第17話 「今夜だけで良いからあたしを匿ってよ」

 館内が明るくなって観客たちが帰り始めた時、健二は拡声器を持って濁声で客を送り出している劇場の男を捉まえて訊ねた。

「揚羽蝶さんにお逢いしたいんですが・・・」

男は、一瞬、えっ?という貌をしたが、無視するように拡声器に喋りつづけた。

「有難うございました。有難うございました。またのお越しをお待ち致して居ります」

「あのう、揚羽蝶さんに面会したいんですが、取次いで貰えませんか?」

男が漸く健二の方に顔を向けた。

「えっ、面会?あんた、誰~れ?」

「一年前にあの人に生命を助けて貰った者です。どうしてもお眼に掛かって、お礼が言いたくて・・・」

「生命を救われた?礼を言う?」

男は胡乱気に健二の頭の天辺から足の爪先まで根目回したが、それでも、一応、取次ぎには行ってくれた。

暫くして、男は片方の掌を左右に振りながら戻って来た。

「彼女はあんたを知らないと言っているよ。人助けをした覚えも無いそうだ」

健二は信じられなかった。

「然し、真実に・・・」

男が遮った。

「人違いじゃないのか?あいつがそんなことをするようには、俺にも思えんがな」

「逢わせて貰えれば判ります!」

「彼女は知っちゃいないと言っているんだよ。まあ、あまり近寄らない方が身の為だと思うぜ」

健二は止む無く諦めて劇場を後にした。

一年前、あれだけ一生懸命に介抱してくれたのに、何故、逢ってくれないんだ?

彼は俯きながら大通りへ向かって歩を進めた。週末の夜で、スナックや居酒屋など盛り場の端の通りは混んでいた。

 不意に、後ろから腕を組まれた。

「何するんだよ!」

健二は女の顔を見て、あっ、と声を挙げそうになった。栗色に染めた髪、赤いマニキュア、エナメルのように光るシャツに黒いロングスカート、先刻ステージで観た姿とは大違いだが、紛れもなく、揚羽蝶だった。

彼女は健二を引き立てるようにして道を急いだ。

「どうしたんだ、一体?」

「良いから、良いから・・・」

彼女の声にも動作にも有無を言わせぬ切迫感があった。

蒸し暑い晩だった。湿気で空気が澱んでいた。汗が肌にべとついた。

 大通りへ出ると彼女は漸く足を緩めた。

「もう大丈夫ね」

用心深く辺りを見回しながら、ほっと息を抜いた。

「あんた、独り暮らしよね」

「ああ、そうだけど・・・」

「だったら力を貸してよ。あんたを男と見込んでお願いするわ。今夜だけで良いからあたしを匿ってよ、ね」

「誰かに追われているのか?」

歩きながらの話によると、彼女は十日前から今の劇場で踊っているが、地回りのやくざに眼を着けられ、煩く付き纏われて困っているとのことだった。

「宿には戻れないわ。あん畜生が張っているかも知れないからね」

「そうなのか・・・」

「女誑しのごろん棒よ。幾らドサ廻りのストリッパーだって、嫌いな男の言いなりに成るような女じゃないからね、あたしは」

やくざと聞いて健二は当惑した。後難を恐れる気持が働いた。だが、彼には、命を救われたという彼女に対する大きな恩義があった。諾否を云々する話ではなかった。

「有難う、恩に着るわ」

彼女は通り掛かったタクシーを停めると健二を急き立てて乗り込んだ。健二はマンションの住所を運転手に伝えた。

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