第四章 2
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「陛下、気になることがございます」
宰相ザイオンがある日、こんなことを言ってきた。
「申せ」
「反国王の一派どもが、いっせいに鳴りを潜めましてございます」
各地の反乱分子が、その動きをほぼ同時に止めている。彼らは共に活動しているわけではなく、従って同士というわけではない。
なのに、これは一体どうしたことだろう。
分布図を見たギリアドは、眉を顰めた。
「目を光らせておけ。動きがわからぬのなら、こちらとしても対処のしようがない」
「はっ」
「それより、最近国内の税が高いな。少し減税しよう」
「かしこまりました。なにとなにをでございますか」
「肉と、塩だ。その代わりに、輸出する鉄と宝石の値段を調整する」
「承知いたしました」
そうして疲れ果てて夜寝室に帰っていくと、いるべきはずのアリシアがいない。
「アリシア?」
彼女は普段、自分がどんなに遅くなっても必ず起きて待っていて、二人で葡萄酒を飲む時間を過ごす。そして共に眠るのである。念のため私室を覗いて見たが、やはりいない。
嫌な予感がして、ギリアドは女官長を呼んでアリシアを探させた。
しかし、王妃の姿はどこにもなかった。
王城内の探索が始まった。
兵士の一人ひとりが起こされ、隅から隅までくまなく彼女を探して回った。この頃になると月神教とはいえどアリシアの性格を好いている人間も出てきていたから、捜索は真剣に行われた。
「どこにもいないとはどういうことだ」
机を苛立たし気に叩いて、ギリアドは怒鳴った。久し振りの怒気に、宰相が首を竦める。「鋭意捜索中でござますが、一向に」
「城のなかにいにいないというのなら、外に決まっておろう」
「ですが、外であるのなら外のいずこに」
「それを探すのがお前の仕事であろう」
いらいらとして尚も怒鳴るギリアドに、ザイオンは落ち着いて言った。
「ご冷静に。誰か賊がやってきて妃殿下をさらっていったというのなら、なにか連絡がきてもおかしくないでしょう。ここは、相手の出方を待つのです」
宰相のその言葉通り、翌日の早朝、夜明けの拝礼前に、王城の門に投げ文がされた。
それにはこうあった。
『月神教の女はもらった。返してほしくば国王の座を下りろ。要求を呑まねば女を殺す』 それを読んだギリアドは文をぐしゃりと握り潰した。
「陛下」
「反国王の一派だな」
そう呟くと、彼は立ち上がった。
「私が行く」
「なりません」
「行く」
「どこへ行かれるというのです」
言われて、ぐっと押しとどまった。
「あなた様は、王なのです。国王たるもの、このような時に軽々と動いてはなりませぬ。 今は、待つべき時です。待って、あちらの動きを探るのです。さすれば、妃殿下の居場所もわかるでしょう」
「……」
唇を噛みしめて、黙って座った。
周りで部下たちが忙しく立ち働き始める。みな、アリシア奪還のために動いているのだ。
アリシア。私はなんのために王になったというのだ。お前が危ないというのに一歩も動けないとは、それでも王といえるのか。
刻一刻と、時間が過ぎていく。しかし、苦痛な時分に限って、時というものは遅々として進まない。
ギリアドは腕を組んで、じっとそれに耐えた。
「親衛隊長を呼べ。オライオスはなにをしている」
「それが、ゆうべから姿を見せません」
「街に行ったまま、消えたようです」
「なに……」
オライオスは、平生から王の自分ではなくアリシアに忠誠を誓ったと言って憚らない男だ。それに、貧民街で育った。なにか考えがあるのか。
そこへ、ヤスミンに支えられて杖をつきながらランスロットがやってきた。
「陛下」
「ランスロット」
「このような火急の要件にお役に立てずに申し訳もございません」
「なにを言う。お前はゆっくり休んでいろ」
「指揮なら出せます。せめてそれくらい、させてください」
ランスロットは椅子に座っててきぱきと兵士たちに指示を出し始めた。そうすると彼はまるで水のなかの魚のようで、重傷を負った怪我人とは思えないほど生気に満ち満ちていた。
一方、オライオスは貧民街で話を聞き回っていた。
彼のような育ちの者は、誰にも知られていない情報網を持っている。それは裏の裏、暗黒街のなかのなかまで入った、文字通り真っ暗な世界の話である。
そこでは顔に瘢痕があろうと月神教であろうと、金さえあればどんな者でも幅を利かせられる、そんなことがまかり通る貧民街の裏路地の汚い酒場で、彼は伝手の伝手を頼って話を聞いた。
その顔の瘢痕はどうしたいと聞かれれば、親父が先代の王に逆らって処刑されたのさと真実を言って、そうして相手を信用させて話を聞いた。
相手はこう言った。
「北に行った岩場の洞窟に、国王に成り代わろうって大それた男が月神教の女をさらって立て籠もってる。女は言わずと知れた王妃さ。国王は王妃を溺愛してる。その女をものにした男が次の王ってわけだ。そいつも考えたよな」
「ありがとよ」
オライオスは男に詳しい場所を聞いて金を払い、一人岩場の洞窟に向かった。
馬で半日も行ったところに、その洞窟はあった。意外は奥は深く、乾燥していて、行き止まりに灯かりが灯っていた。
護衛に守られた男が一人、酒を飲んでいた。
「強情な女だ。なにが気に入らない」
女?
陰になっていて、よく見えない。オライオスは場所を移って、男の向かいに座る誰かが見える方に行った。
アリシアが、首に鎖をつけられて座っていた。
首をつん、として、そっぽを向いている。
よかった。生きてる。
「宝石か? ほれ」
じゃら、と音がした。
「いらないわ」
「食い物か?」
「いらない」
「じゃあなにがいいんだ」
「なんにもいらないわ。私をお城に帰して」
「それだけはなんねえ。お前は俺と結婚するんだ」
「そんなの死んだって嫌よ」
「死んだってだとう」
「そうよ」
「お前、立場をわきまえろ。お前は人質なんだぞ」
「さらっておいてなによ」
「俺は王になる。お前は王妃だ」
「今だってそうよ。でもあなたは国王どころか兵士にもなれやしないわ。お城に帰して」
わ、馬鹿。刺激するなって。
「かわいくない女だ。国王はこんなののどこがいいんだ」
「あなたこそ頭が悪すぎてお話にならないわ。顔を洗って出直してきなさいよ」
「えーいこの女を奥にやっておけ」
じゃらじゃらと鎖の音がして、アリシアが奥に連れて行かれた。
オライオスは岩場を移動して、そっとそちらへ行った。
「王妃さん、王妃さんよ」
そして囁く。うつむいていたアリシアが、その声に顔を上げた。
「オライオス?」
「しっ。声がでかい」
オライオスは忍び足で近づいて行って、短剣を出してなんとかして鎖を切ろうとした。
「どうやってここまで来たの?」
「育ちが悪いもんには悪いなりのやり方ってもんがあるんだよ。それよりここを出ないと」
「ギリアド様は? 宰相さんたちはどうしたの」
「俺一人で来た」
「なんでそんなことしたの。一人じゃ無理よ」
「時間がなかった。時が過ぎれば、奴らはここを移動してまたいなくなっちまう」
「でも」
「いいから早く」
「なんだお前。なにしてる」
焦るオライオスの後ろから、声がかかった。
オライオスは鋭く舌打ちした。彼は抜刀した。
あっという間に五人の男たちがやってきて、オライオスは囲まれた。
「オライオス、逃げて」
「誰が逃げるかよ」
「場所を知られた。殺せ」
五人の内、三人は斬った。しかし残る二人が、強者だった。
腹を深く刺されて、オライオスは昏倒した。アリシアが悲鳴を上げた。
「こいつの死体はどうします」
「ほっとけ。顔に瘢痕のある野良犬だ」
男たちが出ていって、アリシアは鎖の長さが許す限りオライオスに近づいて声をかけた。「オライオス、オライオスしっかりして」
「くそっ……俺も……ここまでかよ」
目がかすむ。アリシアの泣き顔が、すぐ近くにあった。
「死んじゃだめ。オライオス」
「王妃さんよ……俺ぁあんたの護衛だ……護衛は……主を守って死ぬもんだ……それができれば……本望よ……」
しかし、アリシアは彼を叱咤した。
「違う。護衛は、主の仕事を見届けるためにいるの。私はまだ、みんなに、民衆に王妃として認められていない。それを見届けないで死ぬなんて許さない」
その、意外にも強い声に、オライオスの閉じかけた瞳が大きく開かれた。
「起きて。起きて助けを呼んできて。ギリアド様と軍を率いて、ここまで私を助けに来てよ」
揺さぶられて、意識がはっきりしてきた。
そうだ。ここで俺が死んだら、この女はどうなる。
オライオスは腹を押さえた。そして剣を杖にして立ち上がって、死に物狂いで歩いた。 あちらで男たちがなにか話している。自分のことはもう、死んだものと思っているようだ。
そして洞窟をなんとかして出ていくと必死で馬に乗り、エリモス目指してひた走った。 日没近くになって瀕死の親衛隊長が到着して王城は大騒ぎとなった。
「王を……呼べ」
切れ切れの息のなかから、彼はそう言った。急ぎ国王が呼ばれ、オライオスが何事か彼に囁くと、親衛隊長はそこでがっくりと気絶した。
「出血がひどい。運びます」
「陛下、彼はなんと?」
「北の岩場の洞窟だ。急ぐぞ」
国王は兵士長に命令して、すぐさま兵士を動員した。
幸いこの時のために準備を整えていたから、すぐに兵士は動くことができた。
敵は何人いるかはわからないが、洞窟にいるからには大勢ではないだろう。
少数精鋭を引き連れて、ギリアドは岩場へ向かった。
「アリシア! どこにいる」
剣を引き抜いて、ギリアドは怒鳴った。奥で怒声がして、剣を持った男たちが次々に出てきた。連れてきた兵士たちも剣を抜き、たちまち彼らと乱闘となった。
「来たな」
頭領らしき男が、奥からのっそりと出てきた。ギリアドは目を細めた。
「貴様か、首謀者は」
「そうとも」
「王妃はどこにいる」
「俺を倒したら教えてやるよ」
そう言って男は静かに剣を抜いた。
その殺気に、鳥肌が立った。
ただの反乱者ではない。そう感じた。
ギリアドは間合いを詰めて、男と睨み合った。
剣と剣が噛み合い、火花が飛び散った。男の凄まじい腕力に、ギリアドは思わず歯噛みした。押し合いとなる。押しに押されて、思わず飛び
「ふっふっふ。どうした。頼りないな」
じり、じり、と間合いを詰めて、男が迫ってくる。キイン、という甲高い音と共に、またも剣が交じり合う。
ギリアドが上から斬り払った。男は肩口でそれを受け、そのまま流した。それを躱して、ギリアドは右から攻める。
今度は男が飛び上がって上段に構えてきた。ギリアドは、すんでのところでそれをよけることができた。
左に、下に、二人の斬り合いは続いた。
がっ、という強い音がして、ギリアドの肩が斬られた。血が噴き出る。
しかし、彼も負けてはいなかった。ギリアドは返す刀を大きく払い、男の左腕を切った。
ザシュッ、と血飛沫が上がり、思わず左手を押さえる男を、ギリアドは目を細めて見ていた。
「王妃はどこだ」
「そんなに会いたいかい」
「よもや、凌辱したのではあるまいな」
「だったらどうする」
頭に血が上った。
ギリアドは剣を大上段に構えて、大きく飛びかかった。冷静であるだけ、男に分があった。男はそれを受け止めて、それを流した。
ギリアド様。
アリシアの声が頭に響く。
はっとなった。
落ち着いてください。戦いの場で自分を失ったら、だめですよ。
――そうだな。そうだったな。
それで我に返って、剣を構え直した。
肩の傷が疼く。
しかし、痛みが今は心地よかった。
ギリアドは気合いの声を挙げて男に突進していった。
激しい剣戟が続いた。
二人とも傷だらけになり、ぜいぜいと息を切らせ、剣を持つ手も重くなる頃、男に動きが見えた。
スッ、と横に剣を開くように、誘ってきたのである。
む、ギリアドはそれを見て呻いた。私をおびき寄せようとしているな。彼はその誘いに乗った。
ギリアドは剣を構えて、一気に男の元まで走った。男はにやりと笑って、剣を半円状に描いて大きく振り上げた。そしてそれを、一気に振り下ろした。
ギリアドは、それを見越していた。彼は男が剣を振り下ろすのと同時に大きく飛びあがり、男の脳天に剣を突き刺した。
「ぐ……」
叫び声も漏らさずに、男は絶命した。
ギリアドは男が死んだことを確認すると、アリシアを探した。彼女の名を大声で呼んで、探し回った。部下たちも戦いを終えて、洞窟内を捜索した。
声が奥から聞こえてきた。
「アリシア」
彼女は、首を鎖で繋がれていた。
「ギリアド様」
「無事か。今鎖を切る」
「ギリアド様、オライオスは?」
「瀕死の重傷だが、生きている。そなたの居場所を私に告げて、気絶した」
「よかった……」
「そなた、自分が捕らわれの身だというのに、他人の心配か。そなたらしいな」
「だって、私の親衛隊長ですもの」
鎖が解けた。ギリアドはアリシアを立たせて、抱き上げた。
「さあ帰ろう。みなが待っている」
こうしてアリシアは無事助け出されたのである。
「妃殿下、ご無事でなによりでございます」
相変わらずの鉄面皮で、宰相ザイオンが出迎えた。
「妃殿下におかれては、お世継ぎも生んでいただかなくてはならない大事なお身体、大切になさってくださいませ」
「はーい」
「なんですその返事は。もう少し自覚というものを」
「ザイオン、妃も疲れている。もうその辺にしておいて、休ませてやってくれ」
と解放されて寝室に行けば、アリシアは疲れてはいるものの、くすくす笑ってギリアドに言う。
「宰相さん、怒ってますね。でも宰相さんの言うことももっともです。妊娠してたりしたら、大変でした」
「アリシア、そのことだが」
「え?」
「この間の属国の祝福の折りにも思ったのだが」
「はい」
「私は、子供が生まれてもその子を愛せる自信がない」
「――」
突然のギリアドの告白に、アリシアは言葉がない。
彼は窓辺に歩み寄って、砂漠を見つめながら言った。
「私は、父とまともに触れあった記憶というものがないのだ。兄たちを失ってしまった恐怖から、父は私と共にいたことがなかった。だから、愛されたという自覚がない。どのように子供を愛してよいのか、わからぬのだ」
「ギリアド様……」
「子供が生まれて、父のように自分の子を扱うのが恐ろしい」
アリシアは彼の側まで近づいて、そっとその腕に触れた。
「大丈夫ですよ」
ギリアドは顔を上げてアリシアを見た。
「だって、ギリアド様は私を愛してくださってますよね。だったら、同じようにその子供も愛してくださいます。それは私が知ってます。ギリアド様のお父上は、どうやって息子たちと接すればいいかわからなかった。でも、ギリアド様はお父上とは違う。ちゃんと人の愛し方を知っています。だから、大丈夫」
「アリシア……」
ギリアドはアリシアの銀の髪に触れた。そうされると彼女は微笑んでギリアドを見上げ、彼の不安など吹き飛ばしてしまうのだった。
ギリアドはそっとアリシアを抱き締めた。
ふわり、花の香りがした。
砂漠では夏が終わろうとしている。
『お兄様へ お元気ですか? 国王陛下のお誕生日に、リッテンバウムの香茶を淹れました。お疲れのご様子だったので、とても喜んでもらえました。陛下は普段とても国民の生活に心を砕いておられて、いかに彼らの暮らしがよくなるかを終始考えておられます。 いつもお疲れなので、香茶はちょうどいい贈り物になりました。お兄様も、働きすぎには気をつけてくださいね アリシア』
アリシアが好きだった庭を眺めながらその手紙を読んだレオンは、いい王とはなんだろうと考えていた。自分もいつかは、王となる身なのだ。
アリシアの夫という男は、自分よりもずっと年下なのに、もうそのいい王というものになっている。
自分は果たして、そんな王になれるのだろうか。
そんなことを思った。
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