第二十二話 不知火から出た知らない人
アルナが消失した後、残されたイヴとルシファーは、仲良く大市場でショッピングを楽しんでいた。
「まさかあそこで逃げるとわね」
「見損なうほど評価が高いわけじゃないけど、どんだけ根性なしなんだ」
逃げたと思われている。
全然同情できない当然の解釈。
「恋愛対象で無かったことがそんなに衝撃的だったのかな?」
「……」
ルシファーは黙って、イヴのスカートの裾を引っ張る。
「クソ親父のことは忘れて、2人で一緒に楽しもう、ママ」
「うーん、まっ、そうだね」
ママ呼び、父親への扱いとは大違い。
娘は母とばかり仲が良く、母も父をあまり気にしない。
いつかの家庭の黄金パターン。
「見て見て! あれ何?」
「あれはドーナッツだよ」
「欲しい!」
「いいよー」
お金を払い、出来立てほやほやのドーナッツをルシファーに手渡す。
キラキラした目でドーナッツを見つめる。なんかキャラが変わってないか、それとも本性はそれなのか、アルナがウザイからなのか。
ルシファーはドーナッツの穴を覗く。
「すごい良く見えるね!」
「食べないの?」
「食べる?」
「ドーナッツは食べ物なんだよ」
「へー、食べれる覗き穴かー」
「ふ、ふふふ、うふふふふふふ」
不気味な微笑み。
子供の勘違いほど可愛くて楽しいものはない。
イヴはツボに入ったのか、ずっと笑い続ける。
そんなイヴを意に介さず、ドーナッツの穴を覗き続けるルシファー。
「山田さん家のたかしくん、大学受験落ちちゃったのか。あ、そのことで両親が喧嘩してる。なのにたかしくんは結構平気そう、二次元の女の子に夢中みたい。……なるほど、昔、お母さんが知らない若い男の人と浮気してるのを見たことを、ずっと隠しているのが辛いんだね、大丈夫、お父さんも女子高生とたくさん食事してるからバランスが取れてるよ」
子供が見ちゃいけないものが見えてる。
早く目を逸らしなさい、その家族はひび割れたまま続いていくから。
「あれ? たかしくんがパソコンぽちぽちしてる。アダルトゲーム? を作って、コミケで結構売れた? そのお金を足掛かりにしてどんどん作る気? どういう意味?」
おい、たかし、お前はあれだ、頑張れ。
夢ある若者は置いておいて、今は老い先の長い少女を見よう。
ルシファーはもう一度、穴の先を見つめる。
「ん?」
懐疑の声。
見た。
見つけた。
千里眼でもなんでもない裸眼。
十数メートル先、人影。
否、火の影。
「ママ、ちょっと市場から離れて」
「え、なに?」
低い声色からただ事ではないと察し、微笑みを失くし、目線の先を見る。
そこにいたのは、燃える人間だった。
人型のキャンプファイヤー。
そう勘違いしてしまいかねないほどに昇り上がった火柱、火炎に潜む人間は、どうやってか、形を保ったまま、こちらへと向かって歩いていた。
一人、一人と、歩く火柱に気づき始め、火の手の次は悲鳴が上がり、我先にと逃げ出す群衆。
火中に野次馬はいない。
「……分かった、気をつけてね」
一言残してその場を離れるイヴ。
市場にはもう、2人しかいない。
燃える人間は、少女を見つけた。
その瞬間、バランスを崩して前に倒れる----かに思えた、が、早とちり。
低く屈み。
両手の指を地面につけ上半身を支え。
レンガの道に両足を軽く埋めて膝を浮かせる。
黄金比に従うクラウチングスタート。
オンユアマークス、セット----
ルシファーVS焚火人間。
一歩。
レンガの道を炸裂させる。
二歩。
焼き鳥屋台を踏み潰す。
三歩。
少女の腹を蹴り上げた。
四歩。
空高く飛んだ少女を踵蹴り。
五歩。
地面に叩きつけられた少女を----
「人を足蹴にすんじゃあねぇ!」
----踏み潰す寸前、燃える足を掴み止め、今度は自分から浮き上がり、握りしめた推定170センチの人間を振り回す。
その姿はまるで、十年推してきたロックバンドの解散ライブを悲しみながらも楽しんでいるときのタオル回し。
それはもう遠慮なく。
時速507キロ。
「faぁ----theッ!」
「何言ってんだてめぇ!?」
頭に血が上りながらも、ルシファーは冷静に考える。
常識的に考えて、人間は時速507キロでぶん回された場合、死ぬ。
本来、頭に血が昇っているのは焚火人間の方で----遠心力によって----、頭がスポンと吹っ飛んでいってもなんらおかしくはない。
が、原型を未だ保つ突進人間。
燃えてる時点でお気づきだが、只者ではない。
「まあ、潰せば死ぬだろ」
「faぁ----」
遠心力を乗せたまま、地面に叩きつける。
レンガが弾けて飛ぶ。
だのに、壊れない焚火人間。
「お前……不死身か?」
「theぁerぁッ!」
「おとなしく----なにッ!」
焚火人間から手を離し、後ろに飛び退ける。
ルシファーの額に冷や汗が流れた。
先刻まで、燃える足を握っていた手を、手のひらを見る。
火傷。
焼け焦げた肉。
当たり前だ、火を握ったのだから。
だがこのルシファー、当たり前には生きていない。
防御魔法は最初から掛けていた。
ケルビムの守護魔法には及ばずとも、並大抵の火炎では日焼けさえ出来ないほどの防御。
それを突破した事実は、焚火人間の炎は超高熱の灼熱であることを意味する。
奴の通った軌跡は、足跡と言うよりは焼け跡だった。
「そんなことはどうでもいい!!」
ルシファーは叫ぶ。
世界の観測者に向けて。
「どうでもいい! 至極どうでもいい! 問題は、異常は、そこではない!」
焼けていないもう片方の手で、腹に触る。
着ていた服は、腹への蹴りで、焼け貫かれていた。足の形がくっきりと、火傷として残っている。
「治らない! 火傷が全くとして癒えない! さっきから回復魔法を掛けまくっているのに!」
「ファああああああザぁあああああああッ!」
驚きに浸らしてくれるほど、焚火人間は寛容ではない、あるいは正気ではない。
またも突進。
「生身は----生身は駄目だッ!」
「とぉおおおおおお----」
「水界魔法『アクアランス』ッ」
何もない場所から水が生成、巨大な槍の形を成し、業火に焼かれる者へと放たれた。
効果は抜群----
『ジュッ』
蒸発した水の音。
火に水は時代遅れと言わんばかりに。
焼石に水は無駄というが、焼け人に水は無駄を通り越してマイナスとなる。
大量の水が一度に全て蒸発した、となればどうなるか、想像は容易。水はなにも、消えてなくなるわけではない、気化しただけだ。
必然。
大量の水は、さらに大量の蒸気へと変貌する。
分厚い蒸気は煙幕が如く、ルシファーの目を暗ませた。
動揺ゆえのミスは、火事場では即、死に直結。
「ぁあ----」
視界は蒸気で埋め尽くされているというのに、ルシファーにはもう、幸せな光景しか、家族との思い出しか、見えていなかった。
人間は己が死を直視できない。
心の目が、失明してしまうから。
それでも現実は動いてる。
蒸気の中、何者かが現れた。
焚火人間ではない、ただの人間だった。
何者だ。
誰だ。
知らない。
「我が名はドラキュラ。童女よ、助けてくれ」
「ルシファーちゃん?」
イヴは大市場に戻ってきた。
戦闘音が響いてから数分後、音は鳴り止んだ。
不気味なほどに静まり返った市場に、イヴは戦いの結末を見に、返った。
イヴは我が子の勝利を確信していた。
世界最強の模造品であるルシファーが、負けるわけがないと、考えていた。
それは決して楽観でもなく、希望的観測でもない。
普通に考えたらそうなのだ。
異常が現れたら覆されるが。
「あ、ああ----」
震えた声。
今にも悲鳴が飛び出しそうな口。
受け入れ難い絶望的な現実を目撃した眼。
イヴは見た。見つけた。
炎を纏った剛腕に腹を貫かれた我が子の姿を。
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