第30話 新居に向けて出発するユディット

 それから7日後のこと。


「当分また会えないんだからさ、その仏頂面どうにかしてよ」


 ユディットが両腰に手を当てて憤然とシリウスを見上げる。

 だがシリウスだって「はいそうですか」と笑顔になるわけにはいかない。


「だって君が先着する必要、ないんだよ? 何回も言ってるけどさ」


 シリウスはユディットを見下ろす。


 完全に旅装姿だ。

 馬車移動とはいえ、なにがあるかわからないので、ワンピースの上から男性用のジャケットを着用し、乗馬ブーツ。腰ベルトには愛用の警棒トンファー。髪の毛は動きやすいように編み上げて留めていた。


 いまから彼女は新居であるシュミル公領の領主館へ向かうのだ。


「南部は荒れるんだから……。落ち着いてからくれば?」


 本来であれば約1か月後に王城内で結婚式を行い、王都をパレード。

 王城に一泊して、その翌日にシリウスや騎士団とともに領主館に行き、新居とするはずだった。


 だが。

 パトリックとの密談が決裂した結果なのか、南部の動きが目に見えて激しくなってきたのだ。


 領主たちは公然と新法に対する不満を唱え始め、誰憚ることなく軍備を整え始めた。

 ナラン派は終末を唱え、それを防ぐためには世界を改めねばならぬと各辻で説法を始める始末。


 新しい領主であるシリウスたちの新居である領主館は、夜間何度も投石被害に遭い、新居の準備をしていた執事やメイドたちがおびえ始めたのだ。さすがに放火は重罪のために火が放たれることはないが、それでもなにがおこるかわからない。


 そこで治安維持も兼ねて予定より早く領主館に向かい、到着後、すぐに結婚式。新婚生活を開始することになった。


 幸いなことに、南部全体がシリウスたちに反発を覚えているわけではないのが救いだ。


 南部の領主やナラン派たちが必死になればなるほど、地元民たちは冷めていた。


 それはそうだろう。

 地元民かれらは新法によって利益を得た側なのだ。

 新法によって不利益を被った側につくことなどありえない。


 だが世論が思い通りに動かずに領主やナラン派はいら立ち始めている。


 怒りの矛先が地元民に向かうより先に、「新法側」のシリウスたちが入領し、地元民たちの保護にまわる必要性があった。


「だって私があとから行ったら、思い通りのインテリアにならないじゃない」

 ユディットが口をとがらせてそんなことを言うから頭を抱えたくなる。


「インテリアなんて後でどうにでもなるでしょう? 塔じゃないんだから、男手は僕だけじゃなくていっぱいあるよ。君が来てから好きにすればいいじゃない」


「二度手間じゃない。それに新領主さまは、妻の家具移動に一日中つきあってくれるほど暇なの?」


 そう言われると黙るしかない。


「だったら私が先に入って、家具配置や内装を自分好みにしておくから。っていうか玄関ホールに使う花崗岩の色が気になってたのよね……」

「そりゃ花崗岩は一回使っちゃったら元に戻せないけど」


「でしょ? ついでにご近所さんとか地元の人と仲良くなっておくから」

「やめて! そういう余計なことするのやめて!」


「大丈夫よ。サンダースさんと一緒に訪問するから」

「余計に危ない!」


 ご近所さんと地元民が、と悲鳴を上げそうになる。 


 ただでさえぴりついた空気感なのに。

 火炎瓶を投げ込むようなものではないか。


「でも内緒で大隊長さんたちからも言われてるの、私」

「マリエル隊長とセイヤーズ隊長?」


「そう。地元民と領主たちの温度差がどんなものか、とか。あと、農作物の収穫がどんな状態になっているか、とか」


「ああ……」


 シリウスはうめく。確かに今回の作戦では農作物の収穫がいつなのかが重要ではある。


「だけどそんなもの斥候に行ってもらったらいいんじゃない? というか、大隊の準備がもう少しで終わるんだから、そのときに……」

「とにかく私が先着することはもう決まってるの」


 びし、とシリウスの鼻先に人差し指を立ててユディットは断言した。


「あきらめなさい。誰も私を止められないわ」

「………………本当は止めたいんだってことはわかってよね」


 不承不承そう伝えると、ユディットはにっこりと笑った。


「もちろんよ。でも安心して。私は大隊長から仰せつかった任務を立派にこなしてみせるから!」


 結局、サンダースさんと斥候ごっこがしたいんじゃないんだろうかとシリウスは訝しむ。


 そんなシリウスの目の前で、ユディットは少しだけ首を横にかしげた。


「ねえ、シリウス」

「なに?」


「私たちしばらく会えないよね? 長かったら1か月ぐらい?」

「うん。そうなるかも」


「さみしい?」

「もちろんだよ」


 本当は行かせたくないんだよ、と真剣に伝える。


「今度会うときは結婚式?」

「そうだね。あ、ドレスを忘れないように持って行ってよ!」


「大丈夫」

「本当かなぁ。あ、なにか忘れ物を思い出したら手紙をちょうだい。大隊の移動にもう数日こっちにいるから」


「心配性ねぇ、シリウスは」

「だから心配なんだって」


「結婚式が終わったらその日が初夜よね」

「………………………まあ、そう、なる、け、ど」


 たどたどしく言いながら、シリウスは腰をかがめてユディットと目線をあわせた。


「でも無理することないんだよ?」

「本当に?」


「………………………………モチロン。僕はマテル」

「なんか片言だけど」


「いや、大丈夫。うん、そう。ユディットのその、気持ちが固まった時でぜんぜん大丈夫」

「だからね」


「うん」

「そういう心の準備も含めて私、先に行ってる」


 ユディットは言うなりシリウスに抱き着いた。


「別にシリウスのことが嫌いとかそんなんじゃないのよ?」

「それはわかってるよ」


「だけど、なんとなく時間と距離が欲しくて。だから先にちょっとだけ新居に行ってるね」

「………うん。だけど十分警戒して。ほんと、心配なんだから」


「私とサンダースさんが無敵なの、知ってるくせに」


 ユディットはつま先立ちしてシリウスの頬にキスを落とす。


「じゃ、行ってくるわね、シリウス。あっちで待ってる」

「うん。気を付けて」

 

 そうして5日後。

 ユディットが領主館に到着したという知らせを受けたころ、シリウスは2大隊を引き連れて王城を出発した。


 その2日後。

 シュミル公領にむかって南部の領主たちが進軍を開始した。

 シリウスは旅の途中でその報告を受けることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る