第31話 二人は逢瀬を重ね、抱き合うようになった

 二人は頻繁に逢瀬を重ね、やがて抱き合うようになった。

それは二人でバレーの公演を見に行った帰り道でのことだった。下鴨の糺の森の近く、既に人気の無い公園の並木の陰で、突然車を停めた沢本はいきなり麗華を抱きすくめると唇を重ねた。逆らう間も無く、麗華はされるが儘に身を固くしてそれを受けた。彼女は両掌を強く握りしめ、十分に前から自分がそれを知って待ち受けていたかのような瞬間を感じた。ルームライトの消えた儘の座席で、顔を離して覗き込んだ沢本よりも、そのシルエットが浮かんだ窓ガラスの向うに、街灯の灯の下を白い夜の靄が立ち込めて渡って行くのがはっきりと麗華の眼に写った。

そのままシートを倒してベッドに変え、麗華を押し倒そうとする沢本を、身を仰け反らしながら、彼女は叫ぶようにして拒んだ。

「此処では嫌!こんなのでは嫌!」

その言い様が沢本には妙に意味が有るように聞こえて、彼は躰を離し、そのまま車を発進させた。

麗華が言った。

「窓を開けて!・・・この白い靄を吸い込みたいの」

その瞬間、沢本は、何故か、俺はこの娘を愛している、と感じた。

 数日後、二人は山懐の温泉の陽だまりの下で、終日、麗華は何枚かのスケッチを描き、沢本はその手元を見て過ごした。

ふと振り返って見上げた沢本の眼が何かを懸命に思い詰め、自分に問いかけているのに驚いた麗華は目を伏せて、言った。

「ええ、良いわ。良いのよ!」

彼女はそれだけ答えた。

 そして、傾いた陽が木立を透いて虹のように射しこんでいる金色の林で、乾いた朽木の陰の落葉の上で、二人は初めて抱き合った。夕陽の温もりが重なった葉と葉の薄い隙間に香りとなって漂っていた。

「良いのね、これで良いのね・・・」

直向きに問いかける麗華に、宥めるように微笑って沢本は頷き返した。

「みんな俺が、君に教えるよ、何もかも教えるさ」

枯れて乾いた土の匂いがあった。黄金色の静寂に満ち満ちて煙る林があった。遠くで山鳥の声が聞こえた。

麗華は泣けるほどの満足を感じた。こんなのを感じてはいけないのではないか、とさえ思った。宿に帰って風呂に入ろうとした時、下着と肌の間から落葉の片切れが出て来た。少し湿った濃く黄色い灌木の落葉であった。

 沢本は、それまでの熟れて澱んだ性愛の果てに、清純で直向きな麗華を求めた。彼女はそう信じた。事実、麗華にとっては、彼は最初で唯一人きりの男であった。その後、二人の性愛が熟れて育ち、激しく狂おしいものに変わりはしたが、それは沢本が麗華をそこまで惹いて行ったものだった。

 当初、麗華は、不安と羞恥と怖れに慄き乍ら身を固くして、彼の口づけや抱擁を待った。そして、彼女のアトリエやシティホテルの一室で性愛を重ねつつ、彼に教え込まれて素直に受け入れた技巧で、彼を受けたり導いたり進んだりしながら、麗華はせわしなく待ち、望み、息づいて次を求め続けた。終わって呆けた後、躰の中を緩やかに退いて行く歓喜の潮に余燼を託しつつ、彼女は満たされた飢えを今一度振り返りながら、尚はるか彼方に在る沢本への自己の無欠な投合と一致を願うのだった。

 麗華は沢本と言う男に憑かれたまま女として育て上げられた。知り合って僅か半年に満たない短い時間の中で、余りにも変貌した己が女への恐怖と不安と渇仰と後ろめたさを振り返って、彼女は彼と知り合う半年前の自分自身に対する追寂と嫉妬を覚えるのだった。

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