食べたのは
「僕……想太となっちゃんを食べちゃった」
「ちょっと食べただけだよ!ね!りっくん!」
「……うん」
なっちゃんの明るい声に、私とキリヤ君は揃って大きく息をついた。一瞬、想太さんが全食いされたのではと悪い予想が立ってしまった。
りっくんの肯定に胸をなでおろした私は慎重に声をかけた。
「りっくんは二人の『何を』食べたん……?」
りっくんが涙でいっぱいの目を私に向ける。
「時間だよ」
「……時間?」
理解が追いつかず首を捻った私の代わりに、キリヤ君が話を継いだ。
「時間を食べるって、りっくんには時間が見えるの?」
「お腹が空くと見える」
私はますます首を捻ったが、りっくんがゆっくり説明してくれる。
「砂時計の砂みたいにぱらぱら降り注いで、人の身体の中って言うのかな……人の形の器に溜まっていくのが見えるんだ。甘くて美味しそう。小さい金平糖が積もってるみたい」
「時間のこんぺいとう、おいしそう……」
「時間を食べられて、なっちゃんはどんな感じ?」
時間の金平糖を想像してうっとりしていたなっちゃんに、キリヤ君が訊ねる。
「りっくんがお腹空いたって言うから、食べていいよって言ったの。食べるときにりっくんの頭を撫でてあげたけど、それだけだったよ。全然平気!」
おそらく、りっくんは頭を撫でてもらうと時間を食べることができるのだと想像がついた。
「なっちゃんが赤ちゃんの時の時間をちょっとだけ、もらったんだ。金平糖にはいろんな色があって何の時間か見分けがつくってわかったから」
りっくんが大きく肩を落として息をつく。
「……ちゃんとできて良かった」
キリヤ君が理解したと首を縦に振る。
「生まれた時から今までの時間が、人の器に全部蓄積されて。どの時間をもらうかは、時間の金平糖を選んで決めるってことか」
キリヤ君が補足してくれて私もなんとか話についていけた。キリヤ君はりっくんから情報を引き出す。
「もし時間を全部食べたら、食べられた人はどうなると思う?」
「器が空になると思うけど……時間の金平糖は降り続けるから、死んだりしないと思う」
「中に時間が入ってなくても、現在の入れ物である肉体は無事ってことかな。まあ人の器っていうから身体?は時間じゃなくて細胞でできてるからね」
「僕もそんな感じに思う」
「キリヤ君とりっくん、何言ってるのかわからない!」
なっちゃんがケラケラ笑うが、私もなっちゃんと同じ気持ちだった。りっくんは全食いしても相手を殺すことはない、ということだけはわかった。
キリヤ君が情報を収集してくれている間に私は少し落ち着いて、時間を食べることについて思い当たった。
「時間の金平糖を食べたら、その時間自体がなくなるから。記憶がすぱっと飛ぶんちゃう?昨日の想太さん、えらい忘れっぽいなと思うてた」
「なっちゃんは金平糖をきちんと選んで食べたんだ。でも、想太の時は適当に食べちゃって……」
「時間を食べると、部分的に記憶喪失になる、か。しっくりくるね」
昨日の想太さんの不自然さに合点がいった。
想太さんが仕事の変更時間を忘れたり、りっくんのお迎えを忘れたりするなんて、あり得ないと感じていた。
りっくんは肩をすくめて俯いてしまった。
「想太が頭を撫でてくれて嬉しくて、内緒で食べて……想太、怒るよね。僕、気持ち悪いもんね」
「想太さんがそんなこと思うわけないやろ」
つい強い否定が出てしまって反省する。なっちゃんがしみじみと共感した声を出した。
「お腹が空いてると、辛いよねぇ……」
なっちゃんが目を細めてうんうん頷きながら、りっくんの頭を撫でると彼はぽろぽろ涙を零した。
飢餓を経験したことのあるなっちゃんの深い共感はりっくんを癒す。
「話し合って、ちょっとだけ食べさせてもらうのは問題ないんやで。私の時間も食べてええよ」
「俺のもあげる」
私とキリヤ君が提案するとりっくんはますますしゃくりを上げて俯いた。りっくんの頬を両手で覆って、なっちゃんが強引に顔を上げさせる。
「私のもあげる。りっくんのお腹が空いて悲しいなんて、私イヤ!」
「……ありがとう」
安心して涙の速度が増すりっくんの周りには、彼を支援する人がたくさんいる。半鬼のご飯問題は解決できそうだ。
だが、不可解だった。
りっくんは時間の性質を、わかりやすく説明できるほどに理解していた。賢い彼なら、そこまで危険な問題でないことがわかるはずだ。
なのに、頑なに食事に忌避感を示すのはなぜだろうか。
「りっくんは何で、食べるのが悪いと思ってるんや?」
りっくんはなっちゃんと手を繋ぎ、黙ってしまった。沈黙が休憩処を満たそうとしたが、なっちゃんがりっくんに優しく語り掛ける。
「りっくん教えて?みーんな、りっくんのこと大好きだから、知りたいの」
なっちゃんは重い沈黙なんて、全部ふわふわにしてしまう。
「……母さんに、言わないで」
なっちゃんが解したりっくんの口からやっと出たのは、罪悪感の塊だった。
私とキリヤ君は顔を合わせてから、頷いた。美月さんに言わないで、なんて重々しい言葉だ。
「最初は何でかわからなかったんだ。ただ食べると悪いことがあるって身体は知ってる感じで、すごく嫌だった」
りっくんはなっちゃんの手をしっかり握り直す。
「でも僕……想太の時間を食べたあとに、思い出した……時間を食べたの、初めてじゃないって」
時間を食べる行為を通じて、過去に行った食事の記憶が呼び起こされた感じだろうか。
りっくんの食事が、初めてではない。
私は息を飲んだ。
「たぶん赤ちゃんのときだと思うんだけど、ばん、ばんって写真みたいな画面が頭に浮かぶんだ。赤ちゃんの僕の頭を撫でてくれてる画面」
りっくんの大人になりきれない説明には汲み取りにくいところがある。おそらく断片的な記憶、と言いたいのだろう。
「……あの子」
りっくんは休憩処の壁に貼ってある臣くんのチラシを指さした。臣くんの顔写真が載っている。
「頭を撫でてくれたのはあの子。僕のお兄ちゃん。桜沢臣くん」
りっくんが何を言いたいのか、私は瞬時に理解してしまった。
「ほんまに……?」
私はどうしようもなく未熟で感情を隠しきれなかった。冷静な大人に化けることができなかった。両手で顔を覆ってしまった。
ダメだこんなことをしては。りっくんを責めることになる。でも手をどけることも押し寄せた感情を飲み込むこともできなかった。
私はもうりっくんの顔を見ることができなかったけれど、りっくんの声は震えていた。
「僕が臣くんを全食いした……僕が呪いで臣くんを……消しちゃったんだよ……!」
わーっと大声で泣き始めたりっくんに、なっちゃんが慌てふためく。
「りっくん、泣かないで」
なっちゃんの声は優しいのに。
私もそうありたいのに。
私は両手で顔を覆って、目の奥が焼き溶けるように泣き続けた。臣くんの真実にたどり着いたのに、どうしようもなかった事実が浮き彫りになった。
臣くんが消えたあの日。
十年霧の中で生まれたばかりのりっくんは本能だけだった。十年霧で理性を奪われる状況で、お腹が空いた赤ちゃんなのだ。本能に忠実になるのは必然。
『お腹が空いてると、辛いよねぇ……』
なっちゃんの優しい声は、どこまでも正しい。
臣くんは霧の中でりっくんと出会った。あの臣くんが独りぼっちの子どもを捨て置けるわけがない。
お腹が空いた赤ちゃんのりっくんは、頭を撫でてくれた優しい臣くんにご飯をもらった。
りっくんは臣くんの時間、十年分を全食いした。
りっくんは大量にまとめ食いをしたために、十歳になる今までお腹が空いたことがなかったのかもしれない。
赤ちゃんがお腹いっぱい食べて、責められることがあるだろうか。赤ちゃんが食べ過ぎただけの本能を、誰が罪に問うことができるだろうか。
誰も、責められない。
りっくんが叫ぶように泣き続けている間、私もずっと、泣き震えた。
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