EXISTLOG -星野紅羽の生存記録-

あねもす山田

EP01:赤の女王とチェス盤

#01:完璧な日常

 ――深夜二時、照明の光量を落とした自室の中で、かたかたと、日記帳ソフトに文字を打ち込んでゆく。

 ローカル環境なので誰かに見せるつもりも見られて喜ぶ理由もないのだが、なんとなく、丁寧に。

 歴史家がずっと後に、この時代に生きるヒトの人生を辿る時、一番希少なのは何よりも変哲のない日常であると聞いたので、人ひとりのソレはせめて辿れるようにと――思いを込めているわけでもないが。


 事実として、"変哲のない日常"など私はまったく過ごしていないのだ。


 生まれた家は中上流、両親は多忙をかき分け子供のハレの日には駆けつけてくるひとで、友人だって……少しはいた。今はおおよそ疎遠だが。

 また、このご時世に於いて多数派を占める被害者意識のお盛んな若年性無気力症候群患者からすれば、私のような人間は所詮、世界の表層でジュース片手に浮き輪でバカンスしている呑気な観光客に見えているはずだ、……しかし。

 

 ――しかし。

 この通り平和な生活をしておきながら、変なものによく好かれるのだ。モノでもあるし、者ともつく奴らに。

 無論すべてがそうであるとは言わないし、そう信じたくもないのだが――

 私と関わる女のほとんどはどうにも男を嫌いながら男体を好く異質なたちで、何度露出した欲望に晒され人生と脳を破壊されかけたか数えきれていない。

 

 よく美人からそっと腕を抱かれ、膨れた胸部を押し付けられてしまえば男は一発と揶揄されるが、あんなの嘘だ。

 好きでもない人間に持たれる好意が一番気持ち悪い。

 

 ……それから、変なモノにもよく好かれる。

 中学の時に修学旅行で連れていかれた遊園地のお化け屋敷では、スタッフのリストにない化け物から追いかけられた。

 高校の放課後では突然教室の扉が開かなくなって、一時間以上クラス丸ごと閉じ込めに遭ったこともある。

 そこでようやくこの悪癖は一生ものなのだと認め、対策を放棄した。人間ならともかく、友達になれるかどうかも不明瞭な、怪物の相手などどうしろというのだ。


 ――要するに、この日記に書き溜めているのはそういう話題である。日頃の不条理、下女のたくらみ、夕暮れと天使、屋上から羽撃いた毒電波。

 理論では説明に苦しむシンギュラリティとの渡り合い。異常波形の始末の付け方。

 私の生きた証を、ここに残しておこうと思う。




 #01:完璧な日常




 星野 紅羽の毎朝は同じルーティーンから始まる。

 朝の七時に起き上がり、洗顔と髪のセットを整え、着替えの仕上げに香水を振る。


 大学に間に合うぎりぎりの時間に起き上がるのは、無駄なことを考えてしまう時間をできるだけ削るためだ。

 頭の良く冴えて純粋な洞察力も持ち合わせるために、どうにも普通の人より"ちょっと"考え込みやすい癖。

 それは星野 紅羽の持つ数少ないコンプレックスのうち、自分の名前が男の子らしくないということの次に大きな項目として並んでいる。


「ん……」

 ふわり、とあくびを一つして洗面台の鏡面へ視線を向けると、寝起きでやや惚けた自分のかんばせが映っているのを見る。

 やや気だるげな目元にすらりと通った勝ち気な眉、整った鼻と薄く色づいた唇、白い肌。メッシュの入った髪は生来きれいな紺色で、癖がついて少々上がった前髪から覗く瞳はきらめく色彩がのぞく。


 ……日頃、自分で喧伝してしまうほどに間違いなく見目のいい容姿である。毎朝起きればこのイケメンを眺められることが、星野紅羽にとって生きる理由のひとつになっていた。

「よし」

 ヘアアイロンと櫛で癖をなおし、リビングにほったらかしの鞄を持ち上げる。昨晩酒を空けていたグラスを流しへと葬り、玄関のカードキーを手繰り寄せてノブを回した。

 ここは、たぶん、普通の大学生が家賃を聞いたらひっくり返るくらいの場所。だいたい西新宿の築一桁年数。

 流石にクレハ自身も負担の方が大きいだろうと言ったものの、我が子可愛さの心配ばかりを口にする両親をほったらかしにしていたら、いつの間にか決まってしまっていた。

 これでも最初は学寮を勧めていたのを無理やり言い包めて勝ち取った結果である。なのでもう、それ以上の不満は口にしない。


 ……季節は10月もたけなわ。ようやく長い残暑が落ち着いてきた頃の、日常。

 

 電車一本で南東へ行き、しばらく歩けば特徴的な石レンガ作りの外壁にあたる。

 大昔に一帯を治めていたらしい地主と喧嘩したせいか、現代になっても23区の一部を堂々とぶち抜いて存在を許されている市があった。


 星野 紅羽は藤栖大学理学部、生命科学科の生徒である。なんとなく高校まで理科・化学の成績だけ安定していたことと、己の好奇心の強さを鑑みて入学してみたものの理系分野出身というわけでもないのにあっさり合格を許してしまった。

 志願者が少なく定員割れでもしていたのか、あるいはクレハ自身の潜在能力の証明か。

 

 キャンパス二号棟の講義室、講師から近からずも遠からずな席を選んでは座る。


 生命科学科――そのうち内包する分子生物学と他、いくつかの座学を担当する教授ひどいおっちょこちょいで、毎回数分遅刻するし書類を頻繁に床へぶちまけ、たまに自分で作った問題の答えを忘れる始末。

 ――本来知識層といえば倫理観のない自己中偏屈イカレ野郎(クレハにとってこれは半分自己紹介である)が多数派だというイメージを見事に爆破してくれた。


 一限開始は九時である。暇をした指先が携帯のパズルゲームを遊ぶ中で、定時から五分ほど遅れてきて、「ごめんねぇ」と笑顔を見せた初老の男。

 またですか先生、などと朗らかな声が飛ぶ中、教授が本の背で教台を叩く。

「今回逃すと生化学実験取ってる人は今週きついと思うのでちゃんと聞いてください」

「解糖系の話は前期にしたと思うんだけど、今回はその続きです。じゃあ出席確認からね、青山さん」

 ぼんやりと呼ばれる生徒の名を聞き流す傍ら、ふと後ろから肩を叩かれてクレハは我に返る。

 振り向いてみれば、同じ学科の女生徒が下手な笑顔を見せて声を潜めてきた。

 

「何か?」

「あのね、解糖系の講義、何を話してたかわかる?」

「……前期の?」

「そ。わたし、ちょっと休んでたからわかんないの」

 あまり成績が良い生徒ではないのだろう、と感じられる。

 発音は少々舌足らず、見える歯は乱杭のように不ぞろいで、おおよそ幼少期、矯正にさぞかし苦労しただろうという印象。爪は小さく、しきりに指先で引っ掻いているスマホのケースにはおそらく歌い手の類か、アニメ絵柄の派手な男の写真が入っていた。

 ――聴いていない、と言われても。休んだ側の問題じゃないか?

 クレハの価値観で言えばそうよぎるし、講義中に以前の回の説明を始めて自分が講義を聞く時間を失いたくはない。

「……私が説明してもわからないだろ。あとで教授に聞いてみなよ」

「ちょっとだけでいいよぉ。二限目入ってるから聞く暇ないの! お礼するから…ほら、カフェテリアとかどう? この間、新作のお菓子が入って――」

「佐崎さん」

「はあい!」

 ――それが目当てか。ちょうどその女生徒が呼びつけられたのを見計らって、気のはやったように教授を挙手で呼び止める。

「教授、佐崎さんが解糖系の講義を休んでいて話がわからないと」

「えぇっ? 困るなあ……先に出席確認は済ませましょうか、はい瀬田さん! 瀬田さん、あれっ……お休みかな?」

 

 そうして、にわかに講義室を取り巻く、笑い。

 その女生徒は、きょとんとした様子で緩慢に回りを見渡してから、状況を理解したのか、大げさなほど憮然とした表情をとって席に座り込んだ。

「……ふん」


 ――そんな反応するなら、最初から聞かなければいいのに。

 結局、解糖系のおさらいから始まった講義は予定されていた授業の着地点へ到達する前に定刻となり、話は尻切れトンボ。

 またあわただしく講義室を後にする教授を見届けてから、クレハも学棟の外へと向かう。

 二限を越えればこの曜日は休みである。元々選択必修までしか入れていなかったために、いわゆる優等生気質の学生よりはずいぶん楽をしているなという自覚はあった。


 しかし昼間が楽な分、夜中にもう一仕事を抱えている。貴重な休み時間を無駄にするわけにはいかないと、自宅へと向かう足取りは、早い。


 ◆


 ――生まれがいい分、提携会社やコネのある人間からトンチキな話もよく舞い込んでくる。

 進学以降環境が変わったストレスか、一気に登校の足取りが不安定になり少々気をやっていたクレハのもとへ、親の会社の知り合いから、暇なら何か仕事をしてみないかと言われたのが夏頃だった。


 なんでも彼が新宿で経営していた店の一つがつぶれてしまい、宙ぶらりんの土地ができたので引き取ってほしいという内容。

 クレハもこのまま機嫌の向かない日に一日中自室で寝て過ごすよりは何かをした方がいいと思って引き受けたのが顛末。


 ということで、新宿区の繁華街の隅にしれっと身を寄せたバーの勤務が夜にあるのだ。店名はハーフロック、照明をまばらに落とした静かな様相の場所。

 おおよそ不定休ながら、客入りは悪くない。立地のせいでやや相方連れとマイノリティが多い程度だが、今のところ問題はほとんど起きずに回っている。

 カウンターの裏に口を潤すための度数の低いグラスさえ隠していれば、それはもうつつがなく。生真面目装って丸一年進路に悩んだおかげで、ちょうど成人直後の開店である。


「ジントニックとミックスナッツを」

「はい」

 

「飲みやすいものってありますか?」

「それなら……」


 勤務時間の6割は酒か軽食を用意して、あとの4割は接客だ。クレハは自分が内向的な性格であることをこの時ばかりは感謝している――類は友を呼ぶというべきか、酒乱で騒ぎだす奴より素直に酒飲んで帰ってくれる客の方がずっと多いのだ。

 気分でなんとなく、少しいつもより店を長めに開けて、客の入りがなくなってきたあたりに表の看板を返した。


「ごちそうさまでした」

「こちらこそ、またおいで」

 酒慣れしていないらしい女性の二人組を見送って、グラスとカウンターの掃除に取り掛かった。店内丸ごと掃除する気力はもうないので、明日の自分に丸投げ。

「さて……」

 軽い支度が済んだら仕事着から普段着へと着替え、戸締りを確認したのち、裏口から外へと抜ける。

 この時期になればもう夜風は秋の匂いと冷えが混ざっている。あるいは、その向こうで待つ冬の気配も。

 軽く体を伸ばしてから、家のある方向へと足を踏み出す。それだけの日常だった。


 ――それは愛する完璧な日常だった。

 大通りへ出た瞬間、普段嗅ぎ慣れない血の匂いを感じ取ったのが運の尽き。


「……ん、」


 視線を向けた先、路地の隙間。倒れこむヒトの皮膚へ容易に刃が入る様。

 潰れた血管からあふれ出る血を、やや鬱陶しそうにかき分けるもの。


 どう考えてもカタギに見えない人間が、人を殺める瞬間というものを目撃してしまった。

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