つみきとパズルと奇異人倶楽部

ナインバード亜郎

奇談編

001

「覚えるっていう行為がね、即ち愛なのよ」

 窓の外を眺めながら、猪子いのこようさんは呟いた。

 憂鬱になる程に降りしきる雪が、この辺りでは珍しい積雪を予感させる。

「その辺ですれ違うモブキャラなんて一瞬で服装さえも忘れるけど、好きな人が相手なら一瞬で記憶できるじゃない。好きな人の言葉なら日常の些細な一言でも覚えておきたいって思える。覚えようって頑張れる。頑張ることが楽しくて嬉しくて苦にならない。この人のために頑張ろうって気持ちが沸いてくる。それが愛なのよ」

「愛、ですか」

「そう、愛。愛とはつまりはきっかけできっかけは興味関心なの。モブキャラだから興味が持てないんじゃなくて興味が持てないからモブキャラなの。非モテはみんなモブキャラなのよ。つまりね」

「つまり?」

「悪いのは覚えられる気が無い人間なのよ!」

 怒りの籠った拳で教科書を殴りつけた。

 演じていたアンニュイなキャラクターは崩壊した。

 期末テストまで残り一週間を切ったこの日、僕は猪子さんと教室でテスト勉強に勤しんでいた。多分、勤しんでた。うっかり猪子さんのノリについていってしまっただけで、勤しんでいたはずなのだ。

 私立雫石鏡しずくいしかがみ学園中等部。

 小学校から高校まで併設された宗教系の一貫校であり、一度入学すれば単位が足りる限りはエスカレーター式に高校まで進学できる。数少ない私立校ということもあり、宗教観の如何に関わらず地元有力者のご子息ご息女も通っているらしい。地方なんて公立の方が優秀なのにどうして、と思わないでもないけれど、早めに受験を終わらせてその分を勉強に費やせるのはプラスなんだとか。

 それじゃあ優秀な生徒ばかりが集まってるのかと言えば決してそんなこともなく、猪子さんみたいにクラスカーストは一軍なのに春休み補習コース瀬戸際の生徒もいる。

 ちなみに僕はカーストこそ最下位だけど成績は安全圏。この学校へ転入するために去年の夏休みを勉強だけに費やした成果でもある(転入に関し、僕の意向は毛ほども採用されなかったので恨みこそあれ感謝の気持ちはミジンコ程も無い)。

 そんなカーストの違う二人がどうして共に勉強をしてるのかと言えば、ひとえに猪子さんの人格のなせる業と言うべきだろう。

「そもそも千年も昔のことなんて勉強する意味なんてないじゃん。タイムスリップするわけでもないのに。学問として後ろ向きだわ」

「そう言わずに歴史も愛してあげてください」

「愛される歴史になったら考える」

「愛される歴史とは?」

「そうね……」

 少し悩んだ後、猪子さんは言った。

「私が築く時代」

 不覚にも一瞬だけ格好良いと思ってしまった。

 建設会社のキャッチコピーに使えそうだ。

「冗談は置いといて、そろそろ真面目に勉強しないとまずいんじゃないんですか?」

「そりゃ私も勉強しなきゃなあって気持ちはあるよ。けどこうモチベがね」

 と言いながら鞄からドーナツの入ったケースを取り出し、そのまま中身のプレーンドーナツに噛りついた。

「やらなきゃなあやらなきゃなあって思うほどにさ、部屋の掃除始めたりしちゃうじゃん? こう目の前の難問から逃げちゃう気持ち」

 言いながらくるくると自身の髪の毛を指に絡める仕草をする。

「分からなくはないですよ。逃げて解決するなら僕も逃げます」

「それは分かってないって言うんだよ」

 今まさに現状を分かってない人にダメ出しをされた。

「逃げちゃうっていうか嫌なんだよ。自分ができないって自覚してることをわざわざやらされるのがさ。お前の欠点はこれだ! って言われてもどうしようもないじゃん。できないんだから」

 開き直りだってわかってるけどさ、と口を尖らせる。

「ばっちはさ、苦手な科目とか無いの?」

「苦手なものはありますよ。科目じゃないですけど」

「勉強じゃないのがムカつく」

「そう言わないでくださいよ。でも勉強以上に大事な事だと思いますよ。僕が苦手で猪子さんが得意な事です」

「私が得意な事」

「コミュ力です」

「はーん」

 軽く流された。

「そんな軽く流しますか」

「そりゃ流すわ。なんの参考にもならないし、勉強じゃないのがムカつくし、ばっちだし」

「確かにそうですけど、猪子さんを尊敬してるのは本当ですよ」

「そんなヨイショしても何も出ません」

 猪子さんは残ったドーナツを食べきると汚れた手をティッシュで拭き取り、そのままティッシュを丸めてゴミ箱めがけて放り投げた。

 綺麗な放物線を描くティッシュはそのままゴミ箱に収まった。

「おお」

「もっと私を褒め称えなさい」

「いや、それはちょっと」

「どうして。この距離なら十分のスーパーシュートじゃない」

 だってそりゃ行儀はよくねえもん。

 やる気持ちはわかるけど。

「そういえば、ドーナツ食べててふと気になったっていうか思い出したっていうか、そんな感じの話なんだけどさ――」

 勉強を再開しようとしたところで再び脱線した。これは春休み補習コースに進路変更だろうか。勉強に付き合っていた僕に役立たずの烙印を押されかねないので、できればその進路変更は避けてほしい。

「エンゼル様にはもう会った?」

「……僕はあんまり宗教に詳しいわけじゃないので間違ってたら指摘してほしいんですけど、この学校って正統な教派ですよね?」

 突然の振りに困惑してしまう。

 宗教系とは言ったもののカルト系の学校では決してなかったはずだ。

 それともあれか、猪子さんがそっち側に傾倒しているということだろうか。だとすれば僕は善良なクラスメイトとしてとして彼女を引き戻さねばならないが。いや、いっそ転校してしまうのもありか。

「え? ああ、違う違う」

 果たして、猪子さんは首を横に振った。ポニーテールが右往左往だ。

「この街のゆるキャラ? ……ってのとはちょっと違うんだけど、一言で言ったら有名人……なのかな、うん。ショート動画とかで見たことない?」 

「僕がショート動画を見るような流行に敏感なタイプに見えます?」

「見た目は関係ないらしいよ。色んな人が言ってる」

 猪子さんは言わないらしい。

「私は見た目を重要視する人間だもの」

「左様ですか」

「下着だっていつ誰に見せても恥ずかしくないもの身に着けてるし」

「なんで見せる前提なんですか」

「油断してると見えない所もお洒落してる私マウント取られるのよ」

「そんなマウント取ってどうするんですか。どうせ痴女しかいませんよそんな山」

「つまりは女体山」

「違う」

 ちなみに僕は未だスマホを持ってない。周囲で持たないのが少数派なので、それも僕のカーストが低い要因である。持ってても持て余しそうなんだけどさ。

「これがエンゼル様」

 スマホの操作を終え、猪子さんは画面を僕に見せた。

「……こんなインパクトある人に会ったら流石に忘れませんね」

「まあ、そうだよね」

 猪子さんは苦笑する。

 そこに写っていたのは、アンニュイな顔が張り付いた段ボールを被った人だった。

「何者なんですか、この人」

「365日毎日街の清掃活動をしてる謎のお姉さん」

「お姉さん」

 思わず復唱してしまう。

 着ているのはメイド服だけど、それだけで女性と判断していいものなのか。

「ネットに声も上がってるんだよ。迷惑配信者が突撃した時の奴だけどさ」

「はぁ……」

 そういうのは噂にしか聞かないのでいまいちピンとこないけど、突撃される理由は想像がつく。僕は近づきたいとは思わないが。

「話してみるといい人らしいよ。場合によっては説教されるみたいだけど」

「噂だらけじゃないですか」

「そりゃ私も会ったことないもん。会いたいなぁと思ってるのに」

「会うと何かあるんですか?」

「願い事が叶うんだってさ。もちろんただ会うだけじゃダメで、エンゼルドーナツを献上しなきゃダメらしいんだけど」

 夢見る乙女みたいなことを言う。

 そりゃまあ僕らはまだ中学一年生な訳で、夢見る乙女が駄目ってわけじゃないけど。わけじゃないんだけどもさ。

 いや。猪子さんなら物事の分別、良し悪しはちゃんと分かってるはずだ。

「もし会ったら猪子さんは何を願うんですか?」

 喉まで出かかっていた言葉を飲み込み、そう尋ねようとしたところで――

「やっほー! みんな元気してるー!?」

 誰よりも元気な来訪者に遮られた。

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