第8話 白昼夢は消えた・・・

 それが終わった時、聡介に後悔は無かった。

だが、彼に対して突然燃え上がった麗美の激情は僅か一カ月しか続かなった。聡介には、あれほどの恍惚感がこんなにも早く、こんなにも他愛なく消え去ってしまうことが信じられなかった。

彼は、麗美の許し難い、心身に痛烈に食い込むばかりの激情に屈したが為に、更に深い苦悩を舐める羽目に立ち至ったが、やがて、彼女をその本質の処で繋ぎ止めようとしてもそれは無駄なことであり、自分にはその力が無い、ということを思い知らされた。

 聡介は貴恵との婚約を解消したが、それは貴恵にも、彼に好意的だった彼女の両親にも、深刻な痛手を負わせた。悲嘆にくれる貴恵の姿は彼の心に切実に鮮明な痕跡を残した。

彼は力が抜けたような一種の虚脱感に包まれ、生まれて初めて、正体無く酔い痴れたい気持に駆られた。自分がまた新しく何かを失ったことを覚った。

 白昼夢は消えた。愛を失って聡介の中から何かが奪い去られたのである。

人生は喪失の連なりであるのか?・・・

人は歳月を重ねるに連れて何かを失って行く。女は美と輝きを無くし、男は夢と昂揚を失う。男も女も、愛、幻影、若さ、横溢する生命、高揚、悲嘆、慨嘆、挫折、絶望、憤怒、怨念、忍耐、克己、許容、受容、矜持、意地、誇り、希望、再生などなど、それらの一つずつを、或は、幾つかを一からげにして、失い無くして行く。門は閉ざされ、太陽は沈み、美しいものは無くなってしまう。有るのは唯、時の流れに堪え得る灰色の世界だけで、心を動かすものは何も無い。それが喪失というものであろう・・・

 聡介は長椅子に横になって、窓から見える東京のスカイラインを眺めやった。太陽が濃く淡く、ピンクと金色の柔らかい色調に辺りを染めながら、並び立つ六本木ヒルズのビルの彼方に沈むところだった。

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