異紋の彼方

河松星香

第1部 現代の謎

序章 螺旋の扉

廃工場の怪異

 夕暮れの新都。灰色の雲が垂れ込め、街灯がぼんやりと灯り始める中、久遠くおん悠真ゆうまは友人たちとともに廃工場の前に立っていた。


 新都に伝わる都市伝説、螺旋らせんの扉――それが今日の調査対象だ。


「こんなところに本当に伝説があるのかよ」

 隣で腕を組んでいる坂井さかいたくみがつぶやいた。高校時代からの友人で、いつも懐疑的な彼らしい反応だ。

 匠は短く刈り込んだ黒髪に、切れ長の目を持つ。顔立ちは中性的で、無精髭が生えかけた顎が少し大人びた印象を与える。


「調べないとわからないでしょ。あたしは信じてるから!」

 反対に、秋月あきづき莉奈りなは好奇心に満ちた瞳で廃工場を見つめていた。

 莉奈の髪は肩にかかる程度の軽やかなセミロングで、毛先をゆるく巻いている。明るい茶色の髪が夕陽に照らされ、ほんのり輝いていた。

 健康的な肌色にすっきりした顔立ちが印象的で、動きが快活な分、全体にエネルギッシュな雰囲気を纏っている。


「わかったよ、入ろう」

 悠真が軽く息をつくと、莉奈が先頭に立ち、廃工場の中へと歩き出した。

 匠はため息をつきながらも後を追い、悠真も渋々足を進める。


 

 廃工場の内部は薄暗く、冷たい空気が漂っていた。埃をかぶった機械が無造作に放置され、壁には亀裂が走っている。

 天井の一部は崩れ、そこから差し込む薄明かりが、陰鬱な雰囲気を一層際立たせている。


 悠真は無造作に流れる黒髪を揺らしながら、ゆっくりと工場内を歩いた。その髪は少し伸びた前髪が額にかかり、軽く外にはねる癖がある。

 普段は気にする様子はないが、その柔らかな髪質と瞳の奥深い茶色は、どこか落ち着いた印象を与える。眉は少し太めで直線的。顔立ちは中性的で整っており、冷静そうな表情が普段の彼を際立たせていた。


「思ったより不気味だな」

 匠が呟きながら足を止めた。暗がりの中で彼の目が怪訝そうに細められる。


 莉奈は彼の反応を気にも留めず、軽快な足取りで奥へと進む。


「早く来なさいよ。ねえ、あそこ見て!」

 莉奈が声を上げ、指さした先には奇妙な石板が鎮座していた。


 高さ1メートルほどのその石板には、複雑な螺旋状の模様が彫られている。その模様は薄暗い中でも青白く光っているように見えた。


「なんだこれ? ただの石板か?」

 匠が口を開いたが、その声には不安が滲んでいる。


「ただの石板にしては妙に立派だな」

 悠真は手を石板の上にかざしながら、模様を凝視した。

 彫刻の精巧さ、そしてまるで呼吸するように揺れる光に、どこか人間的な意志のようなものを感じる。


「やめたほうがいいって。怪しいだろ」

 匠の声に悠真は振り返ったが、莉奈はその言葉に笑い飛ばした。


「怖がりすぎよ。伝説なんてちょっと危険な香りがあったほうが面白いじゃない」

 彼女の言葉に悠真も苦笑する。莉奈の強気な性格はいつも場の空気を明るくするが、今回はそれが妙に心に引っかかった。


 悠真は石板の前に立ち直り、その表面をじっと見つめた。模様の細やかさと立体感には何か異様なものを感じさせる力があった。


 触れてはいけない――そう感じながらも、彼の手は自然と石板に伸びていた。


「ちょっと、やめなよ!」

 莉奈の声が聞こえたが、すでに遅かった。悠真の指先が石板に触れた瞬間――

 


 突然、工場全体が揺れた。重く鈍い音が響き渡り、空気が異様なほど冷たくなる。

 石板の螺旋模様が鮮明に輝き出し、青白い光が部屋全体を包み込んだ。


「地震か!?」

 匠が叫ぶが、揺れはただ事ではない。


 悠真は手を離そうとしたが、石板に吸い付くように動けない。


「悠真、逃げて!」

 莉奈が駆け寄ろうとするが、突然足元から黒い霧のようなものが立ち上がり、彼女を阻む。


 その霧は意志を持つかのように形を変え、触れるものすべてを飲み込んでいく。


「何だこれ!?」

 匠は後ずさりしながら、震える声で叫んだ。その背後で崩れかけた天井から鉄骨が落下し、鈍い音を立てる。


 

「くそっ、離れない……!」

 悠真は叫んだが、石板に触れた手は完全に動かなくなっていた。まるで何かに絡み取られるように力を奪われていく感覚が襲いかかる。


 そして、耳をつんざくような高音が鳴り響いた。


「何が起きてるんだ?」

 悠真の視界は次第に白い光で埋め尽くされ、思考も薄れていった。

 気を失う直前、微かに螺旋の模様が彼の左手に移動するのを感じた。


 

 目を覚ましたとき、悠真は奇妙な場所に倒れていた。

 見渡す限り広がるのは異様な光を放つ植物群。空は薄い緑色に染まり、不気味な囁き声が遠くから聞こえてくる。

 まるで現実ではないどこか別の世界――そんな感覚が強く胸に迫ってくる。


「ここ、どこだ?」

 悠真は呟きながらゆっくりと立ち上がった。周囲には匠も莉奈もいない。

 見知らぬ土地の冷たい風が、彼の肌を刺すように吹き抜ける。


 左手に強い違和感を覚え、袖をまくってみた。

 すると、そこには光を放つ螺旋模様――さっき触れた石板の紋様が鮮やかに刻まれていた。

 模様は脈打つように淡い光を放ち、まるで生きているかのように動いている。


「なんだよ、これ……」

 背筋に冷たいものが走るのを感じながら、悠真は模様にそっと触れた。


 しかし、その瞬間、強烈な眩暈が彼を襲い、目の前の景色が揺らめいた。


「匠! 莉奈!」

 気を振り払うように叫ぶが、応答はない。代わりに遠くの茂みの向こうで何かが動いた。


 悠真はじっと目を凝らす。やがて、黒い影のような生物が姿を現し、こちらをじっと見つめていた。

 その体は不規則に揺れ、輪郭がぼやけている。


「あれは……なんだ……?」

 悠真が一歩後ずさると、影のような生物は低い唸り声をあげた。恐怖が彼を動かし、その場から逃げ出そうとする。


 だが、影は悠真を追うように地面を這いながら近づいてきた。


「嘘だろ……!」

 恐怖に突き動かされるように走り出した悠真だが、足元の地面が急に崩れ始める。まるで彼を捕まえようとするかのように、土と光る植物がうねりを上げた。


 振り返ると、影の生物は悠真のすぐ背後まで迫っていた。

 そのとき、突然強烈な風が吹き抜けた。


 悠真の目の前に現れたのは、銀色の髪を持つ女性――剣を構えた彼女が、一瞬で影の生物を両断した。

 黒い影は低い悲鳴を上げ、霧散するように消えていく。


「お前、何をしている? 異紋を持つ者がこんな無防備でいるなんて……」

 女性は鋭い目で悠真を睨みつけ、剣を肩に担ぐ。彼女の銀髪は風に揺れ、その瞳は深い蒼色をしていた。


「異紋……? 何のことだ……」

 悠真が戸惑いながら呟くと、女性は溜息をつき、剣を鞘に収めた。


「質問は後だ。ついて来い。ここに長居すると命を落とすぞ」

 そう言うなり、彼女は振り返り、悠真を促した。途方に暮れながらも、悠真は彼女の背中を追って走り出した。


 

 廃工場での出来事がすべての始まりだとは、この時の悠真にはまだ理解できていなかった。

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2024年12月3日 19:30
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2024年12月7日 14:15

異紋の彼方 河松星香 @Seika-Kawamatsu

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