囚われの処刑待ち王子。令嬢に恋をする

武州青嵐(さくら青嵐)

序章

第1話 ふたりの出会い

 その日。

 シリウスは何度目かの死を覚悟した。

 尖塔を誰かが駆け足で上って来る。


 ここに幽閉されて半年。


 日に三度、決められた食事の時間以外に誰かがシリウスを訪問することなどなかった。


 自分をここに連れてきたコーネリアス宮中伯でさえ、食事の時間に合わせて訪問に来た。守衛の騎士も同様だ。


 いまは夕方。

 こんな不規則な時間の訪問。


 それは自分の命を絶つために来た死刑執行人ではないのか。


 脳裏に浮かぶのは10歳で命を絶たれた異母弟ロバート。


 コーネリアス宮中伯領に向かう途中の馬車が暴徒に襲撃され、誘拐された。別の馬車にいたシリウスも襲われたが、護衛騎士たちと必死に応戦して撃退し、難を逃れた。


 そして明け方、近くの川辺で発見されたのは異母弟の死体だった。


 黒髪は無残に切られ、ところどころ地肌が見えていた。それよりなにより惨いのは。


 衣服は剥され、口にするのもはばかられることがこの幼い少年に行われたことが明らかだったことだ。


 王宮内にいたときはふくよかな頬をし、黒い髪はまるで夜の帳を切り取ったような艶を宿していたというのに。


 異母弟はまるでぼろ人形のように打ち捨てられていた。


 現王権を握るベネディクト王は一連の犯行は暴徒によるものと声明を発表。その後、不埒者どもは捕まった。ロバートが身に着けていた宝飾品を売ったことから足がついたのだ。


 義弟は一介の不埒者どもに命を奪われたが。

 自分は一体誰から命を奪われるのだろうか。


 それは、いま、なのだろうか。

 そして誰、なのだろう。


 鉄格子からさんさんと注ぐ夕日が床を染める様子を眺めながら、シリウスはどこか他人事のようにそんなことを考えた。


 現実味は全くない。

 というか、父王が亡くなってから非現実の連続だ。


 サイネリア王家の傍流であるルブラン家の当主ベネディクトが突如「王位の正統性」を訴えたのだ。


 その訴えは周到に根回しされた教会によって承認された。


 ルブラン家は強大な軍事力とカネを有していた。内乱とそれによる他国の侵入を恐れた有力貴族たちはベネディクトを王と認める。


 本来は父王の崩御後、王位を継ぐはずだった異母兄のパトリックは廃位させられ、囚人のように辺境の修道院に修道士として入れられた。


 王子であったシリウスとロバートは王城内に投獄され、餓死寸前の生活を送っていたのだが、そこをコーネリアス宮中伯に救われた。


 そのいずれもが。

 この数か月間が。

 まるで夢のようだ。


 シリウスはベッドの陰に隠れるようにして座ったまま、扉を見つめた。

 足音は近づいてくる。


 細く長い塔だからだろうか。音は反響し、奇妙な音域を保ってリフレインになった。


 シリウスは首から下げているペンダントトップを握り締める。

 もとはカメオだったものだ。そこに彫り込まれているのは実母の家紋。


 ロバートは身ぐるみはがされていたというのに、最後まで手にサイネリア王家の紋が入ったブローチを握り締めていたが、王の私生児である自分には実母が持っていた家紋しかない。


 実母に会ったことはないが、天国でこの紋を見せれば抱きしめてくれるだろうか。


 怖いことなど何もない。

 天国に行けば、ロバートにも、それから優しかった父王にも会うことができる。待っていてくれる。


 そんなことをぼんやりと考えていたら、いきなり扉が開いた。


 化粧用の塗装などなにもされていない、ただ材木を釘で打ち付けてドアノブを付けただけの扉。


 蝶番が外れるのではないかと思うほど勢いよく開くと。

 小柄な少女が現れた。


「やっぱり!」


 少女は唐突に声を上げた。

 唖然とするシリウスをよそに、ととととっ、と足音も軽く室内に入り、西側壁面に大きくとられた鉄格子の窓にとりついた。


「素敵な夕日! ここから見たら絶対きれいだと思ったの!」


 背伸びをしてしばらく夕日を眺めていた少女を、シリウスは言葉もなくして見つめていた。


 ワンピースにエプロンをつけ、ひざまであるブーツを履いている。身なりだけみれば商人の娘のように見えるが。


 この塔に出入りできるということは、貴族の子女、なのだろう。


 なにより真っ白な肌が上流階級の証だ。

 腰まで届くほど長く伸ばした髪はゆるく波をうっており、濃い目にいれたミルクティーのような色合いをしていた。


 飽きることなく鉄格子越しの風景をみつめる瞳は若葉色。そばかすもない陶磁器のような肌はいま、夕日にそめられほのかに上気しているようだ。


「見て! 宮中伯都が一望できるわ!」

 鉄格子を握り締めたまま、首をねじるようにして少女はシリウスを振り返った。


「宮中伯……都?」

 シリウスが意味もなく繰り返すと、少女は若葉色の瞳を細めてうなずいた。


「はちみつ色の都ってよく言われるけど。どこが?って思ってたの。いま、そのことが分かった気がする」


 はちみつ色。

 宮中伯都。

 シリウスはつぶやきながらふらふらと立ち上がった。


「来て、ほら!」


 少女に手招きされ、催眠術にでもかかったように歩き出す。


 そういえば。

 ここに入れられて数か月経つが、鉄格子の向こうをみたことなどなかった。


 鉄格子の向こう。

 ガラスのはめられた窓からは。

 ただ朝日が差し、次に日光となり、そのあと夕日が注ぎ込み、夜になって月光が漏れいるだけ。


 それを繰り返すだけだと思っていた。


 シリウスは少女と並び、外を観た。


 そして息を呑む。

 少女が目を輝かせて外の景色を眺める意味が分かった。


 濃茶色の煉瓦で作った建屋。その建屋に載せられた亜麻色の瓦。淡い橙色の岩石を敷き詰められた街道。街中央にある巨大な教会のステンドグラスはオレンジと赤茶色で統一されていた。


 それらがいま、夕日を照り返し、カーネリアンのように町全体が輝いていた。


(こんなに……美しかったんだ……)


 じわりと頬に熱を感じるのは、夕日を受けているからだろう。

 そういえば、肌が日を感じるのはいつぶりだろう。


 ここ数か月。

 いつも。

 暗闇や薄暗がりの中に身を置いていた気がする。


(外は……とてもきれいだ)


 きっとここに閉じ込められてからも、何度も何度も。何日も何日も。

 外はきっとこんな美しい風景を繰り返していた。


「コーネリアス宮中伯都はね、はちみつ色の都って言われてるの。夕方になると観光客はみんな高層の宿泊施設や山の別荘から街並みを見るんですって」


 呆然と景色を見つめるシリウスに少女は得意げに言った。


「この塔のてっぺんならきっと素敵な景色が見られると思ったの! あ……。どうしたの?」


 いぶかし気に少女に問われ、我に返ったシリウスがまばたきをしたとき。

 ふといくつものオレンジ色の水滴が散ったことに気づく。


 涙だ。

 自分はいつの間にか泣いていたらしい。


「夕日がまぶしかった?」


 少女に尋ねられ、気恥ずかしさもあって、シリウスは慌てて首を縦に振ってこぶしで乱雑に涙をぬぐった。


「ねぇ、また明日も来ていい?」

 少女がそんなことを言うからシリウスは驚く。


「え? 明日も?」

「いけない? またここから外を見たいもの」


「え……。でも、君……。あ、そういえば、ねえ。なんで君ここに……」


 来たんだい?と尋ねようとしたら、少女は両手でつかんだ鉄格子を無造作に揺する。


「でもこの鉄格子邪魔ねぇ。お父様に言って、明日は業者か……サンダースさんと一緒に来るわね」

「え? 業者? サンダースさん?」


「外しましょう、これ」

「は?」


「だってこれじゃあ、せっかくの景色がよく見えないもの」


 ぷう、と少女は頬を膨らませて不機嫌に鉄格子を再度揺すったあと、シリウスを見上げてにこりと笑った。


「私はユディット。ユディット・コーネリアスよ。よろしく、シリウス」

「ユディット……コーネリアス」


 どうやらコーネリアス宮中伯の娘らしい。

 シリウスは相変わらずあっけにとられたまま、いきなり現れたこの少女と握手をした。


 これが。

 ユディットとシリウスの初めての出会いだった。


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