか? それが済むと、あとはずっと家にいた。特に何処かへ行くということも無い、と母から聞いていた。父はただ書斎に籠り、静かに本を読んでいた。それ以上のことは母も知らなかったし、別段知ろうともしていなかった。ごくたまに実家に寄ったときに見かける(というのを僕は努めて避けていたのだけれど)父の姿は、記憶のそれよりもずっと小さく、そして幽霊のように透明だった。

 翌日火葬場に来たのは僕と兄貴のふたりだけだった。

 そして今、父は兄貴の抱える20センチほどの骨壺にぴったりと納まり、沈黙している。


 かにでも食うか。と火葬場からの帰り道、運転席の兄貴が言った。

 かに、と僕は繰り返してから、

「骨はどうするの」

 あー、と言いながら、兄貴はウィンカーを出し、ハンドルを左へ切った。切り終えると、

「まあ、車に置いていこう。化けて出るかも知らんからな」

 かにだけに、と兄貴は付け加えた。


 一応黒のネクタイを外し、店員にそれとなく事情を伝えると、僕たちは奥まった個室へ案内された。わりあいと高そうな店だった。「気にするな」と兄貴は僕の顔を見て呵々と笑った。

 一通りメニューを睥睨し、注文を取りに来た店員に向かって、兄貴は言った。

「とりあえず、ここに載ってるかに料理を、ぜんぶ」

 そして僕たちはかにを食らった。ただの一言も無く、食らった。まるで止まらなかった。昼間の精進落としでも、結構しっかりとしたボリュームを食べたはずなのだけれど、まるでもう何年も無人島に閉じ込められていたかのように、僕たちはかにを食らった(きっとその無人島はとてもうらぶれていて、どれだけ頑張ってもせいぜいが日に腹四分目程度の食べ物しか得られない。ところで島には至る所に、それこそ掃いて捨てるほど、かにがいる。彼らはひどく素早く、好戦的だ(僕や兄貴の手や足の指を千切られかけたのは一度や二度のことではない)。また、たとえ運よく捕らえたとしても、彼らの殻はダイヤモンドか、あるいは信仰のように硬い。島でつくることの出来る道具では、彼らの爪の先っぽさえ割ることが出来ない。僕たち兄弟はもう何年も、鋼のような殻の下にたっぷりと蓄えられているであろうジューシーでスポーティーな筋肉のことを、日がな考えて暮らしてきたのだ)。

 僕たちは口いっぱいにかにを頬張り、両手にはそれぞれかたちや質感の異なるかにを携え、そして目はつねに次の、または次の次のかにをねめつけていた。テーブルいっぱいのかにが殻だけになり、それらが下げられ、新たなかにがやってきて、消えた。それを何度も、何度も、何度も繰り返した。口に入れたかにたちが、いったいどこにかにが消えているのか分からないほどに、彼らは僕たちの胃の奥の暗い穴へと、際限なく落ちていった。その穴はどこか別のところへ繋がっていて、だから僕たちは決してお腹いっぱいになることが無いのだ。

 数に限りないかにたちを食べながら、僕たち兄弟は知らぬまに、どちらともなく笑い出していた。笑いを堪えることができなかった。こんなに笑ったのはいつ以来だろう? しかし僕たちは笑いながらも決して休まず、ひるまず、大量のかにを口の中へ運び続けた。


 そしてとうとうかにを食べ終わると、父は本当にいなくなってしまったのだった。

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蟹を食らう 惑星ソラリスのラストの、びしょびし... @c0de4

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