第41話 もちろんですわ!

 ヨーゼフから大量の台車が届いたのは、ベルンハルトが出発してから五日後だった。屋敷の庭に大量の台車が並んでいるのは圧巻である。


「この数なら、余裕で一家に一台いきわたりますね」


 台車を見て、マンフレートが言った。ここのところ、彼はほとんど毎日屋敷にきてくれている。

 昼食はアデルを含めた三人でとることが増え、かなり距離も縮まった。


「それで奥方様、配布の仕方ですが……なにか考えています?」

「運ぶのも大変だし、とりにきてもらおうと思っているのだけれど」


 台車を一軒一軒に運ぶのは大変だ。時間も人件費もかかる。それなら領民にとりにきてもらった方が効率的だろう。


「そうですね。私もそれがいいと思います」


 マンフレートが頷いたことに安心する。

 ドロシーの考え方は間違っていなかったのだ。


「では奥方様。どうやって台車の配布を領民に知らせるべきだと思います?」

「え? それは皆に手紙を……あっ!」

「そうです。ここにいる人はほとんど、字なんて読めません」


 ベルンハルトですら、ドロシーと手紙を交換するために文字を学んだのだ。

 おそらく騎士団のメンバーにも文字の読み書きをできない者がいる。領民に関しては全員が文字を読めない、と考えた方がいいだろう。


 文字が読めないとなると、手紙もだめだし、目立つ場所に看板を立てる……なんてことも難しいわ。

 考えてみれば、文字を読めないというのはなにをするにも不便よね。


 文字が読めなければ、情報を伝達する手段が言葉だけになってしまう。

 記録が残らない分正確さに欠けるし、直接口頭で伝えなければならない、というのはかなりの手間だ。


「普段、領民になにかを知らせたり、騎士団員の中で連絡事項を伝える時はどうしているの?」


 ドロシーの問いかけに、アデルとマンフレートが目を見合わせた。

 そして、穏やかな表情で二人が頷く。


 アデルもマンフレートも、ドロシーの問いかけを笑ったりしない。

 一般の人々とは価値観が大きく異なるドロシーのことをちゃんと考えてくれる。


 だからわたくしも、二人にはいろんなことを聞けるんだわ。


「騎士団の中では、基本的に口頭で連絡を行います。訓練前後には全員で集まる時間があるので」

「ありがとうございますわ、アデルさん。騎士団には文字が分かる人はいませんの?」

「そうですね。少しくらいなら読める者が何人か……私の弟も、多少は読み書きができます」


 騎士団は基本的に、毎日訓練をしていたわ。

 だったら、口頭でしか情報を伝えられなくても問題はないのかしら?

 でも、口頭だと正確な情報は伝わりにくいわよね?


 ドロシーがあれこれと考えていると、マンフレートがなにかを思いついたかのように手を叩いた。


「アデルさん。文字の読み書きを勉強してみてはいかがです?」

「……えっ!?」


 予想外の提案だったのか、アデルは目を丸くして驚いた。しかしマンフレートは、そんなアデルの反応は気にせず喋り続ける。


「これからもこうして、奥方様の傍にいるのでしょう。だとすれば、文字の読み書きができた方がなにかと都合がよいのでは?」

「あ、えっと……」


 困ったような顔でアデルはドロシーを見つめた。

 その表情を見れば、なんとなくアデルの気持ちは分かる。


 きっとアデルさん、勉強があんまり好きじゃないんだわ……!


「加えて、貴女が文字の読み書きを覚えてくれたら、騎士団とのやりとりの際も役立ちます。私としてはいいこと尽くしなのですよ」


 ずい、とマンフレートがアデルに近寄った。マンフレートが気づいているのかは分からないが、アデルの顔は赤い。


 どうしましょう!? これ、わたくしはどうするのが正解なのかしら!?

 わたくしとしてもアデルさんが文字の読み書きを覚えてくれるのはありがたいけど、苦労をさせたいわけじゃないわ。


 とはいえ、マンフレートの提案を断るのも忍びない。


 わたくしたち、全員が嬉しくなる選択。

 それが、一つだけある。


「だったら、マンフレートさんがアデルさんに文字を教えるのはどうかしら!」

「元々そのつもりですよ」


 マンフレートがあっさりそう言ったため、ドロシーは拍子抜けした。

 てっきり、家庭教師を呼ぶのかと思っていたのだ。


「こんな辺境に教師なんて呼べませんよ。呼べたとしても、莫大な費用がかかります」


 ドロシーの考えを見透かし、呆れたようにマンフレートが言った。


「で、アデルさん。どうです?」


 改めてマンフレートがアデルの顔を見つめる。

 そしてアデルは、赤くなったままの顔で頷いた。


「……頑張ります、私」


 返事をしたアデルがいつになく乙女な顔をしていることに、なんだかドロシーまでときめいてしまう。


「それはよかったです。アデルさんならきっとすぐに習得できますよ」


 そう言った後、マンフレートはドロシーに視線を移した。


「で、先程の、領民へどう連絡事項を伝えているかですが……定期的に集会を開いていて、そこでいろいろと話をすることが多いですね」

「集会?」

「ええ。ちょうど、次の集会の予定を考えていたところです」


 マンフレートは少しの間考え込んだ後、覚悟を決めたような表情で頷いた。


「次の集会は、奥方様も参加されますか?」

「もちろんですわ!」


 わたくしは圧倒的に、領民たちの暮らしを知らない。

 だからこそ、これから知っていくしかないもの!

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