第11話 カノジョの不在
この年の夏。ある小さな異変が起きていた。
それは、初めは気がつかないくらいの小さなもので特に気にもならなかった。
カノジョの不在。お互い20代も中盤になったいい大人だ。1日や2日家に帰らないコトくらいで何か心配するような関係でもなかった。でも、2日が3日になり、3日が4日になり、気がつくと1週間いない時もあったようだ。
ただワタシはワタシで仕事が忙しく、1週間もカノジョがいないことに気がつくまでには、もう少し時間を必要としていた。すると季節は夏から秋になり、もうすぐ冬がやってくるというくらいの寒さにまでなっていた。さすがに、気づいた。
「おかしいっ。」
カノジョはどこへ行ったのか。今では殆ど家に帰って来なかった。そんなことは今まで一度もなかった。少なくともこのワタシと住みだしてからは。ワタシとは違っていた。ワタシの暮らしと言えば、時として破茶滅茶でどこが我が家なのか分からなくなるくらいのコトも少なくなかった。カノジョの不在を不安に思い始めたら、急にいてもたってもいられなくなった。
「ちょうどいい。」
今日はカレが家に来ると連絡があったところだった。もう我慢できない。聞いてみよう。一体どこまで踏み込んでいいものなのか。カノジョはどこに行ってしまったのか。カレとカノジョは別れたのか。まぁ、とりあえず、お茶でも入れて落ち着こう。
「カチャッ。」いつものようにごくごく小さな音で、それは音の最小限とも思える範囲の音とともにカレが入ってきた。
ソファに浅めに腰掛け、いつものようにカレなりに寛いでいるように見えた。
「今、お茶入るから。ちょっと待ってね。」
お茶菓子はいらなかった。だって、カレがお手製のマドレーヌを焼いてきてくれているから。
最高だった。カノジョの不在。カレとのまったりとした時空間。ただ、この日のカノジョの不在はいつものソレとは違うので、ココロのソコからは喜べなかった。
カノジョの最近の不在を心配する一方で、カレとの2人の時間はおのずと増えていた。それがどうしても嬉しくてたまらなかった。
「ひどいっ。」
でも、嬉さは滲み出てしまうもので、ワタシは最近、笑顔が増えたそうだ。会社でも「最近、何か良いコトあったんですか?」なんて言われるくらいのニヤケよう。それでは困る。いや、特にダレも困りはしない。カノジョの不在を知っているのか。カレは度々家に来るようになっていた。
勿論夕食を作ってあげるとか、パウンドケーキが焼けたとか、野菜スープを作ろうか、などなどことあるごとにしっかりとした理由をつけてくれるので、こちらも余計な気を遣わずにすんでいる。流石だ。カレはどこまでいってもワタシの思うカレだった。
やっぱりスキだった。その思いは昔も今も変わらず、むしろ、どんどんエスカレートしていっている。初めてのキスや、色々あったけれど、それは本当にあったのか?と思わせるくらいに何事もなかったように振る舞い続けるカレ。そんなカレだからこそ、カノジョともこれまで上手くやってこれた、それは間違いない。
そんなカノジョの不在。長い不在が目立ってきていた。
「ふぅ。お待たせしました。」
「うん。美味しそう。じゃなくて美味しい。だね。」
マドレーヌは完璧だった。ほんのり薫るバター。しっとりふんわりした食感。ほのかな甘さがカレのワタシへの気遣いであることは間違いなかった。
必要以上にカロリー摂取を気にしているワタシが1日に摂取できると決めているカロリーは1,000キロカロリー。少なすぎる。でもこの10年は少なくともそうして暮らしてきている。
そのせいで一見、子どもかな?とも見間違えられるほどのサイズなワタシ。背はそこそこあるのにどこか頼りなく見えて、華奢で、脆くて、所在なさげだった。オイルヒーターの裏にすっぽりカラダが隠れてしまうほど。
そんなココロとカラダと付き合ってくれているのが大好きなカレだった。
言ってしまった。大好きだなんて。隣で座っているカレに聞こえなければいいけれど、一瞬不安になった。
「あああ、落ち着く。」
しばらくはこのままカノジョの不在を堪能しよう。今日はそう決めた。ワタシはそんな風に勝手ながら心地よく過ごしていた。
すると、カレもそれをまるで聞いていたかのように、いつまでも何も話そうとはしなかった。
「不思議ね。ワタシ、たち。」
「カノジョの話、したいのに。なぜがコトバが出てこない。」
「ああ、ごめん。」
カレとワタシの膝はくっつきそうでくっついてはいなかった。それがワタシたちの距離感だった。
夕暮れ時、ワタシたちはようやくポツリポツリとカノジョの話をし始めた。
結局、その年の暮れと年越しは、カレとワタシの2人きりだった。初めてのカノジョの不在。さすがに少し心配になってきていた矢先のデキゴトだった。いつも3人で過ごすことが恒例行事の1つだったのに、2人だけで過ごす暮れとお正月は、寂しいとも違う。隙間風が凍りつくようなとても冷たい感覚がワタシのココロとカラダ全体を纏っていた。
あの時の感覚がなぜか忘れられない。カノジョから初めて置き去りにされたように思えた。
「ひどいっ。」
でも、今まで放っておいたワタシが、一体今更何を言えるのか。電話だって殆どせずに、たまに送るメッセージ。それが既読になるまで、長い時はまる1日かかった。なぜ、もっと早く連絡しなかったんだろう。なぜ、もっと頻繁にメッセージを送らなかったんだろう。なぜもっと、なぜもっと、今ではそればかりが頭を支配していた。
思い切って電話してみた。
留守番電話だった。
これもいつものことだった。
電話では一度しか話せていなかった。
なのに、なぜ今の今まで放っておいたんだろう。気がつけば後悔ばかりだった。もう少し対処の仕方があったはずなのに。あんなにワタシのことを気にかけてくれていたカノジョがもしかしたら困っていたのかもしれない。何かトラブルに巻き込まれていたのかもしれない。少し考えればわかりそうな、そんなことすら考えを放棄して、カレとの時間を時折気楽に楽しんでいたなんて。
「信じられない。」
信じたくない。そんなコトをしてきたなんて、カノジョはどこへいったのか。
戻ってきてくれるのか。今はそれすら分からなくなっていた。この半年くらいの間、ワタシは何をぼんやりしていたのか。
カノジョはいつでも味方だった。カレもいつでも味方だった。でもワタシは何もしてこれなかった。不甲斐なかった。情けなかった。そして何より一番は、心細かった。カノジョなしではいられなかった。戻ってきてほしい。今すぐにでも。声が聴きたい。
「ああっ。」
左のこめかみがズキンと脈打ったのがハッキリ分かった。奴らがやってくる。目眩で前が真っ暗になった。
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