42.神獣と契約妃

 ニコラウスが帰る際、その従者が「ヴァレン様にどうぞ」と果物をいくつかくれた。二人を見送った後、ヴァレンは大喜びでミカンからかじり始めた。


「ニコラウスの帝都滞在の件ですが、どうしましょう。おそらく間者ではないのでしょうけれども」

「あれは、ていのいい人質として寄越すという意思表示だよ。だからあの場では保留にしたけれど、受け入れる予定だよ。なんでも疑っていては停滞してしまうからね」


 なるほどそうか、帝国皇子の支配下に伯爵令息を置くのだから、そういうことになる。法務卿補佐という地位に置こうものならなおさらだ。


「じゃあ、また少しラウレンツ様のお仕事も楽になるかもしれませんね。ニコラウスを受け入れるそのときは忙しいでしょうけれど、またお手伝いします」

「……そのことだけれど、ニコラウスとは個人的に親しかったのかい?」

「比較的仲の良い官僚でしたけれども、それ以上はないです。モルグッド家は王家を値踏みするだけの余裕があるとお話したように、モルグッド伯爵令息の彼には王子や王子妃に媚びないだけの余裕があったんですよ」


 だから、歯に衣着せぬ物言いで明け透けにあれこれ言われたものだ。もちろん、もとがお世辞でできているようなものなので、基本的には“見えにくい”誉め言葉ばかりだったのだけれど……。


「アラリック王子の悪口は色々聞かされましたね。そのどれもが正鵠を射ているのですが、それも結局は“王子妃から見た王子の様子”を聞き出すための罠みたなもので……お互い腹の探り合いをしながら話すことも多かったです」

「……そうか」

「信頼できる人物とは少し言い難い側面がありますが、ああ見えてラウレンツ様と変わらないお年で元法務卿補佐ですから、なかなか実力派です。信用しても悪くはないと思いますよ」


 それを知りたかったんですよね? そう見上げると、ラウレンツ様は口を手で覆い隠すようにして考え込む仕草をとっていた。


「あ、これはかつての経験をもとにしているのでお給金をいただくこととも思えますけれど、後出しはルール違反だと思いますので、これは皇子妃の仕事として人事評価をしたということにしていただいて大丈夫です」


 目だけが見下ろしてきた。心外そう、というよりは悩みが伝わらずに困っているような、伝わらずに助かったような、そんな複雑な感情が見えた。


「……君は俺を守銭奴だと思ってないか?」

「数字に厳しい方だとは思ってます」

「いやそれは……。……それは、否定しないけど。君は最も緩くなってはいけない相手だからね、これでも気を遣っているんだよ」

「“これでも”だなんて。分かっていますよ、ラウレンツ様が私の雇用についていつも真面目に考えてくださっていることは」


 お陰でちゃんと恩義も感じています。微笑みながら、ぎゅっと拳を握りしめた。


「ラウレンツ様の契約妃、帝国も宮殿も盤石になるまで、不正なく真面目に務めさせていただきますから」

「……そのことだけれど、ロザリア」

「え?」


 この流れでクビ? 頭に浮かんだのはそれで、一瞬息が止まりそうになった。ラウレンツ様も、少し言い辛そうに視線を彷徨わせている。


 まさか、いつの間にかラウレンツ様が件の令嬢に唾を付けることに成功し、私はお払い箱に……。


「……もちろん、契約妃のままで構わないんだ」

「え、あ、はい。よかったです」


 と思ったら、違った。安堵で胸をなでおろした途端、次は手を掬い取られていた。


 いまから宮殿の前で踊るんですか? そう尋ねたくなるような仕草だったけれど、ラウレンツ様は踊るのではなく、ただ私の指先を握りしめた。


「ただ、知っていてほしいんだ。俺は君が好きだよ、ロザリア」

「え? ええ、私もラウレンツ様のことは好きですよ」


 そのまま、ラウレンツ様の顔は固まった。


 これは……。……これは、もしかして、勘違いされたのかもしれない。慌ててラウレンツ様の手を両手で握った。


「あ、でも、雇用主としてです。もち・・ろん・・、恋人や夫婦になりたいなどという感情は一切・・持っておりません。というか、私に限ってそんなことは有り・・得ず・・今後・・それは揺るぎませんから、どうぞご安心してください!」

「……今後も?」

「ええ、もちろん!」


 不安そうなラウレンツ様に、深く頷いた。


「私は契約妃として、ラウレンツ様に私情・・を抱くことはございません。こう見えて私、あのニコラウスに『冷酷とは違うがまるで情のない女』と言わしめたのです」


 令嬢を口説くのが趣味のニコラウスが、私との仕事中にそう漏らしたことがある――『ロザリア様は明るいので勘違いしている者も多そうですが、他人に対する感情が薄いですよね。まあ育ちの問題でしょうが、女性なのに愛だの恋だのに流されず淡々と差配できそうで、王子妃にふさわしいです』と。最後の一言を免罪符に失礼なことを言われたような気がするけれど、黙っておくことにした。逆にいえば、本心ということでもあったからだ。


「大丈夫ですラウレンツ様、私はラウレンツ様ほどではありませんがそこそこ仕事人間です。今後も仕事・・とし・・ラウレンツ様の妃を務め、イザベラ元皇妃の二の舞は起こさないと誓いましょう!」


 安心していい場面であるはずなのに、ラウレンツ様は絶句していた。


「だから私は何度も止めてやったではないか」


 そこに、トットットとヴァレンが歩み寄ってきた。どうやら果物の貢ぎ物に夢中になっていたらしい。


 ……って、ヴァレンがラウレンツ様に喋った! そんな呑気なことを思った私とは裏腹に、ラウレンツ様は顎が外れそうなほど間抜けに口を開けていた。


 ヴァレンは金の目を細め、鼻を鳴らす。


「どんな形で伝えようと、ロザリア相手に、お前ごときの関係では無意味だからな」

「お……前、ヴァレン……」


 あらあら、一体何のお話かしら。交互に見ていると、ラウレンツ様が顔を真っ赤にし、肩を震わせ始める。


「お前、全部分かっていたんじゃないか!!」

「あ、ラウレンツ様、ヴァレンがいいようなのでご説明しますね。この子は神獣なので、私達の言葉を理解しますし、私達の言葉で意思疎通が可能です。ヴァレンの声が聞こえない人もいるようなのですが、ラウレンツ様は聞こえる側のようですね」

「ロザリアに話していないだろうな!?」

「何の話をだ?」

「ヴァレン貴様!!」


 オオカミに食って掛かるラウレンツ様はなんとも間抜けで、ふふふと笑ってしまった。


 よかった、ヴァレンが私以外に心を開く相手ができて。


「よかったですね、ラウレンツ様。ヴァレンって人前では全然喋らないんで、ラウレンツ様はレアですよ。神獣に認められた帝国皇子と考えればより希少で、歴史に名を残せるのではないでしょうか」

「そんなことはどうでも――よくはないが、今はそんな話はしていない! ヴァレン、ロザリアに余計な話はしてないと早く言え。おい!」

「あっ……その意味でしたらごめんなさいラウレンツ様……」


 そっと頬を染めながら視線を泳がせると、愕然とした顔を向けられてしまった。黙っておくほうがラウレンツ様のためだったかもしれないが、致し方ない。


「ラウレンツ様が私を陰で褒めてくださっている話は……既に聞いてしまって……」

「なぜそちらは照れるのに! あ、いや……こらヴァレン!」


 ラウレンツ様が当惑したその隙に、ヴァレンは逃げ出した。私の足のうしろにくるりとまわり、貢物の咀嚼を再開する。次はブドウだ。それはそれとして、ラウレンツ様がひなたぐち以上になにをそう隠したがっているのか、夜にじっくり聞かせてもらうとしよう。


「……ロザリア」

「はい。……なんだか褒められた後に向かい合うと照れてしまいますね」

「…………その、話は戻るが。これからも、末永く、妃を頼みたいと思っているので」


 どうやらこの皇子、恋愛よりも仕事を優先させることに決めたらしい。私にとって悪いことはないので、それで揺るがないなら構わない。うんうんと頷いていると、もう一度手を差し出された。今度は握手の形だった。


「…………これからも、末永く、俺の妃として、よろしく頼む」

「ええ、もちろんです!」


 終の棲家を手に入れるまで、末永く。まるで苦渋の決断をしたかのような顔のラウレンツ様の手を、力強く握り返した。






「最後の最後に逃げたな。しかしあの場では正解だ。商人をやっていただけある、引き際の心得が良いし、なによりしれっとロザリアを妃にしたな。詐欺師もできるのではないか」

「うるさい。もう二度とお前に差し入れなんて持ってきてやらないからな」

「構わんが、すべてロザリアに伝わることを前提に動けよ、馬鹿皇子め」



 帝国の長い冬が終わり、春がやってくる。

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