第2話 八歳の宴席
きらびやかな水晶の間。全ての来賓が席に収まると、父、モンテス八世は謝辞を述べ、明日がローリーの覚醒の儀式であると発表した。拍手が巻き起こり、親族の聖職者が代表して乾杯。控えていた楽団が、多彩な音色で優雅に場を彩っていく。北西の農園から届けられた第一級の葡萄酒が惜しみなく振舞われ、食器の楽しげな音と笑い声は長く絶えることがなかった。
モンテス八世の言う、覚醒の儀式とは、成人の通過儀礼であって、少年が騎士としての武勇を示す、初めての機会である。ブレイク王国の貴族の嫡子は八歳以上であれば須すべからく騎士たるべし。ブレイク王国の支配階級は古来より、女神の祝福を受けた騎士でなければならないとされている。ローリーは明日、その試練に挑まねばならない。
驚くべきことにローリーの母もまた、騎士である。
ヤグリス・グザール、モンテス公夫人。彼女は諸侯の一人であるグザール公の孫娘であり、現在はモンテス城の騎士団長も務める勇敢な女性だ。
二十四歳。赤い長髪を後ろにまとめ凛りんとしたいでたちである。柔らかな女性的シルエットであるが、鍛え上げられた肉体を有する美女で、カリスマ的な指導者でもある。
このように、ローリーはモンテス家とグザール家という、ブレイクでも有力な貴族の後ろ盾を持つ、恵まれた出自なのである。
ローリーが挨拶をしようと席を立つと、愛らしい美少女がローリーに抱き着いてきた。
トレッサ公女。ローリーの妹であり、兄と同じく、オレンジ色のくせ毛に大きめの瞳が印象的である。空色の可愛らしいドレスに身を包んだトレッサは、まるで花の妖精といった風情である。
「おにいさま、おめでとう!」
「ありがとう、トレッサ!」
二人は抱擁を交わす。その愛くるしい姿は周囲の人々の心を和ませた。
優秀な父と母、そして可愛い妹と過ごす晩餐。五月の夜は時として冷え込むが、部屋は暖かで、料理も素晴らしいものだった。この幸せを、箱にしまってずっと取っておくことが出来たら。ローリーはそのように思うのであった。
「ローリー。儀式が終われば、お前のためにお披露目の宴を催そう。今度はもっと盛大にな。お前こそは、モンテスの新しい未来だ」
優しく語りかける父の瞳が、濡れて光を放っているように見えた。ローリーも感動の涙を流した。
「ありがとうございます、お父さん」
メインディッシュの後、フルーツが大皿に盛りつけられて振舞われた。大人たちは美酒に酔いしれていた。トレッサはとっくに飽きてしまい、ローリーを笑わせようとオレンジの皮を口に詰め始めた。ローリーに向かってトレッサが口を開けると、口の中がオレンジの皮で埋まっており、その膨らんだ頬が何とも言えず、可愛らしい小動物のようであった。思わず吹き出すローリー。
「トレッサ!」
母、ヤグリスが一部始終を目撃していた。鋭く呼びかけて、ダメだというように首を振る。しかしトレッサとローリーの顔からはにやにや笑いが取れない。
誕生祝の宴はなかなか果てず、ローリーは中座を願い出ると、拍手とともに許された。トレッサと手をつないで会場を後にし、彼女を部屋まで送り届けると、中ですでにメイドがトレッサを待っていた。
「おにいさま、おやすみなさい!」
「おやすみ、トレッサ」
抱擁を交わす二人。トレッサは情愛の深い子どもとして育っていた。メイドがそんな二人を優しく見つめながら、ローリーに挨拶をした。
「ローリー様、おやすみなさい。明日は頑張ってくださいね」
「ありがとう」
自室に引き下がったローリーはチョッキを脱いでネクタイを外してしまい、ソファにもたれると、システムのぼんやり光るディスプレイを見つめた。
明日は騎士としての技能を披露する場だ。ローリーは馬術のみならず、槍術、弓術、そして剣術の訓練を重ねてきた。
システムの自動記録によって、自身の訓練状況を正確に把握し、弱点を補い、効率よく技術を磨いてきた。その成長スピードは神童と呼ばれるにふさわしいもので、同世代では比肩する者のない技量となっていた。どのような状況であっても、ローリーならば落ち着いて対処可能であるほどに。
「ぼっちゃま」
部屋の外から呼びかけられ、ローリーが応じる。
「じい、入ってきて」
ノックとともに、初老の男性が入室する。すらりと背が高く、グレイヘアに口ひげを上品に整えている。黒いスーツに身を包んだ執事のバスチオンである。彼は、ローリーが幼いころより教育係を務め、また身の周りの世話などしてきた。ローリーはこのバスチオンに大きな信頼を寄せている。
バスチオンはローリーが脱ぎ捨てたチョキやズボンを畳んでクローゼットに収納していく。貴族の嫡子として練磨され、神童と呼ばれるに至ったローリーではあるが、部屋の中ではやはり気が緩むのだろう。部屋は本や画材、ぬいぐるみや木造りのおもちゃで散らかし放題。服を脱ぎ捨てて下着でシステムのディスプレイを見つめているローリーは、年相応に幼く見える。そんなローリーに鼻でため息をつきつつ、無言で部屋を片付けていくバスチオン。普段はきついお小言の一つもあったろうが、明日の儀式を前にして、ローリーをのんびりとさせてやりたいと思ったのかもしれない。
ローリーはなおもシステムのディスプレイを見つめていたが、バスチオンにはきっとローリーが考え込んでいるように見えたことだろう。
「今日は早めにお休みになると思いまして」
ローリーは伸びをした。
「そうだね。ちょっと疲れたよ。いっぺんに大勢の人と会ったから」
「温かいお茶などいかがですか」
「ありがとう。嬉しいな」
ローリーは寝室に向かうと、整えられたベッドの上に置いてある寝間着を着た。
若いメイドがティーカップにお茶を注いでソファの前の小さな円形テーブルに置いた。
「ローリー様、今日はとても素敵でしたよ」
「ありがとう」
ローリーがほほ笑むと、メイドも笑顔を返す。ローリーは単に成績優秀というだけでなく、素晴らしい美徳も備えている。いつでもだれにでも、笑顔と思いやりが伝わるのだ。
彼は幼少より神学を学び、騎士としての道徳を実践してきた。
ここで簡単にブレイク王国の国教について述べておく。ブレイク王国の信仰は、女神マヌーサに捧げられている。ブレイク王国が宗教的統一を果たした際、モンテスの人々が信仰していた神は、マヌーサと同一の存在であるとの解釈がなされて、以後はマヌーサの福音を示した聖典が、騎士の、いや、人の規範とされた。
マヌーサは戦う力を持たぬ者のために、騎士に戦いを命じた。この聖典の一節が、騎士の存在理由を端的に表しているとされる。
宗教画に描かれたマヌーサは、右手に水瓶を、左手に盾を掲げているが、騎士は無辜むこの民を守る女神の盾とされているのだ。ローリーはそのまっすぐな心で、信仰を受け入れていた。
「僕は騎士だ。力なき者のために、盾となるんだ」
明日、試練に臨む自身に言い聞かせるように、独り言をつぶやく。そんなローリーを、バスチオンは温かく見守ってきたのだった。
「できますとも、ぼっちゃまなれば」
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