第27話 北見の過去ー1

「あなたは人より劣っているんだから、それくらい努力して当然なのよ。周りの子たちを見なさい、みんないい点数を取って。ちょっと点数が上がったからって、いちいち報告しないでくれる?」


それが俺の記憶に残っている母の一番始めの言葉だった。

中学校のテスト、全教科八十点以上を取り、五教科で四百点ちょっとの点数を取ることができた。

今まで三百五十点ほどしか取れなかった俺にとって、とても嬉しく、努力が報われたと思った瞬間だった。


早く帰りたい! 母さんに報告したい! そんな気持ちを心に抱きながら、早足で家へと帰った普通に。

乱暴に玄関を開け、台所で料理をする母に、テストの結果を報告した。

よく頑張ったね、えらい! と言ってほしかった。

いや、言ってもらえると思っていた。

でが返ってきたのは、俺の心を深くえぐる言葉だった。


「だから何? 他の子を見なさい、みんな九十点以上を取って……」


確かに、俺の通う中学校はみんな頭がよく、いつも九十点以上を取っていた。

中には百点を取る奴だっている。

でも……俺はそんなことを言ってほしいんじゃない!

周りと比べて見られたいんじゃない!

俺の! 俺自身の努力を認めてほしかった。


「で、でもさ。ちゃんと点数上がったよ?」

「だから何? 少し上がっても低ランクから普通になっただけじゃない。高ランク……完璧じゃないといけないのよ!」


「……」


確かに母には、こう言えるだけの過去がある。

親が学歴に固執する人間だったらしく、友達との時間も、自分だけの時間も潰して親の用意した人生レールの上を走ってきた。

その結果、母もこうなってしまったらしい。

でも母も俺を愛していないわけではない……と思う。

風邪をひいたときは必死に看病してくれるし、いじめられた時は学校へ直接言ったりもしてくれた。

本人はあなたの勉強のためって言うけど、それだけであそこまで必死に動くわけがない。

だからこそ、俺は母さんの過去を理解し、反発することは無かった。


「じゃ、じゃぁ次は九十以上とるから! 学年で一番になるから!」

「なら今の努力量じゃ足りないわ。他人の二倍……いや三倍は努力しないといけない。分かったら、さっさと部屋に戻って勉強しなさい」


こんな人生でも、俺には心が癒える時間はあった。

それは父が帰ってくる時だ。

父は学者をしており、世界中を旅しながら研究をしている。

頭ならば、母さんよりもはるかに良い。

別に母のように勉強を強要されたわけではないが、生まれ持ってきた頭脳と努力、その二つが実を結び、素晴らしい頭脳を手に入れた。

そんな父さんはいつもこう言っていた。


「人はみんな、同じスタート地点、同じ性能で生まれてくることは無い。他人より優れ、他人より劣る部分を誰もが持っている。こんな父さんでも、運動は最下位だったんだ。いいかい? 人と比べちゃいけない。どれだけ自分が成長したか、それを大切にしないさい」


これは母さんの考えと正反対の考え方だ。

だからこそ二人は、俺の教育方針でいつも対立していた。

でも父さんは仕事のために長くは家にいられないから、必然的に俺の教育方針は母さんの考え方に沿っていた。




そこから母さんの指示で、俺は高校へと入学した。

全員頭がよく、正直俺は劣っていた。

それでも、名門……それも母さんの指示した高校へと入学できたことにより、母さんは満足しているようだった。


「いつかあなたもお医者さんになって、たくさんの人を救うの」


ある日母さんは、俺にそう言った。

確かに医者になりたいという願望はあったので、特に俺は嫌だとは思わなかった。

母も医者だったので、何かといろいろなことを教えてくれたりもしていた。


「なんで医者になってほしいの?」


でも気になったから聞いてみた。

いつもなら、お前には関係ない! と言われるのだが、気分のいい母さんは、自分の過去を語りだした。




私の父さんはとても弱かった。

戦いに弱いとかじゃなくて、とっても病弱だったの。

当時の技術じゃ治せない病気なのに、とてもたくさんの人がなってしまう、とっても厄介な病気だった。

不幸にも、私の周りの人たちも多く死んでいった。

その病気による死亡率は、驚異の八十パーセントと言われていた。


友人、ご近所の方、そして母さんも……

過去の関係から、私は特に母の死を悲しむことは無かった。

私の大切な時間を奪った悪魔……そうとさえ思っていたから。

でも、父さんは違った。

隙を見て、私と遊んでくれたり、母さんを連れ出し、一人の時間を作ったりもしてくれた。

でも、死んでしまった。


「死なないで! おいて行かないで!」


そう叫んでも、父は涙を浮かべて私の手を握るだけだった。

握れているのかも怪しいくらい、弱々しい力で。

そして死ぬ間際に放った言葉


「ごめんな……」


それを最後に、父はこと切れた。

その瞬間の絶望を、私は今でも覚えている。

父に向かって叫び続けた。

でも目を覚ますことは無かった。


でもそのときね、隣の病室からも、大きな叫び声が聞こえた。

それは私よりもはるかに小さな、男の子の声。

大人になっていた私が絶叫している中、隣の部屋ではもっと小さな男の子が、病気で父親を亡くしていたと知った。


それで気づいた。

全世界で、私と同じような悲しみを味わっている人がいる。

なら、これ以上こんなこと繰り返しちゃダメだって。

だから医者になって、父さんと一緒にあの病気を研究していた。

でも、結局完治の方法は見つからないまま、発病の件数だけが減っていった。

病気の発生を抑える薬だけが、現段階の唯一の対策法。

でも、それじゃ足りない! 発生の確率が下がっても、必ず発病者は出てくる。

その時に救えなければ、何も意味がない!

でも……私たちにはできそうにないの。


「だから、あなたに医者になってほしかった。私たちのできなかったことを、あなたに成し遂げてほしかった。でもそのためには、たくさんの努力がいるの」

「分かるよ、母さん。母さんが俺に努力を求めてきた理由も、なんとなくわかる。それによって得たものもあったし、失ったものも沢山あった。でもだからこそ分かった、この世界の厳しさが」


もう慣れてしまった……きっとそうだ。

母さんの考え方に、違和感を抱かなくなってしっまった。

きっと母さんも、母親の考え方に慣れてしまって、こうなったのだろう。

別に人生に楽しさを感じなくなってしまっていた。

毎日勉強し続ける……自分の人生の意味なんて分からず、ただ同じ動きを繰り返していた。




そんな日々に変化が訪れたのは、俺が高校二年生になった時だった。

先輩となり、一年生という後輩が入ってきてから、俺の日常に変化が表れた。


いつもの様に一人でお弁当を食べているときだった。

俺は休み時間も勉強をしているため、他の人たちと一緒にいることは無い。

母さんの言う通り俺は頭が悪いから、ここのレベルには勉強をしなければ追い付けない。


でも、そんな変わり者の俺に声をかけてくれた人がいた。

後輩の、梅田由井うめだゆいさんだった。


「どうして一人でいるんですか? みんなは集まって食べているのに」


話しかけてきたときの笑顔を、俺は今でも忘れない。

天使だった……こんな俺に声をかけてくれるなんて、単なる物好きか、それとも心配してくれたのか。


「よかったら一緒に食べません?」

「いいけど……君、友達はいないのか?」


「先輩、いつも一人だから気になって。今日は断ってきたんです」


わざわざ友達地の食事を投げ捨ててまで、俺に声をかけてくれたのか。

なんて優しい……


「珍しいですね、食事中も勉強するなんて。ここは、あまりみんな勉強しているイメージは無かったです」

「みんな頭がいいので、授業と家での勉強で何とかなってるんですよ。僕はそうもいかないので……」


「努力家なんですね」

「運で生きていけるほど、この世界は甘くないですよ」


「でも、運が努力を上回るときだってありますよ」

「それは……でも認めません、運だけで生きてきた奴らなんて……絶対に努力には勝てない!」


この頃から俺は、努力をせずに運だけに頼っている奴らを極端に嫌うようになっていた。

運だけじゃない。

大人に媚を売って生きる奴もだ。

何もしてないのに、周りからの評価が高い奴ら。

そいつらを見ていると、必死に努力して、まじめに生きるこっちがバカに見えてきてつらいのだ。


「私も、まじめな人が損しているのは見ていて嫌です。でもやっぱり、世間はそう簡単じゃないんだって、生きていると分かる。たとえ相手が間違っていても頭を下げないといけない時もある。まじめでノリが悪い人より、不真面目だけどノリが悪い人の方が多く友達を持っていたりもする。世界は必ずしもすべての努力を認めてくれるわけではないです」

「……そうですね」


何も言い返せなかった。

否定しようとしても、否定できない。

心の中では、俺も分かっていたのかもしれない。

それが世の中だって。




そこから月日が経ち、俺は卒業間際になっていた。

彼女との関係はというと、”友達”って感じだ。

俺は話しかけられるのがうれしくて、気づけば彼女に夢中だった。

時間があれば会いに行くほど。

もしかしたら向こうにはそれが負担だったかもしれないが、その時の俺はそんなこと思いもしなかった。




そして迎えた卒業式の日。

俺は式の後、梅田うめださんを呼び、思いを伝えた。

結果はダメだった。

別に嫌われていたとか、そんなんじゃなかった。

ただ、自分はまだそういうのをよく知らないし、人生の分かれ道だから、ゆっくり決めたいと言われた。


悲しかったけど、不思議とそこまで落ち込まなかった。

実を言うと、フラれるだろうとは思っていた。

俺の一方的な思いだって言うのも、日常生活を通してなんとなくわかっていたから。




「ただいま」

「お帰り! すまなかったな、卒業式に間に合わなくて」


家に帰ると、父さんが料理を温めながら笑顔で出迎えてくれた。

帰ってきていたのか!

自然と顔に笑顔が浮かぶ。

数か月ぶりの再会だった。


「道が混んでいて、卒業式が終わって一時間後ほどに着いたんだ。ごめんな、式を見れなくて」

「いいんだよ、帰ってきてくれただけでとっても嬉しい!」


「そうかそうか。そう言ってくれると嬉しいよ。今日のご飯は父さんの手作りだ!あとは温めるだけだが……そうだ! その間に一緒に写真を撮ろう。さ、外に出て」


家の庭に建つ木の下で、父さんと共に制服姿で写真を撮った。

その写真を見て、父さんはとても嬉しそうに笑っていた。

玄関から顔を出し、こっそりとその様子を見ていた母を見つける。

あえて気づかないふりをしていたが、母さんの顔も、嬉しそうな顔をしていた気がした。




「いただきます!」


父さんの作る料理はどれも絶品だった。

研究ばかりしているのに、なぜこんなにも料理がうまいのか。

これも生まれ持った才能の一つなのだろうか。


「これは、どこの国の料理?」

「どこだっけな? えっとメモ帳……すまない、部屋に忘れてきたみたいだ。あとで教えるよ。でも、おいしいだろう?」


「えぇ、おいしいわ。また私も作ってみようかしら」

「楽しみにしてるよ、母さん」

「なら、次はもっとおいしい料理を見つけてこなきゃな」


この日は久しぶりに、とても賑やかな時間となった。

いつもは少しの時間も勉強に使えという母さんも、この日は一家団欒いっかだんらんの時間を許してくれた。


「明日は休みだよな? 父さん、明後日までここにいるからたくさん遊ぼう」

「やった! なら、お出かけに行こうよ。久しぶりに三人で!」

「そうね、ちゃんと卒業もして大学も合格したし……特別よ?」


母さんの許可も出て、明日は三人で出かけることになった。

とてつもなく久しぶりの家族三人での外出に、俺は胸を躍らせながら眠りについた。 

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