第18話 勘弁してくれ

 馬車の中から、隣を馬に乗って移動するベルンハルトの姿を見る。

 目が合わないから分からないけれど、あまり機嫌がよくはなさそうだ。


 市場で無事に野菜を買うことはできたし、コリーナへ大量過ぎるほどの食料を買ってやることもできた。

 ベルンハルトはドロシーの意思に反してコリーナやアデルを厳しく叱責することもなかった。


 だけど……ベルンハルト様のこと、怒らせてしまったのかしら。


 花嫁として領地へきた以上、領内のことを知りたいと思った。だからアデルに頼み、領内を見てまわったのだ。

 悪いことをしたつもりはない。けれどベルンハルトの機嫌を損ねてしまったのは事実だろう。


 それに、ベルンハルト様は訓練を途中で抜けてここへきたのよね。


 外は危ない、とベルンハルトは言っていた。おそらく、ドロシーを心配してのことだろう。だが、少々神経質すぎるのではないか。


「……わたくしのことを、何もできない女と思っているのかしら」


 悔しいけれど、そんなことない、と強く主張することはできない。

 自らの実力で平民から貴族になったベルンハルトから見れば、ドロシーなんて、温室育ちの無知な令嬢だろう。


 分かっている。でも、だからこそ、変わりたいのだ。

 ベルガー侯爵家令嬢ではなく、シュルツ子爵家夫人になったのだから。


「この結婚が、白い結婚だから?」


 ベルンハルトは妻としての役割をドロシーに求めていない。それと同じように、夫人としての役割も求めていないのだろうか。


「……だったら、何のための結婚なの?」


 呟いた瞬間、ドロシーの瞳から涙がこぼれ落ちた。





 屋敷の前で馬車が止まる。ドロシーが扉を開けるよりも先に、馬から下りたベルンハルトが扉を開けてくれた。

 そして、ドロシーの顔をみて固まる。


「ドロシー様!? どこか痛むのですか。体調が悪いのですか? 先程の料理が口に合いませんでしたか? それとも、ドレスが汚れたことがやはり気になって……!」


 急におろおろとし始めたベルンハルトを見て、ドロシーはつい笑ってしまった。ドロシーの笑顔を見て、ベルンハルトはなおさら困惑したような表情になる。


 わたくしが泣いていたから、ベルンハルト様は動揺してるのよね。


 ベルンハルトの真意がどうであれ、彼がドロシーを大切にしようとしてくれていることは揺るぎない事実だ。


「ねえ、ベルンハルト様」


 ベルンハルト様が何を考えているかが分からなくて、アデルに聞こうとしていた。

 けれどまず、先に本人と話をするべきだったのだろう。


「わたくし、ベルンハルト様とお話したいことがありますの」


 ドロシーが胸を張ってそう言うと、ベルンハルトはすぐに目を逸らしてしまった。ゆっくりと息を吐いて、覚悟を決めたような顔をドロシーに向けてくる。


「……もう、離縁をお望みですか」

「えっ!?」


 あまりにも予想外過ぎる言葉に、ドロシーは淑女らしからぬ大声を上げてしまった。


 今、なんて言ったの? 離縁?

 そもそも、まだ結婚式だってしてないじゃない!


「ドロシー様がそう思うのも仕方ないかもしれません。王都からは遠く、芸術を楽しめるような場所もなく……」

「え?」

「おまけに夫は年上で、見た目も悪く……」

「ちょ、ちょっと待ってくださいまし!」


 いろいろと言いたいことはある。しかし、どうしても聞き逃せないことが一つあった。


「ベルンハルト様は、めちゃくちゃ格好いい見た目をしていますわよ!?」


 貴族の貴公子とは全く違う雰囲気だが、間違いなく美しい。少なくともドロシーにとっては、かなり好みなのだ。


「訓練と実践で鍛え上げられた肉体は頼もしい上に男らしいですし、日に焼けた肌も男性的でとても色っぽいですわ。黒髪だって艶やかで、それに金色の瞳とのバランスが最高ですもの。鋭い眼差しにもどきっとしますし、大きい手だってわたくしは好きで……!」


 まだまだ話したいことは山のようにあったのだが、ベルンハルトに手で制されてしまった。


「勘弁してくれ……」


 ベルンハルトが顔を両手で覆う。わずかに見えた頬は、赤く染まっていた。


「今の表情だって可愛いですわ。ほらベルンハルト様、その手をおどけになって!」

「だから、本当に勘弁してくれ……」


 どうして、とドロシーが言った瞬間、盛大な笑い声があたりを包んだ。慌てて周囲を見回すと、いつの間にか騎士団の面々が集まっている。


「ベルンハルトが青い顔で出ていったから、心配して様子を見にきたんだけど」


 笑いながら言ったのはデトルフだ。主君兼幼馴染のベルンハルトを見ながら、口をこれでもかというほど開けて笑っている。


「新婚のお二人様。そういう会話は、閨の中ででもしたらどうです?」


 からかうように言われる。

 先程夢中になってまくしたてた言葉の数々を思い出し、ドロシーは恥ずかしさのあまり両手で顔を覆ったのだった。

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