第5話 スキマ
カノジョの紹介してくれたデザイン事務所で働き始めて2週間が経った頃、あの日がやって来た。やっぱり起きてしまった。ワタシが、ワタシでいる以上、起きてしまうある出来事。それは、避けられなかった。
その日はワタシの歓迎会で、青山のお洒落なカフェバーにみんなが集まっていた。
「お疲れさまー。そして、ようこそ、デザインの世界へぇ。」
「かんぱーい」
始まって1時間位経った頃、ワタシは気持ちよく赤ワインを呑んでいた。普段なら飲まないお酒のせいか、酔いは必要以上にまわっていたようだった。
仕事には慣れてきた。というよりは、ようやくモノの配置を覚えた程度だった。社員の名前さえ、まだうる覚えで、誰かが誰かを呼んでいるのを必死に目で追って、復唱して、咀嚼して、そうやってなんとかやり過ごしていた。
誰がどこに座っていたのか、そんなこともだんだんどうでもよくなってくるくらい、みんなも酔いがまわり始めていた。
幹事はワタシの1つ上の先輩、仕事はまぁそこそこできる。というより、要領が良くて、愛想が良い、いわゆる誰からも気に入られるタイプの、でも嫌いじゃない。男。だった。
お手洗いの前の狭い通路。
お互いがようやくすれ違えるほどのわずかな隙間に1人。
ふっと、立ち止まった瞬間、視界が狭まった。しまった。と思った、が遅かった。
ワタシの1つ上の先輩。幹事の男。けっして嫌じゃないその男の唇がワタシの唇を覆っていた。少し、長く感じた。思ったより、やわらかくて、ヒヤッとした。ビールの飲み過ぎか。そのちょっと冷たい唇は酔ったワタシにはどこか心地良くて、離れるコトを忘れかけていた。
先輩がいつ来たのか、つけられていたのか、または、ワタシが追いかけていたのか、
詳しいコトは覚えていないが、気がついたら、2人はその狭い通路に隙間ができるくらいぴったり重なっていた。
「すみませーん。ちょっといいですかぁ。」
ああ、
いつものことだった。
酔うと、いつの間にかダレカレ構わず、キスしてしまう。ワタシ。
でも、そのくせ、かなり計画的で、今日のターゲットは入社した日から決めていた。
一目で気に入っていたのだ。
分かりやすい。顔がタイプだった。すらっとしていて、あっさりした顔。ただ、それだけだった。
誰にも見られていなければいいな。と思う反面、いっそのこと、誰かに見つかってしまえばラクだな。と思うワタシがいた。良いか、悪いかは別として、この日は、誰にも見られていなかったらしい。と数日後、カノジョから教えてもらった。
この話がカノジョの耳に入っている時点で、誰かがカノジョに話している。
現実は、そういうことだった。
でもそれが誰で、誰がどこまで知っているのかは定かでなかった。ゾッとした。
ただ、表向きは知らないことになっていた。みんな素知らぬ顔して、今までと変わらず挨拶したり、会話をしたりしていた。ので、きっと問題はないはずだった。
今までもそうやって会社が変われば、コトが起きて、急に彼氏の様な態度にでる男をずっと見てきた。勿論、キスだけにとどまらないワタシにも非がまったくないとは言わないが、そんなコトくらいで彼氏だと思われたら、いくらでも彼氏ができてしまう。
それは、困る。
ワタシには、カレがいるから。
今の、ワタシには。
そんなカレとは、というキスもしたことがなかった。
唯一ワタシが倒れる度に抱き抱えては、ベッドにそっと運んでくれるのだった。
そんなカレが、愛おしかった。
スキだった。
カレがワタシの支えであり、カノジョとの邪魔をしない唯一の存在だった。
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