第14話 寒い国の温かなスープ(2)


「メルファリアは魔法が使える世界だ。でもどこでも魔法が使い放題ってわけじゃない。ロードセリアのように精霊結晶がザクザク取れるような豊かな国もあれば、うちみたいに土壌にも空にも精霊素が薄く、資源が貧しい国もある」


シスレーは自分の手を見つめた。


「精霊素が少なければ環境も寒冷になるから、農業生産力にも乏しい。しかもその少ない資源を、十五年ほど前までは帝室周辺と上流貴族が独占していた。その頃の王宮なら、このくらいの豪華な食事が毎食出たかもね」


「かもねって……シスレーも皇帝の一家じゃないの?」


「私は側妃の子でね。生まれつき足が悪くて歩けないし、下級貴族出身の母も早逝したもんだから、離宮に幽閉されていたのさ。帝位についたギルが私を迎えに来なければ、あのまま本に埋もれたベッドの上で死んでいたと思う」


 絶句するエイミの前で、シスレーはしみじみと息を吐きだす。


「本当にひどい時代だった。国は貧しく、上層部はなけなしの資金を豪遊したり、周囲に戦争を吹っ掛けようとしてボロボロだった。そんな帝国を立て直したのがギルだ。帝位についてからは紆余曲折あったし、内乱まがいの混乱を招いたけれど、なんとか腐った膿を出し切ることに成功したんだ」


 それから、とシスレーは何もない虚空を睨みつけた。


「何もない帝国の中で唯一、少しはマシだった機構技術を進歩させ、混乱の中でも研究所を立て直し、ようやくここまで来た……本当に、氷の上に血で道を描くようにしてここまできたんだ! それをいまさら大陸連合になんか……!」


「シスレー……」


 彼女はハッとしたように顔を上げ、いつもの笑顔に戻った。


「あはは、ごめんね、昔のことを思い出しちゃった! とにかく、素材もない、お金もない、っていう状態から魔術機構の技術を発展させて、お金を稼いで、こういう食事もたまには出せるようになった、って感じを分かってほしかったのさ。いまの帝国では、日常の食事は王宮だって市民だってもっと質素だよ。ギルと私は忙しくて固形食ばっかりだし」


 最後はいつものおどけた口調で笑う。

 エイミはテーブルクロスの端をぎゅっと握った。


「そうだったんだね。異世界モノだと王宮って超豪華だから……早とちりしちゃってごめん」


 明るく陽気なシスレーの過去と、心の中。子供であるエイミの手前、怒りや他の感情を押し殺していたのかもしれない。必死で這い上がった過去は痛いほどに共感する経歴だった。


「なんとなく、その気持ちわかる気がする。比べ物にならないけど、アタシも毒親のママが宗教の家へ行っちゃって、お姉ちゃんと二人暮らし始めた頃は貧乏だったからさ」


「そっか、エイミもお姉ちゃんがいたんだもんね。私と同じ、兄弟というか、姉妹でがんばったのか……」


 うん、と頷いてエイミははにかんだ笑みを浮かべた。


「でも国っていう大きなモノを立て直したんだから、シスレーたちの方がずっとすごいよ。いままで頑張って得たもので、こんなに素敵な食事を出してくれてありがとーね。本当に嬉しい!」


 一礼するエイミにシスレーは驚きを浮かべ、それから不意に泣きそうな顔になった。


「なんでだろうね、エイミの素直なお礼を聞くと、心がしみじみとする……もしや聖女の力?」


「いやー、いまんとこノースキル聖女だよ?」


 最後に残ったジュースを飲みほし、エイミはホッと息をついた。


「でもさ、辛かった過去とか、頑張った部分とか、誰かに分かってもらえると嬉しいよね。誰でもそうだよ、ってお姉ちゃんも言ったけど」


 ダイジョブだよ! と安心させるように頷き、微笑む。


「ここは寒い国なのに、あんなにあったかいスープやご馳走を出してくれるんだもん。魔術機構だってみんなのために開発したんでしょ? その優しさはきっと大陸連合とかみんなにも伝わって、きっと疑いも晴れるからさ。一緒にイメチェンまでがんばっていこーよ!」


 明るいピースにつられるようにシスレーの表情が溶けた。うん、と頷いて気が晴れたように息をつく。


「エイミと一緒にいると、その能天気な明るさを信じたくなってくるね」


「能天気って褒め言葉じゃないよ!? ギャルへの誉め言葉は明るくカワイイ、だから覚えて! 自分の国の聖女なんだから、もっとちゃんと信じなきゃ!」


 笑い合う二人の目の前にそれぞれ皿が差し出される。


「本日のデザートは宝石スグリのタルトに鬼梨の氷菓、帝国名物『氷結花』の氷飴細工を乗せてございます。お皿は魔法を掛けた氷でできておりますので、ひやりとした甘さがいつまでも楽しめます。温かなお茶と共にお楽しみください」


「すっごい……!」


 皿の上を見たエイミ、それにシスレーまでが目を輝かせた。


 透明なデザート皿の上には小ぶりなタルトとアイス、その脇には輝くような細工の花が乗っている。タルトの上に盛られた実は四種類ほどあるだろうか。色とりどりの鉱石めいた色合いがまさに宝石だ。


「え、これ食べられるの!?」


「南方の果実でございます、甘いですよ」


 エイミがひとつ、フォークで刺して口に運ぶと。


「ん-! 甘酸っぱい!」


 しゃりっとして、そのあとはプルっと弾ける。こんな木の実は初めて食べた。

 隣に置かれた鬼梨の氷菓は逆にねっとりとしている。アイス、あるいはジェラートに近い舌ざわりだ。もちろん抜群に美味しい!

 シスレーが、ふうん、と自分用の皿を眺める。


「私にもデザートを作ってくれたんだね。だがいらないと伝えたはずでは……」


 アーヴィンは皺の刻まれた顔で微笑んだ。


「シスレー様の大好物ですので、召し上がっていただきたくて。いつもお忙しくて、なかなかお出しする機会がありませんでしたので……聖女様がいらしたおめでたいこの日くらいは、いかがでしょうか」


 シスレーは今度こそ呆気にとられた顔になったが、すぐに表情を緩めた。


「……仕方ないなあ、ありがたくいただくよ……」


 優雅な仕草でスプーンを取り上げ、氷菓を掬い上げる。冷たさに肩をすくめてから、シスレーは白い息を吐いた。


「このタルト、ギルも好きなんだよね。アーヴィンはもともとギルの近侍で、事故にあって厨房へ職務を変えたんだ。近侍の頃からお菓子は上手だったから昔はよく出してもらったよ」


「はい、まだお若い時分のギルバルト様にもよくお作りしました」


「最近は出す機会はあった? 私以上に彼は忙しそうだけど……」


 料理長は切なそうに首を振った。


「……お忙しい方でございますから、心配です」


 はい、とエイミは元気よく手を挙げる。


「はいはーい! 今度アタシと一緒に作って、ギルに食べさせようよ! お茶の時間だよって強引に拉致ればきっと聞いてくれるって! 休憩は必要だし!」


「それは……良い考えでございますね」


 シスレーが、ほうほう、と面白そうに顎に手を当てた。


「ってことは、その間の皇帝執務はエイミがやるのかな?」


「ええー、できるかなあ……ハンコポンポン押すだけならイケるかも」


「国政が大混乱しそうだ……!」


 アーヴィンもシスレーも、エイミも笑う。

 甘くて冷たい不思議な空気の中に、温かな笑い声が溶けていくような気がした。



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