第3章 命の恩人はストリッパー
第14話 健二、列車内で盲腸の激痛に襲われる
高岡健二は小さな二人部屋のベッドで目を醒ました。健二の腕には点滴の太い針が差し込まれていた。下腹に痛みがあった。それは列車の中で彼を襲った激痛とは別種の痛みだった。明らかに手術後の疼くような痛みであった。
夜の帳が病床の周囲に在った。
どうやら助かったらしいな・・・
健二はそう思い、それから、自分を見下ろしている女性にやっと気づいた。
「どう?痛む?」
女性が声を掛けて来た。
「もうちょいの辛抱よ。大丈夫だ、って医者も言っていたわ」
健二はまじまじと女性の顔を見上げた。女性が未だに傍に居るとは思いがけなかった。
この女性に付き添われて健二は病院へ担ぎ込まれたのである。そこまでは憶えているが、その後の記憶はなかった。彼が、先刻、意識を取り戻したのは救急治療室の酸素テントの中だった。そう言えば、救急治療室から病室へ移される途中、誰かがストレッチャーに付き添ってくれていたようである。病室に移った後もその誰かが枕元に居た気がする。看護師と女性とがひそひそと話す声を耳に挟んだ記憶もある。健二は誰かの存在を漠然と認識していたが、それが誰であるかまでは意識がはっきりしていなかった。
彼女はこれまでずうっと俺に付き添ってくれていたのだろうか?・・・
病院へ担ぎ込まれたのは今日の午後だった筈である。もう半日以上も経っていた。
女性はホッとしたような表情で健二を見下ろしていた。
「じゃ、あたし、そろそろ帰るわ」
女性の顔には、窓の向こうに拡がる、沈んでなお紅い真夏の夕陽の残照が映えていた。大きな丸い茶色の眼だった。少し捲れ上がった上唇には妖艶な色気があった。健二は初めて女性の顔を見たような気がした。確かに病院まで付き添って来てくれた女性であったが、彼には初めての印象だった。
女性は名残惜し気にドアの前で振り返ると、片手をちょいと挙げて部屋を出て行った。
同室の患者は年老いた男性だった。その男性や看護師の話で、女性は半日以上もの間、心配げに、健二の麻酔が覚めて意識が回復するのを、固唾をのんで待って居た、ということだった。
面会時刻が終わる間際に、健二の母親が慌しく病室に入って来た。
「健二・・・」
母親の到着が遅れたのは連絡が遅くなった故であった。
病院へ付き添って来た女性は健二の内ポケットから定期券入れと社員証を探り当てて彼の会社に電話を入れた、が、あいにく会社は盆休みの夏季休暇中で誰も居なかった。止む無く、彼女は看護師と一緒に健二のスマホを開き、その電話帳から彼の実家の番号を捜し出して連絡をつけたのだった。彼の実家は鳥取県の米子市でこの病院からはかなり距離のある処だった。
今日の昼過ぎ、健二は京都駅から新幹線「のぞみ」号に乗って郷里の米子へ向かった。途中、一時間余りで着いた岡山で特急「やくも」に乗り継いで、今し方、一つ目の停車駅である「倉敷駅」を出たばかりである。この先、「備中高梁駅」「新見駅」「根雨駅」と停車して、凡そ二時間ほどで「米子駅」に到着する。実家へは夕方には帰り着く予定であった。健二にとっては盆休みの五連休を使っての帰省で、去年のお盆以来、丸一年振りに帰る故里への旅だった。彼はこの四月の人事異動で、三年間勤務した東京の本社営業部から京都支店へ転勤して来た。これまでの東京から米子に帰る旅は、若い健二と言えども、心身的にも時間や距離の点からもとても大儀であった、が、京都からだと時間は半減することになった。
「やくも」で隣り合わせた乗客は二十代の中半に見える若い女性だった。濃い緑色のサングラスを架け、髪は栗色に染めていた。黒い七分丈のスラックスを履いて足元は白のパンプス、上衣にはアロハのような半袖のサイケデリックなシャツを羽織り、裾を臍の辺りで結んでいた。肌着は着けておらず、小さな布切れのようなブラジャーの下で大きな胸が隆起していた。肌は透けるように白かった。健二はちらちらと横目に見えるその豊かなバストに、視線のやり場に窮した。彼女はガムを噛みながらファッション雑誌をパラパラと捲っていた。
健二は思った。
これは、女優かタレントか、それともホステスかダンサーか?・・・何れにしても堅気の普通の素人ではないな。ひょっとして、やくざの情女かも・・・
とても魅惑的な女性であったが、サングラスと言い、装いと言い、どこかに漂う危うげな匂いを彼は感じていた。
健二の席は窓際で彼は暫く車窓を流れる風景に視線を漂わせていたが、ふと、今日の新聞に未だ目を通していないことに思い当って、網棚からボストンバッグを下した。
と、その時だった。彼は猛烈な激痛に見舞われた。
二月ほど前、健二は虫垂炎に罹った。が、京都に転勤して来て早々の入院騒ぎは躊躇われ、手術をせずに抗生物質で治療した。
然し、今度の痛みは違った。前の時は胃の辺りから右の下腹部へ痛みが移って行ったのだが、今回は突如として痛み出した。それも右ではなく真ん中辺りであった。
痛みの為に彼は身動きが出来なくなった。背を丸め、目を瞑って、腹部を抑えた。
「う~っ!」
隣席からサングラスの女性が覗き込むようにして問いかけた。
「お腹が痛いの?」
「盲腸・・・」
健二は辛うじて答えた。
その後に採った女性の動きは速かった。直ぐに車掌を呼んで来ると、手術の可能な病院の有る駅で列車を停めるように促した。説得と言うより半ば強制的だった。
「このまま放って置いたら死ぬわよ!あたしはこんな具合に苦しんで死んでいった女を知っているんだから・・・」
車掌も健二の只ならぬ様子に驚いた。が、幸いにして次の停車駅「備中高梁」までは十分足らずだった。
「高梁市には大きな総合病院があります。駅前に救急車を手配しますから、それまで何とか頑張って下さい」
車掌はそう言って慌しく引き下がって行った。
高梁は岡山から三十分余りの地方都市だった。駅のホームで担架に乗せられた健二はそのまま救急病院へ搬送された。女性も一緒に列車を降り、救急車に同乗してこの病院まで付き添って来た。
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