第4話 ダンス

 次の日。


「で、どうだった⁉ イジェットくん、動いた⁉」


 目をキラキラさせてユディットが現れたころには、シリウスは油彩画の片づけを終えていた。


「動かないよ、怖いこと言わないで。あ、しばらく扉開けてて。匂いがこもるから」


 テレピン油の蓋をしめながらシリウスがぶっきらぼうに応じる。


「えー……。まだ体と魂が融合してないのかなぁ」

「だからそういうのやめて。夜間僕しかいないんだから」


 革のエプロンを外してスツールの上に置くと、キャンバスを横切って部屋の中央に移動した。


 ユディットはしげしげと壁に立てかけられている案山子かかしのイジェット君を見つめている。


 なんとなくシリウスもイジェット君を見た。


 昨日、幽霊瓶の中身をぶち込まれたせいで、白いシャツがまだらにシミになっている。それが絶妙な色合いで血糊に見えるのだ。


「そんなに気になるんならもって帰ってよ。自分の部屋で観察したら」

「それはいや」


「いやなものを僕の部屋に置くな」

「ってかさ。もしイジェットくんが動くのならダンスの相手をしてもらおうと思って」


「ダンス?」

 首をかしげて尋ねると、ユディットはシリウスを見上げて真剣な顔で頷いた。


「もう誰も私の相手をしてくれないの」

「……そりゃまたなんで」


「うーん。思い当たることはないんだけど。あ、みんな私が相手だから恐縮してるとか?」

「ダンスレッスンでしょ? みんなわかってると思うけど」


「なんだろうなぁ」

「じゃあ僕とちょっとやってみる?」


「いいの? ってか踊れるんだ、シリウス」

「スローワルツならね」


 まだ王宮にいて私生児ではあるが王子として過ごしていた時に教え込まれた。


「お手をどうぞ、お嬢さん」

 恭しく手を差し出すと、つんと顎を上げたユディットがしずしずと近づいてきた。


 手を取り、彼女の腰に手を回して引き寄せる。

 昨日ユディットを抱きしめたときには気づかなかったが、ずいぶんと身長差ができてしまった。出会った頃はおんなじぐらいの背丈だったのに。


 なんだかその気づきが悲しい。


 来年あたりには誰かと婚約をし、あと数年もすればここに来なくなるだろう。そして誰かの屋敷で幸せに暮らすのだ。


「じゃあ、カウントするよ」 


 落ち込みそうになる気持ちを奮い立たせるようにシリウスはにっこり笑った。ユディットも応じるように笑ってうなずく。


「1、2、3……はい。………って! ちょ……! な、なになになになになに!」


 センチメンタルな気持ちなど一気に霧散した。

 スローワルツだといっているのに、まるで制御できない暴れ馬と手を握っている気持ちだった。


 足を「踏むか、踏まれるか」ではない。


 正直なところ、「踏まれるか、踏まれる寸前か」だ。


 次々と繰り出されるステップは確実にシリウスの甲を踏みにじろうとする。

 それだけではない。素早く間合いに入って隙をつこうとする払い足。

 おまけにホールドした腰にいきなり全体重をかけてきて態勢を崩そうとする。うっかりすると前回りに転倒しそうだ。


「待った、待った、待った待った待った待った!」

 必死に連呼し続け、ようやくユディットは足を止めた。


「なによう。調子よく踊っていたのに」

「君はね⁉ 君は確かに調子よかったよ!」


「シリウスは違った?」

「君の脚から繰り出される攻撃をかわすのに必死だった!」


「おおげさねぇ」

「そんなんじゃない! ってか、これじゃない⁉ 君のダンスレッスンをみんな嫌がるのはこれじゃない⁉ 無事なの、みんな! 足の甲割られてない⁉」


 ユディットは可愛らしく首をかしげて視線を宙にさまよわせた。


「そういえば、みんな松葉杖を……。えーっと原因、なんだっけ」

「君だよ! 怖っわ! もう死の舞踏だよ、これ!」


「えええええええ? そこまで言う?」

 むう、と唇を尖らせるがシリウスは冗談じゃないとばかりに首を横に振った。


「君、武道はできるのに……なんなの、この体たらく」

「あ! なるほど!」


 理解したとばかりにユディットは、ぽんと手を打った。


警棒トンファーの演舞だと思えばいいのかも!」

「あ……そう……かも、ね」


 シリウスも顎をつまんで考える。


 槍が苦手なユディットは、普段この部屋ではイジェット君相手に槍の稽古をしているが、ごくまれに警棒の素振りをしているのを見たことがある。


 槍の足さばきは前後だが、警棒の動きは多彩だった。ターンもあった気がする。


「ちょっとやってみて」

 シリウスが促すと、ユディットはうなずいた。


「今日、警棒はもってないけど。まあ、持っていると想定して……」


 ユディットが構える。

 そして素早く演舞を始めるのだけど……。


「いや、だいぶん無理がある」

 途中でシリウスは頭を抱えた。


 足さばきは素晴らしい。踊るように動かしている。

 だが。

 その動きは基本的に相手を攻撃するためのものであり、パートナーと息をあわせてなにかを表現するためのものではなかった。


 それに構えだ。

 足を横に開く段階で違う。


 両膝を軽く曲げて腰を落としているのを見てだめだと思った。

 スカートのすそを蹴りあげ、突きを繰り出す姿を見て軽めに絶望した。


 可愛いのに。なにもしなければ深窓の美少女なのに。

 なぜに彼女は素晴らしい警棒の使い手なのだろう。


「あー……。もうどうしようかなあ。しばらくシリウスがダンスの相手してくれない?」


 椅子に座り、むうううう、とうなるユディットを見て、シリウスは腕組みした。


「ってかなんでそんなに急にダンスとかやりはじめたの?」

「いま、お父様が王都から戻ってこられててね」


「あ。そうなんだ。お変わりはない?」

「うん。相変わらずうっとうしい」


「言い方」

「じゃあ、愛が重い」


「………まあねぇ。君、兄弟のなかでただひとりの女の子だから」


 ユディットの父親は宮中伯だ。ほとんどを王都で過ごし、比較的業務の少ない月に自領地に戻ってきている。


「夜会を開くんだって。そこでほら、ダンスを」

「君が夜会に参加するなんて珍しいね」


 この塔に幽閉されて四年。


 宮中伯は年に数回夜会を開き、年末には年越しパーティを盛大に開催しているようだ。シリウスも塔から打ちあがる花火を見ている。

 ユディットやサンダースさんと一緒に。


 そう。

 宮中伯が開催するいずれのパーティーにもユディットは参加していない。


 本人が社交的な場が嫌いだというのもあるし、宮中伯も「変な虫がつくよりいい」とシリウスのところに預けたりする。


 ぼくは変な虫にもならないのかと複雑な思いがあるのは事実だが、それでも夜会やパーティーに参加してユディットがほかの男にちやほやされているのを想像するともっと複雑な気持ちになる。


「だってさ! ティモシーが『パートナーがいないからでしょう』とか、したり顔で言うのよ!」

「ティモシー? ああ、君の従姉妹の」


「そう! 昔っからなんかこう波長があわないというか、嫌な奴というか。私はだからあえて会うのを避けているのに、あっちから衝突しにくるのよね!」


 憤然とユディットは訴える。

 まあ、やっかみなんだろうなとシリウスは苦笑いだ。宮中伯の直系女子。


 ユディットには兄や弟がいるが、女子はひとりだ。

 そのせいなのか、宮中伯も彼女の兄弟たちの溺愛ぶりはすごい。


 真綿にくるむように、というが、ユディットは綿菓子にくるまれて育てられている。


 あまりにも表に出てこないので、王都では掌中の珠とさえ言われているユディットはそこそこ人気なのだろう。警棒など振り回さず、黙って静かに立っていれば確かに美少女だ。


 流行りの人形のような繊細な容姿だってしている。少なくとも外見は。


「夜会の件でうちの屋敷に来た時、『ユディットは今回も来ないのでしょう?』とか言ってね」


 椅子に座ったまま、くねくねと奇妙に上半身を揺らして裏声でユディットは言う。たぶんティモシーの物まねなのだろうが、だいぶんディスっている。


「私が夜会に参加しない理由はパートナーがいないからだって言い始めて! なんかあいつ最近見合いしてるんだって! で、今回はその相手を連れてくるらしいわよ、お披露目を兼ねて! ほんっともう、やだ。目の上にけばけばしい化粧しててさ! ぎっらぎっらしてんの! 発情した昆虫かって思うわよ!」


「ひどい言い方だな……」

「腹立ったから『今回は参加する!』って宣言したの!」


「……パートナーはどうするの?」

「お兄様か弟のアルバートに頼もうかなって思ったけど。それだとほら、『身内しかやっぱりいないんじゃない』って言われるから。いま、お父様にあたってもらってる」


「そう……」


 一生懸命口の両端を引き上げる。笑っている表情を作りながら、シリウスは言った。

 やっぱり彼女がこの塔にやってくるのはあと少し。期間限定のようだ。


「楽しめるといいね、夜会」

「ぎゃふんと言わせてやるんだから!」


「……いや、ぎゃふんって言うのは君のダンスパートナーかもよ」

「そうならないようにシリウスが練習相手してよ!」


「やだよ!」

「だって今までのパートナーの中で唯一足を踏まれなかったのよ⁉」


「君、やっぱり自覚あっただろう⁉」

「ねー! お願いだから!」


「えー……。もう、だったら安全靴用意してよ。つま先に鉄板入ったやつ」

「わかった。明日用意する!」


 やっぱり明日も来るんだ、そして練習する気なんだ、とがっくり肩を落としたシリウスに、ユディットは「あ」と声を上げた。


「明日で思い出した」

「なに?」


「明日だけね、世話係の人が変わるんだって」

「ここの?」


「そう。なんかね、ここのところ急に体調が悪くなったって」

「あ、そういえば」


 ふとシリウスの脳裏に浮かんだのは、息も絶え絶えに階段を上って来る女性の姿だ。


 この塔に来てからというもの、近所に住む50代の寡婦がシリウスの世話係。


 毎食三度、シリウスの部屋に配膳する。ついでに服や下着も洗濯してくれる。


 ユディットが来ていれば、サンダースさんがお昼の片づけをしてくれるので、いったん家に戻って家事をこなし、また夕食の準備に訪れているという。


 確かにこのところ膳を運ぶだけで苦しそうだった。

 単純に、この居室が塔の最上階にあるからだと思っていたが。

 よく考えればいままで別に普通に持ってきてくれていたのだ。


「悪いことをしたな……。僕が1階まで取りに行けばよかった」


 調理室や洗濯場、風呂は1階にある。

 風呂をつかうために毎日1階に降りるし、午前中は運動がてら塔の階段を何度も上り下りしているが、咎められたことはない。


 ようは塔からでなければいいのだ。


 それに塔の出入り口は1か所で厳重に施錠されている。塔の外にも護衛士がいるほどだ。


「でもおばさんいわく、そんなに大事には至らないみたい」

「そうなの?」


「うん。だけど息子さん夫婦が心配してるから、念のために隣村の医者に診てもらいに行ってくるって。だからほんと、明日だけのことなんだけどね」


 ユディットは続ける。


「それで代わりの人がくるんだけど、なんか不都合があったり、食事が口にあわなかったら遠慮せずに伝えてほしいって。お父様が」

「そう。それはどうもご丁寧に。宮中伯にはよろしくお伝えしてね」


 深々と頭を下げる。

 ここに幽閉されているとはいえ、命を奪われることもなく過ごさせてもらっている。


 確かに自由はない。だが安全で、ユディットにだって会える。


「ほかになにかお父様に伝えることはある? あ。そうだ、この前パン屋さんが変わったっていってたけど、どう?」

「別に。おばさんの都合がいいほうで僕は全然いいよ」


 実際、なんの不都合もない。

 いままではおばさんが近所のパン屋まで買いに行っていたようだが、いまは3食分を届けてくれるらしい。それらがすべて個包装されているのに驚いたぐらいだろうか。


 ここのパン屋は、わざわざ「朝・昼・晩」と別々の紙袋に入れてくれるのだ。おばさんがパン屋に理由を尋ねると、「焼きたてパンの湿気を吸うから」ということらしい。それ以外にも、種類がすべて違うこともあるようだ。セサミが練りこんであったり、香草が混じったもの。レーズンやナッツが入ったものもあった。


 袋をあけるとふわりと香りがよいこともあり、当初紙袋から出していたおばさんも最近はパンを取り出すでもなく、そのまま盆に載せて提供してくれている。


「じゃあまたなんか思い出したら早めに言ってね。ほらまたしばらくしたら王都に行っちゃうから」


 ユディットの言葉に、「じゃあ」とシリウスはちらりと背後に視線を向けた。


「明日か……明後日にはあの油彩画が仕上がるんだ。感謝もこめてお渡ししたいとお伝えして」

「わかったわ。そう、出来上がるのね」


 ユディットはうれし気に目を細めて笑った。


「お父様に言って、私のお部屋に飾ろうかな!」

「なによりイジェット君を飾ったら?」


「それとこれとは別」

「いや、本当に」


「だから別だって」


 こうして。

 今日もたわいない日々が過ぎて行った。

 

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