第14話 不安とともに生きる
不安という感情は、私にとってすっかり日常の一部になっている。両親の健康状態、経済的な問題、将来の生活――数え上げればきりがないほどの心配事が、私の中で常にくすぶっている。不安は消えることがなく、むしろ新たな形で次々と現れる。それとどう向き合えば良いのか、答えを探す日々が続いている。
ある日、友人に「どうやってそんなにいろいろ考えられるの?」と言われたことがある。私はその言葉に驚き、「考えたくて考えているわけじゃない」と答えた。不安は、望まずとも私の中に居座り続ける。気づけばいつも、不安が心の中心に座っているのだ。
それでも最近、少しだけ気づいたことがある。不安は消そうとすればするほど、かえって強くなるのではないかということだ。「不安を感じてはいけない」と自分に言い聞かせるたび、私はその不安に縛られていることに気づいた。だからこそ、今はその感情と無理に戦うのではなく、少し距離を置いて見つめることを意識している。
そんなことを考え始めたきっかけは、以前読んだ記事の中の一文だった。「不安は悪者ではない。それは、何かを大切に思う心の現れだ。」この言葉に、私は救われた気がした。不安を抱える自分を責めるのではなく、「それだけ真剣に考えている証だ」と思うことで、自分を少しだけ肯定できるようになった。
例えば、両親の健康を心配する不安は、彼らを大切に思う気持ちの表れだ。将来の生活を思い悩むのは、自分が生きることに対して責任を感じているからだ。不安そのものを完全に否定するのではなく、それがどこから来ているのかを見つめることで、私はその感情に飲み込まれないようにしようと思えるようになった。
もちろん、不安が完全になくなるわけではない。それでも、「不安があってもいい」と思えるようになったことは、私にとって大きな変化だ。感情を無理に消し去ろうとせず、「今はこれでいい」と自分を認めること。それが、不安とともに生きるための一つの方法なのかもしれない。
最近では、不安がやってきたとき、「私は今何を大切に思っているのだろう?」と問いかけるようにしている。答えが出るときもあれば、出ないときもある。でも、その問いを立てることで、不安がただの「嫌な感情」ではなくなる気がする。
不安とともに生きることは簡単ではない。でも、それを抱えながらも少しずつ前に進むことで、私は自分なりの道を見つけられるのではないかと思っている。
不安は私の一部であり、決して悪者ではない。そのことを心に留めながら、これからも自分を見つめていこうと思う。今日もまた、不安に耳を傾けながら、小さな一歩を踏み出してみたい。
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