ローリー・グローリーストーリー~八歳、神童、国家運営をする~

かくはる

第1話 神童、ローリー

 夜半の雨が、土の馬車道に、その痕跡を残していた。夜明け間もない、ひやりとした初夏の静寂のひと時。突如として大気を裂くように、馬の駆け足のリズミカルな音が響き渡る。馬を駆る騎士の集団が、泥をはね上げながら疾走していく。一騎、二騎…三、四、五騎。後に二頭立て馬車が3台続いた。彼らは追われていた。


 灰色の影のごとき別の乗り手たちが、馬車との距離をぐんぐん縮めていく。追手どもは、それぞれに武器を携えている。先頭に立つ、灰色のフードで顔を覆った騎手が、腰に下げた長剣をゆっくり抜いていく。片手で手綱を取り、あぶみを踏みしめ太腿でしっかり馬をとらえ、右肩に剣を担いだ姿勢をとった。その背後では同様にフード付きマントに身を包んだ騎手が、背中から機械仕掛けの大弓を取り出し、両手で弦を張っている。


 疾駆する馬からバランスを崩して落下すれば、命を落とす。ましてや、馬が射られて転倒すれば騎手もその命運を共にする。今、危険な馬上戦闘が行われようとしていた。


 一方、追い立てられた騎士集団の先頭には、赤いマントをなびかせてユニコーンに騎乗した少年が位置している。ユニコーンは気性が荒く、飼いならすことが難しいため、本来乗騎には適さないとされている。が、この少年は幻獣と心を通わせたかのように、人馬一体となって疾走している。


 赤いマントの少年が手綱を操りながら、右前方を見やるようなしぐさを見せると、空間に発光する一文字が現れた。その光の線は下方へ面積を広げ、素早く長方形のディスプレイ状となって空間に現出した。青白くぼんやりと光る画面には、俯瞰ふかんの視点で騎士や馬車、追手の位置が示された。それらは状況に合わせて刻々と変化していく。まるで魔法のごとき少年の特殊能力であった。


敵は飛び道具で武装しているが、味方の騎士はそうではない。なによりも支配地で襲撃を受けること自体、少年らにとり予想外の出来事であった。時間の経過とともに、状況が悪化していくことを少年は悟った。


 少年の心に恐怖がじわりと滲んでいくが、彼はまるで前後に激しく揺れる馬体に己を同調させるかの如く、恐怖を制御していた。


 少年はディスプレイで繰り広げられる騎馬戦闘のシミュレーションを参考に、周囲の4名の騎士たちに指示を出していく。騎士の1人が、危険を顧かえりみずに大弓を構えた追手に接近していくが、大剣の使い手によって動きを阻まれる。騎士たちの使命は、当然、この危機的状況を回避し、主人である少年を守り抜くこと。少年の名は、ローリー・モンテスという。この物語の主人公である。この少年は、強大な力を持つブレイク王国、その最高意思決定機関である、諸侯会議しょこうかいぎの構成員を父に持つ、八歳の少年である。


 将来を嘱望され、神童とも評された少年は、今、命の危険にさらされている。彼はなぜ夜明けにひっそりと居城を出立したのか。なぜ最高権力者である父の支配領域内で、武装集団に追われているのだろうか。


 そのわけを語れば、いささか長くなってしまう。しかし、語らねばならない。ローリーがどのような運命を背負っているのか、それを先ず読者諸氏に知っていただきたいのだ。そこで物語は、今から数日前にさかのぼることになる。


畑いっぱいの、刈り取りを待つ麦の穂が、さざ波のようにうねりを見せる此処ここは、ミッドランドの広大な穀倉地帯。数世紀前、ミッドランドに小国が割拠し、政治的まとまりが存在しなかった頃。モンテス家の一族は豊富な穀物資源を武器としてミッドランドに影響力をふるっていた。ある時からミッドランド西部の漁港を中心に交易が始まると、銀や金で作られた貨幣が各国に爆発的に流通した。取引が活発になるにつれて、統一的取引ルールが求められたために、ル-ルの原理原則を示す宗教統一も進んでいった。宗教統一は、言語を統一し、小国はとうとう一つにまとまって、巨大なブレイク王国が誕生するに至った。


 かつての小国の王は諸侯と呼ばれ、ブレイク王室に権力を持っている。ブレイク王国は中央集権的統治構造を有しているが、何より王室も会議で定めたルールに従う事で、取引の予見可能性、安定性が生まれ、経済活動が活発化し、結果として王国の力は増していった。現在、8つの貴族が諸侯会議を運営しており、主人公ローリーの父である、モンテス八世はモンテス家を率いる諸侯の身分である。


モンテス城。その長大なシルエットが灰色の空に浮かび上がると、見るものに威圧感を与えずにはいられない。それは歴史ある石造りの要塞である。


この城はかつて、ブレイク王国東部の草原地帯を支配する異民族の侵略を防ぐ目的で建造された。もし人に、空を飛ぶ鳥の視点があったならば、モンテス城はまるで板レンガを組み合わせた壁のように見えたことだろう。


さて、ここでは特別な祝いの夜会が開かれていた。ローリー・モンテスの八歳の誕生祝の宴席である。


 宴会場は水晶の間と呼ばれ、高価な調度品が収まり、大きな鏡や、シャンデリアなど、装飾技術の粋を尽くした華美な空間である。宴席においては生花が惜しみなく取り寄せられ、飾られて貴族文化の隆盛を誇示していた。


 部屋の最奥に位置する長大なテーブルの端、主催席には父が座し、テーブル中央付近にローリーが立って、次々訪れる来賓らに挨拶を交わしている。


父を囲むように、ローリーの母、そしてモンテスの高名な聖職者が連なっている。騎士たちも慣れぬ正装で宴席に続々とやってくる。そしてローリーのとしごの妹は、壁際に用意された椅子にお行儀よく座って、兄の姿を誇らしげに見つめていた。メイドや給仕係があわただしく行きかう水晶の間は、華やかな宴の始まりを今かと待ち構えていた。


 父モンテス八世は、三番目の妻であるヤグリスとの子であるローリーに、とくに目をかけてその将来に期待していた。


ローリーはモンテスでは神童と呼ばれ、敬われていた。これは貴族の嫡子にありがちな、親の威光のせいなどでは断じてない。それは彼の並外れた記憶力と、予測能力故であった。


 例えば、ローリーはこの日の来賓全ての人物の顔と名前、性質をだけでなく、モンテス城に存在している人間すべてを、把握しているのだ。彼のこの驚異的な記憶力には秘密があった。彼は、彼だけが有する特殊な能力を持っているのである。


 ローリーの傍らに、発光する長方形のパネルが現れている。その画面に、ローリーが出会った人物のデータが自動的に表示されていく。


そう、物語冒頭でもローリーが扱ったこの魔法のパネルは、ローリーにしか見えず他の者には知覚できない。彼だけが物心ついた時から、このパネルを利用していた。彼は生まれついて驚異的な記憶力を持つといわれていたが、それは誤謬を含む表現である。彼は自身の頭で事象を記憶していたのではない。このパネルに表示された内容を読解していたにすぎない。


 この謎の存在を、ローリーは「システム」と名付けていた。システムはローリーが貴族社会で生き抜くために、必要不可欠で強力な道具であった。


 システムはローリーが見聞きした情報を自動的に記録して、さらに自由に引き出せる。また条件を設定すれば、簡単なシミュレーションを行うこともできた。


平素より、ローリーは学問のみならず、馬術や騎士としての訓練も受けているが、訓練の進捗を記録し、弱点を補うために、システムの機能を有効活用していた。


これが、ローリーが神童と評されている直接の原因である。


 一体システムとは何なのか、なぜローリーにだけこのような能力が備わっているのか。それはローリー自身にも全くの謎であった。


 しかしシステムの正体について、ローリーはそう遠くない将来、知ることになるだろう。

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