2章 コードブラック②
霊病科に戻ると、和佐とエリクが会議用テーブルの前にある椅子に翔太を座らせる。
「水色さん、すみませんが明けからの連続勤務に変更です」
京紫朗も席に着き、申し訳なさそうに告げた。
「あのまま井上さんをほっておくのは心配ですし、大丈夫です」
一叶は苦笑いしながら答える。
「そう言っていただけて、助かります」
次に京紫朗は翔太に視線を移した。翔太はテーブルに肘をつき、額を拳に押し付けて俯いている。
「緑色くん、きみは帰って休んで構いませんよ」
「……いや、魚住も残るんだし……やります」
「わかりました。ですが、無理はしないでくださいね」
翔太は青い顔で頷く。
「それでは、カンファレンスを始めましょうか」
その号令で、皆が席に腰かけて京紫朗のほうを向く。
「水色さん、春香さんの首を絞めていた黒い男の霊は、例のストーカーでしたか?」
「あ……め、眼鏡をかけていたのと、あの息遣い……たぶん、そうではないかな……と。身体中に目玉がたくさんあって、あまり直視できなかったんですが……」
エリクが「うわっ」と反応する。
「なにそれ見てみたい」
「え……そうですか?」
あまり見てて、気持ちのいいものではないのだけれど。
一叶たちのやり取りを聞いていた翔太が具合悪そうにしながらも顔を上げる。
「不謹慎。魚住は怖がってた」
「あ……」
(そっか、そういうのも央くんは気づいちゃうんだ。気を使いすぎて疲れるだろうな)
エリクが『ごめん』と両手を合わせてきた。
一叶が気にしてないと首を横に振っていると、京紫朗が翔太に尋ねる。
「緑色くんはエンパスとして、なにを感じましたか?」
「そう……っすね。井上さん自身は……ほっとしてたと……思います」
「ほっとしてただ?」
意味がわからねえと、和佐が目を眇めた。
「首を縛られてたとき、これで解放されるとか、許されるとか、そういう開放感みたいなものを感じました」
「そういえば井上さん、私に死ぬのを邪魔されたって怒ってました。一緒にあっちに行ってあげられたのにって……」
「それって、旦那さんのところにってこと?」
エリクが固唾を吞んでいるような神妙な顔つきで身を乗り出す。
「うん、たぶ――」
「そう」
一叶の声を遮ったのは翔太だ。彼は思い詰めた様子でテーブルを見つめたまま、途端に頭を抱える。
「だって、〝私〟のせいだから……」
私? と、皆が耳を疑うような顔で息を呑んだ。
「私があの人を死なせた。私のせい、私のせい、私のせ……」
京紫朗は彼のそばにいき、ぽんっとその肩に手を乗せる。
「そこまでです」
翔太ははっとしたように顔を上げ、目を瞬かせた。
「緑色くん、無神経だとは承知の上で聞きます。ストーカー被害、あるいは自殺願望を抱いた経験は?」
「……どうしてですか」
「きみはエンパス、強い共感力の持ち主です。つまり実体験があるものは、よりリアルに感じとってしまう。距離をとって、他のメンバーに任せることもできますよ」
翔太は唇を引き結んだあと、絞り出すような声で答える。
「……俺は、違います」
「わかりました。ただし、皆も覚えておいてください」
京紫朗は翔太以外のメンバーの顔を見回した。
「この仕事は対人間です。自分と患者を重ねて見てしまうことで、否応なしに自分の傷と向き合わなければならないこともあります。きみたちはチームです。自分だけで手に負えなくなったら、誰かに助けを求めるように。それが医者を続けられる秘訣です」
皆、思い当たる傷があるのか、神妙な面持ちで口を噤んでいた。
「それでは治療の話に戻りましょうか。井上さんには夫の霊とストーカーの霊が憑いているようです。さて、どう対処しましょう」
京紫朗が仕切り直すように言った。
「おい、オタクと根暗。ストーカーは死んでるわけじゃねえんだろ?」
和佐の視線が一叶と翔太に向けられる。
「井上さんからはストーカーに付き纏われてたってことしか聞いてないからわからないけど、接近禁止命令とか出てただろうし、本人にも知りようがないんじゃない?」
翔太の言葉に賛同するように頷きながら、一叶も答える。
「私も、見ただけじゃあれが死霊なのか生霊なのか、判断がつきませんでした……」
和佐は使えねえなとばかりに舌打ちをした。
「まず、ストーカーの生死確認がいるじゃねえか」
「ストーカーが実際に入院してる井上さんに会いに来たわけじゃないから、こっちから踏み込んで生死確認とか勝手にできないと思うけど」
翔太の指摘に、エリクも悩ましげな顔で首を縦に振る。
「入院してる井上さんに会いに来たのは、霊だしね」
「警視庁オカルト犯罪対策課に協力を要請しましょう」
その言葉に、皆が一斉に京紫朗を見た。
「特Sの刑事に同行してもらい、ストーカーの生死確認を兼ねて、お宅訪問するんです」
それに和佐が「は?」と目を丸くした。
「在宅医療の管轄じゃないですか。どっか在宅診療サービスのあるクリニックに回せないんですか?」
「霊病医が在宅領域まで手が回せるほどいないんですよ。なので私たち霊病医は病院だろうと在宅だろうと、お構いなしに駆り出されます」
満面の笑みで答える京紫朗に、一叶たちは固まる。
これから一叶たちは病院内外関係なく、霊病を治療するために駆り出されるのか。見えた過労死まっしぐらな未来に、めちゃくちゃだ……と皆の心が重なる。
「逮捕されているなら、専門の治療機関を紹介してもらっているでしょうから、現在の受診状況を確認し、通えていないなら治療を一緒に勧めてもらいましょう」
「いきなり会いに行って、『治療を受けてください~』って言っても強制力ないし、もし治療を受けたくないってごねても刑事が相手なら言うこと聞くかもですしね!」
うんうんと、エリクは納得したふうに言う。
「生霊を飛ばしている自覚がある人は、ほとんどいません。ですので、生霊となる原因……強い執着を取り除いてあげなければなりません。生身のストーカー加害者への医療的なアプローチは必須です」
京紫朗の話を聞きながら、一叶はおずおずと意見する。
「エリクくんの言う通り、治療を拒否された場合、見れる家族がいれば付添を頼んで通院を継続、ひとりならストーカー加害者専門の回復施設を利用するというように、対応が変わってきます……よね」
それを聞いた京紫朗は、柔らかく目を細めて頷いた。
「その通りです。往診でその辺りを見極めてきてください。そういうわけで、それぞれどこを担当するか話し合ってください」
いつもの調子で京紫朗に押され、和佐は「はあっ」とため息をついた。
「兄貴がそっちに行くってんなら、戦力はいらねえだろ。俺はこっちに残って、患者が自殺しねえように見張ってる」
「僕はどっちでも……今回はあまり活躍できるところなさそうだし、うおちゃんと央っちは?」
エリクがこちらを向いたので、一叶はとっさに口を開く。
「あ……私……ふたりはどうす……」
ふたりはどうする? と、言おうとして唇を引き結んだ。
ふたりの意見を聞いてから決めるんじゃ、また余ったのでいいやと妥協してしまう気がする。
(考えよう、自分が今どこにいるべきか)
そして思考の末……
「私は、ス、ストーカーに会いに行きます」
皆が「えっ」と驚く。
「うおちゃん、さすがに危ないよ」
「ああ、女が行ってなにができんだよ」
和佐も珍しくエリクに同調した。
皆の言う通りなのだが、自分ではこれが最善だと思った。
わかってもらうのは根気がいる。もしかしたら、わかってもらえないかもしれない。聞いてすらもらえないかもしれない。
けれど、自分が引いたら、あの海に沈んだ女子高生のように、見つけられたかもしれない真実を見落とすかもしれない。ならば自分は、わかってもらえるように努力をしなければと、一叶は意を決して理由を告げる。
「もう、井上さんの霊視はできました。だ、だから、今度はストーカーの霊視をしてみたほうがいいのではと……」
否定できない、という表情でエリクと和佐が視線を交わした。
「俺は……悪いけど、残らせて」
翔太が青い顔で、皆から視線を逸らしながら言う。
「央くん、た、体調悪そうだし、そのほうがいいと……思う。エリクくん、一緒に……」
「――駄目だ!」
一叶の言葉を強く遮ったのは、和佐だった。
「……そいつをこっちに残すのだけは駄目だ」
「ええ? でも、央っちが嫌だって言ってるんだから……」
困惑気味のエリクだが、翔太に負けないくらい青く強ばった顔をしている和佐に気づいたのだろう。それ以上は言葉を呑み込んだ。
「とにかく、よくねえことが起こる気がすんだよ。だから違うやつにしろ」
顔を押さえている和佐に、翔太も体調が悪いせいか、少し苛立った様子で言う。
「理由は? 気がするってだけで、そこまで言われる筋合いないと思うけど」
和佐は舌打ちし、なにか言おうとするも、唇を噛んで背を向けてしまった。
「勝手にしろ。どうなっても知らねえからな」
エリクは「もー」と不満をもらしつつも、空気を変えるように一叶たちを振り返る。
「じゃ、体調不良組は居残りで、うおちゃんと僕は楽しくデートだ」
そう言いながらこちらにやってきたエリクが、一叶の手を掬うように握った。おまけに恭しくお辞儀をしてくる。
場を和ませようとしているのだとわかり、一叶は小さく笑みを返した。
「クソが、仕事してこいよ」
和佐が呆れたように毒を吐く。
「八つ当たりはやめてよー」
頬を膨らませるエリクを苦笑しながら見ていると、白衣の裾を引っ張られた。振り返れば、こそっと翔太が耳打ちしてくる。
「……ありがとう。さっき、俺が残れるように言ってくれて」
「……! いえ、私も央くんには庇ってもらってばかりだから……」
そう言って笑うと、翔太は少し驚いていたが、疲弊の色を少しだけ薄めて笑い返してくれた。
「すみません、車まで出していただいて……」
梓の運転する車の後部座席から、一叶は運転席に声をかける。
「気にするな。民間人と生霊発射するストーカーを対峙させるわけにいかねえからな……っと、すまん。弟の知り合いだと思ったら、つい馴れ馴れしく話しちまって」
梓は言葉遣いこそやや乱暴だが、親しみがある。彼の纏うそんな空気に和みつつ、一叶は「いえ」と首を横に振った。
「そのままで、全然大丈夫です!」
隣にいたエリクが身を乗り出しながら言う。
一叶は後部座席に座りながら、数十分前の出来事を思い出していた。
京紫朗が警察庁に連絡すると、小一時間ほどで黒い車が病院の裏口に停まった。窓が開くと、『さっきぶりだな』と片手を挙げる梓が現れたのだ。
「それなら遠慮なく。そんでその……和佐は仕事ではどんな感じなんだ?」
兄だから気になるのだろうか。若干そわそわしつつ、バックミラー越しにこちらの様子を窺っている。
「泣く子も黙る大王です」
「え、エリクくんっ」
さすがに失礼だろうと慌てたが、梓はなぜか楽しげに吹き出した。
「いいいい、大体想像つくよ」
エリクは兄の許可が出たからか、遠慮なく告げ口を始める。
「さっきもやりあったばっかりなんです。今日、誰がこっちに行くかで揉めたんですけど、嫌な予感がするから残るのは別のやつにしろって」
梓の表情が一瞬にして、真剣なものに変わる。
「……理由は聞いたか?」
「い、いえ、答えてもらえませんでした」
一叶がそう言うと、梓はため息をついた。
「……なら、あいつが悪いな。患者よりも保身をとったって意味で」
「え?」
一叶が目を瞬かせると、梓は苦笑する。
「あいつは俺にそっくりなんだ。自信家で高飛車で、人の頼り方を知らねえ。だから今、ひとりで
当たりがきついのは事実なので、エリクも一叶も否定できずにいると、
「あんま俺からペラペラ喋ると、しばらく口利いてくれなくなっから、あれなんだけどな。まあ、なんだ、長い目で見てやってくれ」
梓が話をまとめてしまった。
エリクはきょとんとしながら尋ねる。
「口利いてくれないって……もしかして一緒に住んでるんですか?」
「お、名推理だな。俺は仕事で家を空けてることが多いし、ただ家賃だけ払ってても無駄だろ。掃除をするって条件で居候させてやってんだ」
家を空けていることが多いということは、特Sも霊病医と同じで特殊な能力がいるからか、人手不足なのかもしれない。
それにしても、和佐に限らず、霊病科のメンバーはまだ集められたばかりで、お互いのことを全然知らないのだと思い知る。
「それで、井上春香のストーカについてだが、名前は
ハンドルを切りながら、梓が本題に入る。
「実際に接近しちゃってるのは、生霊のほうなんですけどね」
エリクのブラックジョークに梓も「そこなんだよな」と苦い顔をした。
「生身のほうは問題を起こしてねえからな。今の国の法律じゃ、実体がない霊がしでかした事件は裁けねえんだよ」
生身のほうではなく、霊体ではストーカー行為を続けている。これを裁く法律が整っていないとなると、霊による犯罪が野放しになる。だから特Sや霊による病を治療する霊病医が存在するのだと改めてその必要性を知った。
「あ、生身のほうは問題は起こしてねえけど、通院していたクリニックにかれこれ半年ほど来てねえらしい」
「すみません、そのクリニックの名前を教えてもらえますか? 診療記録を共有してもらえるかも」
エリクが診療鞄からタブレットを取り出すと、梓が信号待ちの間、こちらを軽く振り返った。
「それなら、捜査資料と一緒に、もうお前たちのタブレットに送ってあるぞ」
「えっ、捜査資料の内容を僕たちに話してよかったんですか?」
「なんだ、知らねえのか? 特Sの刑事と霊病医の連携が必要だと判断した場合、お互いに診療記録、捜査資料の提供ができんだよ。それだけ、霊が起こす事件や病が蔓延してるってことだな」
信号が青になり、梓がアクセルを踏む。
一叶もタブレットを鞄から取り出し、メールに添付されていた資料のファイルを確認する。
「患者の通っているクリニックは、浜ヶ谷町にある『
エリクもタブレットの画面を見つめたまま、「だね」と相槌を打った。
「入院に至るまでの経緯によると、小池さんは行きつけのスーパーで結婚を控えていた井上さんと出会い、一方的に好意を寄せ、あとをつけるようになった。住居を見つけだして、何度も会いに行ってたみたいだね」
「い、井上さんはその後、小池さんを警戒してバイトをやめて、結婚をきっかけに旦那さんと一軒家に移り住んだみたい。でも、小池さんは井上さんの新しい家も見つけ出して押しかけてくるように……すごい執念ですね」
一叶が思わずそう漏らすと、運転席で梓が肩を竦める。
「それがストーカーだからな。ふたりはそこでようやく近くの交番に相談に行ったんだ。そんで警官が家をパトロールしてたところに小池が現れて、確保された。そのときの小池のセリフが『ただ会いに来ただけなのに』だと」
「そこがストーカー加害者の認識の恐ろしいところ……ですよね。本人は本気で悪いこととは思ってないし、下手したら自分を拒絶した被害者を逆恨みすることもある」
陽気な表情を浮かべることが多いエリクも、いつになく深刻な顔で言った。
「す、ストーカー加害者は、統合失調症、発達障害、性嗜好障害といった精神疾患をベースに持っていることもありますよね。この場合、説得や司法対応をしてもあまり効果的ではないかと……むしろ、投薬や疾患に応じた精神療法が必要になる」
「そうだね。ベースの疾患が考えられる場合には、その治療を優先するけど、小池さんは……ベースに精神疾患はなさそうだね」
「それでも治療は必要なのに、つ、通院してたクリニックに半年も来てないのは、よくない兆候だね……」
一叶は緊急連絡先や家族歴の記録を見る。
「家族は……いらっしゃるみたいですね。今日説得できそうになかったら、半年通院をやめてしまっていることを伝えて、説得に協力してもらいますか?」
「それなら、俺から連絡しておく。警察からのほうが効き目あるだろ」
梓の提案に「ありがとうございます」と素直に甘える。警察との連携が必要というのは、こういうときなのだと実感する。
「小池はクリニックの治療とか接近禁止命令で、井上春香に会いたい思いを抑圧してたぶん、我慢の限界がきてるのかもしれねえ」
「そ、その我慢が、生霊を放ってしまった原因なのかもしれませんね……」
「ああ。それが弾けちまえば、実際に行動に移すだろう」
実際に……つまり、生身の身体で小池智基が春香の前に現れるかもしれないということだ。
「お、着いたぞ」
梓の声で前方を見ると、車は閑静な住宅街に入る。その中のごくごく一般的な二階建ての一軒家の前で車は停まった。
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