02.温情措置と不遇処置

 殿下は沸いた湯のように一瞬で憤懣を顕わにしながら、机上の書類をパフォーマンス的に叩き落とした。


「君のそういうところだ、ロザリア! いつもいつもそうやって口答えばかり、それどころか他人のやり方にケチをつけて小賢しいと言ったらない! 素直なヴィオラを見習ってはどうだ!」

「はい? ヴィオラ様だって神獣の守護があることを理由に金と引き換えに強制的に召し上げられた挙句体の弱い年下の従妹から毎週リセット可の一生のお願いに結婚してほしいとせがまれたからそちらと結婚するというわけで婚約はなかったことにして出て行けなんて言われたら烈火のごとくお怒りになると思いますよ?」

「ハッ、そうして一息に嫉妬を口にする。お前の性格の悪さが出ているというものだ!」

「嫉妬ではなく憤慨しているんです。ご返答に殿下の頭の悪さが出ております」

「誰の頭が悪いだと!」

「あらお耳も悪かったんでしたかしら、これは失礼いたしました」


 大体、殿下はヴィオラ様の本性を知らなさすぎる。私だってそう関わりはないものの、ヴィオラ様が連れていた侍女に頭を下げさせて人形を叩きつけるなんて暴挙に出たのを目撃してしまったことがあり、あ、この人はただのか弱いご令嬢ではないのね、と認識を改めた。ちなみに理由はお人形の縫い目がほつれていたから、さらにほつれた原因はヴィオラ様が誤って踏みつけてしまったからだった。


 でも、可愛い可愛い従妹君に絆されてしまっている殿下には何を言っても無駄だし、最終的に婚約破棄を決意したのは殿下。ヴィオラ様の悪口を言うのは筋違いというもの。


 殿下についてもこれ以上は言うまい――と一度口を閉じたが。


「ふん、そうしてお前が達者なのは口ばかり。それだからお前の神獣もろくな能力を持たない役立たずなのだ!」


 とんでもない暴言に、私の理性は彼方に吹っ飛び、机に両手を叩きつけた。


「お言葉ですがアラリック殿下、私はともかく、私の神獣ヴァレンを馬鹿にしないでいただきたい! 彼は私の生まれしときより私を守護してくれてきた存在です。私に能力不足があったとしてそれは私の問題、ヴァレンには何の落ち度もございません!」


 キュウキュウと微かな声を出しながら、ヴァレンは私の足に体を擦りつける。殿下に何を言われようが興味はないらしく、その銀色の毛を舐めて毛繕いを始めた。


 殿下はそれに対し、まるで憎たらしいものでも見るような目を向ける。


「フン、その獣はオオカミ姿の神獣だというが、そもそもそれが嘘なのだろう。ヴィオラのウサギようの神獣と異なり、神々しくもなんともないからな」


 神獣の見た目は実在する獣に近く、神獣と認識できる者は少ない。殿下はその大多数のほう――神獣と獣の区別がつかない人だった。


 そしてそのヴィオラ様の神獣・・こそ、獣でないかと私は疑っていますけどね! 確信を持つことができないのは、ヴィオラ様は、その神獣を連れている様子を私には見せたことがないからだ。だからこそ疑いは深いのだというのは、さておき。


 ただ、それはヴィオラ様へのあらぬ疑いを生むので黙った。それを論破と理解した殿下は呆れた溜息をつく。


「私はこれでも君を疑わず、そのオオカミが神獣だと信じていた。だからこそ、どれほど君が我が妃に相応しくなくとも傍に置いてやったのだ。が、お前と婚約してはや十年以上、なんっの加護も感じたことはない。どうせ、大して取柄もないお前が王族に取り入るには神獣の存在をダシにするしかないと考えたのだろう」


 神獣について分かっているのは、神獣は加護を与えられた者の生まれしときより近くにいること、その姿は動物であるが動物よりも格段に高い知能を持っていること……といくつかあるが、重要なのは、守護する人間を通じて、それぞれ特有の加護を周囲に及ぼすこと。だからこそ王家は加護持ちの者を引き立て、また王族に取り込み、そして各貴族も外に出すものかと躍起になる。


 だから、なんらの加護も感じなかった以上、ヴァレンの神獣性は私の嘘だと! とんでもないことを言い始めた殿下に向け、怒りのあまり顎を持ち上げた。


「アラリック殿下……いくら殿下とはいえ、お言葉が過ぎます。ご自身が節穴だからとヴァレンを否定するなんて。その御目を牙で穿たせますよ」

「ほらみろ、お前はすぐにそうして逆上するのだ。それどころか目を穿つなど、おそろしい発想を!」

「冗談でございます、私の可愛らしいヴァレンの牙をそんなもので汚させるつもりはありません」

「王子たる私の目に対して汚いものとはなんだ!」

「というか、もしやヴァレンに嫉妬なさっているのですか? ヴァレンはこんなにもふわふわですが……」


 そっと屈んで、ヴァレンを抱きかかえるようにして顔をうずめる。殿下の馬鹿発言に苛立ったときはこうしてもふもふして癒されたものだ。ヴァレンは気にも留めず知らん顔だけれどいつものこと、私も気にも留めず、そっと殿下を見上げる。


「殿下は二十歳を過ぎてから、その毛の存在感が日に日に薄れてきておりますものねえ」

「きっ……貴様、暴言を過ぎて侮辱であろう! だからお前は――」


 侃々諤々言い争うこと十数分。


「今この場で婚約を破棄する! 謝罪すればメイドとして雇ってやろうと温情の余地もあったが、そんな寛大な処置などまかりならん、今すぐ出て行け!」

「ええもちろんです、そんな不遇な処置など殿下自らお願いされても到底受け入れられません! 今すぐに出て行かせていただきます!」


 売り言葉に買い言葉で、その日のうちに最小限の荷物だけまとめて、私は王城を出て行くことになった。

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